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PERCHの聖月曜日 92日目
ただ河原君自身はその後変わりまして、今デイトペインティングといわれる何年何月何日というのを一日に一枚二十号くらいの絵に描いている。そして夜の十二時を過ぎたらそれを一切破棄する。その作品を。というそういうデイトペインティングになっていて、この浴室シリーズだけ日本で取り上げられることに非常に不満なんですね。だからアレクサンダー・マンローという、アメリカの女性が企画した「戦後日本の前衛」展ていうのが横浜美術館で開かれてそれからアメリカを巡回しましたけども、そこにも河原温はこの浴室シリーズで選ばれて、抗議文を送ってきました。取り上げないでくれ、ということで。他の作品も駄目なんです、彼は。それから彼は日本でやるときだけじゃないんだけども、そのデイトペインティングみたいな一切のエピソードや特徴を取り払って自分がただ生きているというその痕跡だけを、その存在全体を、あるいはその時間を視覚化するという作品に集中しているわけですから、自分の回顧展や個展にも一切現れない、会場には現れないと、いうことを主義としている。そのくせ評判などは全部集めて非常によく知っているんですけれども。私は、その今のデイトペインティングに入る前の六十年代に、I got up at 7:30 とかですね、I woke up at 7:30 という、私は何時に起きたというのを絵葉書にそれだけの文字をタイプで印刷して送るという、これはタイプ印刷と書いたら、河原君に会った時に、あれはタイプじゃないんだと。ハンコなんだど。タイプとハンコじゃ全然違うんだと、自分にとっては。タイプというのは機械文明の一部である。ハンコというのは手仕事の延長だと。だから私はもうハンコしか使わないんだと。だから今のデイトペインティングは手仕事でやっているわけです。それでその絵葉書、南米からだした非常に重要なのが針生さんのところに六八年三通いってんだけども、展覧会に出してくれないかと言われてですね、ニューヨークから電話で。随分探したんだけどもどこへいったか、ないんですよ(笑)。それで、東京都現代美術館の河原温展に行ったら、世界の批評家が彼に言われてみんな出してるのね。そうすると葉書をだしながらまた回収して自分の作品として展覧会に出すっていう、それもおかしなもんだなと。いやしかし僕はなくして悪いなと思って家捜ししてるんですが出てこないんですが。それ一年おきぐらいに彼から二回電話があって、だからかなり徹底的に家捜ししたんですが出てこないんですね。
ーーー『針生一郎 講演記録「戦後の文学美術と私の批評の出発点」』2003年,pp20-21
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Paul Cézanne, calling card envelope
before 1896