PERCHの聖月曜日 111日目
もちろん、ブレイク展は客観的にいって、さほどりっぱなおもしろい内容のものでもなかった。オリジナルも僅かという状況で、ただ、価値は本邦で最初のものであるとか、気鋭の研究者の講演とかにあったというべきであろう。それでも、村上華岳にとっては非常に心を惹くものであったらしく、毎日のように会場にあらわれ、日の暮れるまでロダンの「考える人」のような姿勢で居つくし、立ちつくしていたのである。それほど華岳はブレイクに感動したのであろう。それはまちがいなく、両者の作品の心に相通うところがあったのである。
この村上華岳の作品を、当時、奈良に居た志賀直哉が高く評価したことも、柳ーブレイクー華岳ー志賀の線上で考える時、興味ある事実である。たとえば華岳が六甲山脈を描いた絵など、奈良からわざわざ出向いてきた志賀は讃嘆を惜しまなかった。「わかる人」であったと言わねばならない。
ーーー寿岳文章「ウィリアム・ブレイクと柳宗悦の大いなる出会いー向日庵本の思い出をこめてー」『ブレイク詩集』寿岳文章訳,岩波書店,2013年,pp290-291