PERCHの聖月曜日 49日目
諷刺家は彼が表現しようとする悪を、客観的な画像として描きはしない。純粋のリアリズムはあまりに重苦しいからだ。その代わりに、彼は通常、状況を戯画化してわれわれに示す。それがわれわれの注意を現実性に向けさせると同時に、そこからの逃避をも許すのである。すべてのすぐれた諷刺は、激しい攻撃の要素と変形された世界の幻想的なヴィジョンの要素を含んでいる。それは娯楽のために書かれはするが、われわれが生活している世界の問題について鋭く批評的な説明を含み、「本物のひきがえるが住んでいる空想の庭園」を提供する。そこで諷刺は、その主題へのアプローチの仕方、その芸術的コンヴェンション(表現上の約束事)の中に反映される、人間の経験についての特殊な態度によって、他の種類の文学との区別が可能であるようだ。
ーーーM.ホジャート『諷刺の芸術』山田恒人訳,平凡社,1983年p26