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夢見たがり。
*これは母の見舞いの備忘録です。
半年前までは、見舞いに行く時間をケータイに伝えておくと、到着したときにはすでに車椅子に座っていた。
その後、ケータイを見ることさえできなくなり、車椅子も30分座るのが限度になって、到着するとベッドに寝ていた。ただ、私がいる間はずっと起きていた。
ここ数日は到着してもウトウトしている。今日もほとんど眠っていた。声も出ない。なので私が勝手に喋る。そして、手を握り、口溶けのよいチョコレートを食べさせ、お茶を飲ませる。
病院からの帰りのバスでふと思い出した。
私が小3のとき、母は弟を連れて東京に行った。父が小学校にあがった私と妹を手放さなかったからだ。その日は遠足で、私は母のつくったお弁当と母が買ってきたおやつをもって卯辰山に行ったが、のちの担任の話(母に手紙が来た)だと、終始ぼんやりしていて弁当もほとんど開けなかったそうだ。私は「帰宅したらお母さんがいないんだな」と思いながらトボトボ歩いて帰ってきて、マンションのドアを開けると父方の祖母と妹が迎えてくれた、という記憶しかない。
それはともかく、母と弟は、私と妹が1年半後に東京に行くまで、ふたりきりで生活していた。これは後年、母がしてくれた当時の思い出だ。
母がアパートの台所で食事の支度をしながら当時ヒットしていた大橋純子の「シルエットロマンス」の冒頭のフレーズを口ずさんだところ、母に背を向けて畳に座り込みブロックをしていた5歳の弟が言った。
「お母さんは恋してるの?」
母はビックリして振り向いた。「え?なんでそう思ったの?」
弟は背を向けたまま言った。
「だって夢見たがりの顔してる」
考えたら母は当時まだ31、32歳。シングルマザーでこれからどう生きて行こうか、金沢にひとまず置いてきた娘ふたりはいつ引き取れるのだろうか、と思っていたはずで、恋どころじゃなかったと思うし、弟だって5歳で「恋」の意味はわかっていなかったと思う。でも、弟は母の「夢見たがりの顔」を気にしていたんだろう。私はその場にいないけれど、のちにそのアパートに合流したのもあって、西日差す2DKの台所の母と畳に座る弟がありありと目に浮かぶ。
それはいま病院にやってきて、母に覆い被さり母の言葉を懸命に聞き取ろうとする姿、「もう一回言って」というすごく優しい声、粉をふいたようになっている母の手足にオロナインを塗る弟とすっかり重なって見えるのだった。