映画監督 砂田麻美×ライター 清水浩司対談─愛する人の”生の記録”を作品にするまで②
作品に課したルール
清水 ぜんぜん関係ない話、していいですか? 実は『がんフーフー日記』の取材で、会ってお話する時間がないということで電話取材を受けたんですが、そのライターさん、記事の最後を「……と、清水さんは寂しそうな顔をされた。」としめていたんです(笑)。
砂田 え〜! それはないよ〜!(笑)
清水 「電話でオレの顔、見えてたのか?」みたいな(笑)。だからどこまでが嘘、フィクションでいいのかの線引きって難しいなと思う。僕はこの本に関して言えば嘘はないというか、事実をねじ曲げてはない。もちろん使わない部分と使う部分という取捨選択や、演出や脚色は多少入っていますが、嘘は入れたくないという線引きというかルールを自分に課しました。逆に映像は嘘はつけないと思うから……
砂田 いや、映像もすごい嘘をつけますよ。
清水 そうなんですか?
砂田 どのカットを使うか、どう繋ぐか、どういう効果音を使うかとかで、すごく嘘をつける。
清水 そうか、そうですよね。テキストと同じだな。ただ、僕はこの本については「ルールとして嘘はつかない」と決めました。そうでないならぜんぶ書き直して小説にすればよかったわけで、これはブログを、撮ったときのフィルムをそのまま使いたかった。嘘をついたら汚しちゃうと思ったから。砂田さんが『エンディングノート』で自らに課したルールはありますか?
砂田 撮影中は自分がいま回すべきだと思うときしか回さない。自分の生理に忠実にした。つくり手の視点になるとどうしても「ここは押さえておきたい」「撮っておきたい」というふうになるので、それが厭でずいぶん長いこと回せなかったんです。だけどそういう欲を完全に失くし、「別に何も映ってなくてもいいや」と腹を括ったら、どんどん回せるようになった。
清水 もし誰かに発注されていたら、そんなことはできなかったですよね。
砂田 「回せませんでした、ごめんなさい」とは言えないですもんね(笑)。
清水 でも、「ここは撮っておきたい」「突っ込んでおきたい」というつくり手の砂田さんと、「撮りたいときだけ撮ろう」という娘としての砂田さんがいて、すごく揺れるなか、それはきっぱりと前者を諦められたんですか。
砂田 そういうふうに揺れるだろうなと思って厭だったんです、撮りはじめは。
清水 どうしても欲が出る。
砂田 最後のほうはそういう葛藤自体が煩わしかった。完全に割り切ってからは、そういう葛藤すらもなくなって、ビデオをオンにしたら自分が撮りたい瞬間まですうっと撮れるし、ここまでだと思ったら自然にオフにできた。父の最後の5日間とかは特にそうですね。何を撮っていたか、正直覚えていなかった。編集したときに初めて何を撮っていたか思い出した。
清水 ちょっと違うかもしれないけど、僕も「書いている」という感覚は後半のころはなかった。「書かされている」というか、伝えなくてはいけないこと、残さなくてはいけないことを筆記者という役割として書いていただけなので、変なエゴはなかったです。
砂田 ブログが本という形になり、いま自分の手を離れ、読者に届いて、一般化、普遍化されたという感じはありますか。
清水 これが普遍化されているのかどうか、僕はいまだにわからないですね。最初は自費でつくって周りの人に配ればいいと思っていたけれど、自費出版はお金がかかるし、「逆に少しお金が入ってこないかなあ」と思って、知り合いの編集者に本として出版できるレベルかどうか訊いたんです。そうしたら「出版したい」と言ってくれて。でも、身内のクローズドで起こったことを書籍として出して読者がどう思うのかは、正直よくわからない。
砂田 私もまったく同じですね。もし、父が亡くなってすぐに周りから「まとめてごらんよ。作品になるかもよ」と言われていたら、たぶんこんな映画はつくれなかったと思う。無欲だったからできたと思うし、第一こんなに通らない企画はないだろうと思うから。
清水 企画?
