映画監督 砂田麻美×ライター 清水浩司対談─愛する人の”生の記録”を作品にするまで①
後悔のなかにある真実
清水 映画、拝見しました。
砂田 ありがとうございます。
清水 ディティールの感想からで恐縮ですが、まずナレーションがすっごく可愛いなと思いまして!
砂田 (笑)
清水 最初、「これ宮﨑あおいさんがやってるのかな?」と思って(笑)。少ししてから、これは砂田さんが自分でナレをしているんだと気がついたんです。でも、この声がとてもよかったと思う。森本レオさんとかだったら、またぜんぜん違うだろうし(笑)。砂田さん自身の持っている肉声の雰囲気が、明るさでもあるし、軽やかさでもあるかもしれませんが、『エンディングノート』という映画の色を決定づけているような気がして、心地よかったです。
砂田 嬉しいです。ただ、正直言うと、厭だったんです、最初は。
清水 厭だけどナレーションは自分しかできないな、と思って決めたんですか?
砂田 いえ、最初はある役者さんにお願いしていたんです。でもナレ録り直前に、その役者さんが読むことが難しくなって……。実は編集段階で「なんで監督が読まないの?」と言われる機会が何度かあったのですが、私は「ナレ―ションは役者さんにお願いする」と決めていた。
清水 自分が読むという選択肢は砂田さんのなかにはなかった?
砂田 ぜんぜんなかった。でも、その役者さんが難しくなってゼロに戻ったので、別の方に頼むか、自分で読むかで葛藤し、最終的に自分で読むと決めました。だいたい映画のなかで自分の家族をさらしているんだから、自分だけ後ろに隠れて出てこないのも無責任かなと。あとは、プレスにも書きましたが、死んだ人間(父)のモノローグを私が勝手に書いているんですよね。父の遺した日記を読んでいるわけではない。その責任の取り方をずっと考えていて、その方法のひとつが自分がナレを読むことかなと思ったんです。
清水 脚色というか、自分の想像でお父様のモノローグをつくっているから、それを自分で読むことで責任を取ろうと?
砂田 そうです。まあ、父のモノローグを女性が読んでいる時点で嘘ですから、「ここは自覚してやっていますので、皆さんご理解のうえ、お付き合いください」ということを最初から見せてしまおうと。そこまで開き直ったら、実はずっと悩んでいたラストのナレーションも一気にできました。
清水 なるほど。僕も『がんフーフー日記』のなかでヨメのキャラクターにしろ、ヨメとダンナの架空対話にしろ、つくっているところはあるんです。それは近しい人間だからできる部分と、相手が自分に憑依しているような感覚があってできる部分もある。それでも、嘘は嘘かもしれないし、天国にいるヨメから怒られるかもしれないけれど……。だから『エンディングノート』の父のモノローグを砂田さん自身が読むというのに、とても親近感を覚えました。あと、砂田さんが監督助手としてついていた是枝裕和監督の映画『歩いても 歩いても』のコピー「人生は、いつもちょっとだけ間に合わない」を思い出しました。
砂田 私もあの言葉がとても好きです。「間に合わない」ってすごく人間らしいと思う。私の父と家族の場合はいろんなことが間に合いすぎちゃったし、特に「エンディングノート」というタイトルまでついているので、「準備大事ですよね〜」というところに行きがちで。もちろん、お元気な方なら精神的に余裕もあるし、自分のことを見つめる時間も多いから、準備しておくのは素晴らしいことだと思いますが、間に合わなかったり準備できなかったりする人のほうが圧倒的に多いだろうし、後悔することも人間のあるべき姿だったりするんじゃないかなと。逆にそちらのほうにわりと真実があるんじゃないかとも感じるんです。間に合ったほうがいいし準備できたほうがいい、とはぜんぜん思っていない。
清水 確かにそう受け取られる可能性もありますね。「先に遺書は書いておきましょう」的な。
砂田 そうそう。
清水 「死の準備はちゃんとしておきましょう」みたいな。そういう啓蒙に見られてしまうと、こぼれてしまうものがたくさんありますね、この映画は。
砂田 「終活」とは書いてありますが、父自身は自分が死の準備をしているとは思っていなかったと思う。演出上「To Do List」になっているので、さも「もうすぐ俺は死ぬぞ」といって一つひとつこなしていったように見えるけれど、父親は毎日を一生懸命生きていただけだと思うんです。「来年はないかもしれないから、いまやっておこう」と。それがある意味、準備だったかもしれませんが。
清水 基本的なことを訊きますが、そもそもお父様は実際にエンディングノートというものを作成されていたんですか?
砂田 映画の最後で読まれているエンディングノートは父が書いたものです。家族との食事中に、自分で書いてパソコンの中に入れてあると伝えてきました。
清水 映画では「To Do List」という項目で進んでいきますが、それもお父様がリストアップしてあって、実際に進めていったのですか。それともあれは砂田さんの編集?
砂田 それは父が亡くなってから、あたかもTo Do Listのようにこなしていったなと思ってつけていったチャプターです。
清水 なるほど、そこは完璧に砂田さんの編集なんですね。
砂田 ええ。でも映画のプレスリリースが出たときに勘違いされて、「知昭(砂田監督の父)はTo Do Listを作成し……」って。
清水 普通の人が見たらどこまでが実際にあったことで、どこからが編集なのか、その境目がわからないでしょうね。でもその「わからない」ということ自体が、この映画の完成度の高さなんでしょう。
泣く理由、泣かない理由
清水 実は映画を観た友達からの前情報で、「泣けた」「感動した」というのが多かったんですね。でも、僕は拝見して、そういう感じは正直なかった。「ああ、この方はこういうふうにされたんだな」という、ひとつの立派なやり方だなと。「泣けた」「感動した」というのは、砂田さん自身もたぶん多くの人に言われていると思いますが、そういうリアクションはどう受け止めていますか。
砂田 「泣きました」と言われることは、「そうだったんですね」と思えるんですが、それが「よし、意図通りだ」というのは一切ないです。これを観て泣く人がいるなんて想定していなかったし、驚いたくらい。でも、そういう感想が重なるにつれ、「演出する人間としてどうなんだ?」と思って(笑)。
清水 つまり、読みがズレていた?
砂田 ええ。そこまでズレてるのは、ちょっとどうなんだろうって。ホント、いろんな意味ですごく不思議です。清水さんのように涙が出なかったというのは私の感覚に近いかも。自分がつくっていたときの感覚というか、自分が伝えたいことは「泣いてほしい」ということとは真逆なので。
清水 なるほど。
砂田 エンタテインメントにしたいというのはあったんですね。「ある人にはわかるけど、ある人にはわからない」という作品にはしたくなかった。でも「泣かせたい」というのはぜんぜんなかった。例えば子どもが泣くシーンで涙を誘われるというのは単なる生理現象だと思うんですよ。だからそこはけっこう冷静に受け止めているのですが、そうではないところでも泣かれるようなので、本当に驚きで……。人が死ぬって不思議だな、人が生きているって不思議だな、というのが伝わったときはすごく嬉しいし、自分がやりたかったことだなと思えるんですけど。
清水 どういうタイミングで泣かれる方が多いんですか。
砂田 人によっては開始15分くらいの「じいじ がんばれ」と孫がチョコレートで書いてあるシーンで泣くらしい。それ、早いよ〜っ!って(笑)。
清水 ド頭から泣いちゃう(笑)。
砂田 なぜなのかずっと考えていたんですが、最近解釈したのは、きっとみんな自分の家族に当てはめているんだなと。自分がこういう状況になったらどう思うか、というのにうまくはまると泣くのかな。
清水 僕もぜんぜん泣かなかったわけじゃなくて、普通にお祖父ちゃんと孫のシーンは、彼らが出てきただけで泣けました(笑)。
砂田 私は本当にひねくれているので、映画を観てもほとんど泣かないんです。宮崎駿の『崖の上のポニョ』を観たときも、ポニョと男の子が疲れ果てて帰ってきてチキンラーメンを食べさせてもらうシーンがあって、食べている最中にポニョが寝ちゃうんですね。そこで号泣(笑)。
清水 ハハハ、絶対に普通の人のツボじゃない!
砂田 逆に、普通の人の泣きツボの「闘病」や「子どもの死」がテーマの映画には、怒りは湧けど、泣くことは絶対にない。だから、清水さんの『がんフーフー日記』もすごく冷静な気持ちで読みはじめたんですが……、実は何回も泣いてしまったんです。
清水 ありがとうございます、って言っていいのかわからないけど(笑)。
砂田 家の中ではなく外だったのですごく我慢したのだけど、何回も涙がこぼれてきて。それで、『エンディングノート』を観て泣いたと言ってくださった人の気持ちが少しわかったんです。誤解しないでほしいのですが、泣くことがおかしいと言っているわけじゃない。ただ、いまあまりにも泣かせるものが世の中に氾濫していて、そのことに怒りがあるから、「同じようなものと思わないでほしい」という気持ちが強いんです。
清水 僕も『エンディングノート』を観て泣くのはとても理解できます。僕が泣かなかったのは、僕自身が身近ながん患者を看取るという体験をしたからだろうと思う。その体験がなければ、映画を観て、素直に泣いていたんじゃないかな。
砂田 私が『がんフーフー日記』を読んで涙が出たのは、状況がぜんぜん違っていたからです。同じように身近な人間をがんで亡くしているけれども、まったく違った物語としてこれを読んだ。私が映画で伝えたかったのは、「自分の父はこんなふうに生きました」ということではなく、「人が人生を終えるということは何なのか」「いなくなった後に残るものは何なのか」というようなことでした。そこを描きたかったんですが、私の父は年も年でしたし、抗がん剤も弱いものしか使えなかったし、ほとんど苦しまずに逝ってしまった。だから、ある種の負い目があって。
清水 負い目?
砂田 死の準備がある程度できたということもそうだし、世の中には壮絶な治療を何年も続けている方が大勢いらっしゃるでしょう? その方たちに「こういう死の感じ、いいでしょ?」的な映画だと思われるのが怖いという気持ちと、やはりちょっと申し訳ない気持ちが、いまもずっとあるんです。それで今回清水さんのような、私がもっとも負い目を感じている方、壮絶な体験をした方と話ができると知って、嬉しかったんです。
清水 そこまで壮絶でもないですよ(笑)。確かに世の中には10年、20年と治療を続けられている方もいらっしゃるでしょうし、悲惨な状況というところで言えば限りなくあるでしょう。ただ、どの段階の体験なら負い目はなくなるというものでもないんじゃないかな。
砂田 父が亡くなってから、「父の死でこんなに悲しいんだから、若くして死ぬとか、お子さんを残してこの世を去らなければいけない状況だったら、どんな気持ちがするんだろう?」と思って、いつもそれを人に話しては泣いてしまい、「想像力が豊かすぎる」と嗜められていたんです。父の死まではそんなことをただの一度も想像しないで生きてきたので、初めてそういう扉を開けてしまったというか、自分の父親の死を通して、もっと深いところにいる人達のことに気づいたというか。なんていままで呑気に暮らしていたんだろうって。『がんフーフー日記』には、私が扉を開けてしまったもの、覗いてしまったものが、そこにそっくり、嘘偽りなく書かれているような気がしました。
清水 僕も同じですよ。そういうヘビーでシリアスなことは、映画や小説の中でしか体験したことはなかった。身近な当事者として体験したのはこれが初めてで、考え方や感じ方が変わった気がします。
砂田 幸せそうな家族を見るとすごく複雑な気持ちになる、と書かれていますよね? それもすごくわかるんです。父は「70年も生きられたんだし、幸せだ」と言っていたし、私もそうだと思うし、そこに悲壮感はない。それでもやっぱり、両親がそろっていて愉しそうにしている様子を見ると、単純に「いいな」と思う。前はそんなふうに「いいな」と思うことはなかったから……(砂田監督、泣く)。すみません……。そう思うことは私にすらあって、だから清水さんはもっともっと辛いだろうなと思って……。
清水 それはきっと、どっちが辛いというものではないですよ。砂田さんのお父様はお嬢さんにそこまで想ってもらえて、本当に幸せですね。
*本対談は2011年10月にミシマ社運営の「ミシマガジン」に掲載されました。
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