砂田 これまでもドキュメンタリーの企画をたくさん企画会議に提出して、すげなく却下されていますが、「がんになった父を娘が撮った」なんて企画は絶対に通らないです。そういう期待をまったく持たずに今回はつくった。逆に今後はここまで自分の欲求に基づいてつくれることはないんじゃないかなと……。だけど『エンディングノート』の場合は、そこに限りなく近づけてつくっていかないと、たぶん嘘を見破られる。「誰のために、何のためにつくったの?」と疑問に思う映画がたまにあるので、そうならないように、と思っていました。
清水 そうですね。
砂田 それにしても、企画を決めている人たちというのは何を基準にして決めているんでしょうね?「売れるってなんだろう?」「何を根拠に言っているんだろう?」とよく思うんです。スティーブ・ジョブスに「これは売れない」と言われれば、そうかなと思えるかもしれないけれど(笑)、そのへんの人に何日も徹夜して考えた企画を「これは売れない」と即答されるなんて! 同じくらい悩んで「これはちょっと難しいね」って言われるならまだしも。……ごめんなさい、話がズレちゃった(笑)。
清水 いやいや、熱弁に聞き入ってしまいました(笑)。
哀しみを昇華するモーニングワーク
砂田 清水さんはブログ「がんフーフー日記」を、いつごろから本としてまとめようと思ったんですか。
清水 ブログは備忘録であったりメモであったり、友人たちに伝えておきたいことの伝言板として考えていたんです。ただ、書くのは仕事だし、もちろん好きだし、書くなら面白いものを書きたいという厭らしい欲も出てきて(笑)。それで、いつごろだったかな……、なんかこれ1冊にまとまるんじゃないか、とふと思ったんですよね。やはり「本」という形態が好きだし、ヨメの最後の1年間の軌跡を残したいなと。あと、生まれた子どもには母(ヨメのこと)の記憶がないので、完全ファイルとして渡してあげたい。関わってくれた友人知人に対しても、ともに生きた1年間弱という時間に「ありがとう」という感謝をこめたい。もちろんライターとしての欲もあって、強い作品になるんじゃないかなと思いました。
砂田 清水さんと私が似ているとしたら、私は形にしたいという想いが出てきて、でも「誰かがしてくれるまで待てない!」って。だから自分で始めた。
清水 (笑)同じ同じ。
砂田 「これは売れるとか売れないとかいう誰かの判断を待っている場合じゃない!」みたいなね。そういう意味では自分のためだったかな。やっぱり人間ってどうしても忘れていくじゃないですか。傷跡が……、傷がかさぶたになって、カチカチになって剥がれちゃう前に、やっておきたかったんです。
清水 僕も担当編集に「1年くらい置いてから作業にかかってもいいですよ」と気づかわれたのですが、いまやりたかった。やりきることでもって、次に進みたかった。かさぶたになってからだと遅いというか。
砂田 清水さんは周りの方に自分の素直な感情を見せることができる方ですか?
清水 泣き崩れたり、とか?(笑)
砂田 「思っていたよりも淡々としているね」と言われるとか。
清水 確かに雨に打たれながら大声で泣いたりとかはしてないですね(笑)。
砂田 (笑)映画『ノルウェイの森』のワタナベみたいな。
清水 そうですね、そこはね。
砂田 もちろん「ちょっと元気ないな」というのはあったかもしれないけど、本に書かれているようなシビアな状況を常に人に言える人だったのかなと思って……。
清水 うーん、100%ではないかもしれないけれど、変にオトナになったので、弱音は周りに吐くようにしていました。泣き言は人に言う、と。それでも100%の泣き言は伝えきれない。
砂田 私はぜんぜん言えなかったんです。
清水 そういう状況であることを、周りの方々は知っておられたんですか。
砂田 ええ、伝えていました。特に是枝監督はご両親を亡くされているから、いろいろと気づかってくれました。ただ、是枝監督含め、私の周りの人たちは愛のある突き放し方をするので(笑)、「大丈夫?」と過保護にする人はぜんぜんいなくて。「……あの、父が亡くなってまだ1カ月なんですけど……」と言わないと、忘れられてる?みたいな(笑)。
清水 「まだ生々しいんですけど! もうちょっと優しくして!」と(笑)。
砂田 ホント、ぜんぜん前と変わらなくて。それが私としてはよかったというのもあるんですけどね。ただ、ぜんぜん吐き出す術がなかった。それは周りがどうのというのではなく、私個人の性格の問題ですけど。家族で集まっても、姉は優しいというか、感情を包み隠さない人だから、父の話になろうものなら喋りながらホロリとなるんですが、私はぜんぜん淡々としていて、家族の前でもそういう気持ちを出せなかった。でも、逆にそれが一気に編集へのモチベーションとなった(笑)。
清水 ハハハ、わかります。じゃ逆に編集しながら泣いてしまったことは?
砂田 一切なかったです。
清水 へえ、そこはクールに?
砂田 編集初日はすごく心配だったんです。生前の父ともう一度対面するわけですから、どんな気持ちがするんだろう?と。でもやり始めたら、楽しくて楽しくて。
清水 じゃあ「To Do Listで構成してみよう!」とか?
砂田 ええ。「うちのお父さん、おもしろいな〜」「こういうオチ、ちゃんとわかってるね〜」みたいな感じで(笑)、編集しているときはまったく寂しくなかったです。
清水 亡くなられて4カ月後に編集に向かわれたということですが、それまでの4カ月はさすがに精神的に落ちたりしたんですか。
砂田 直後はすごく元気だったんです。1カ月くらいかな。「失恋のほうがぜんぜん厳しいな〜」と思っていたくらい。そうしたら、父が亡くなったあとで神父様に挨拶しに行ったときに、神父様が「私も母親を亡くしているんだけど、直後はぴんとこなかった。ゆっくり来るから気をつけるんだよ」とおっしゃって。「そうかなあ? 私はそうはならないんじゃないか」と思っていたんですが、言われたとおり、それはゆっくりとやってきました(笑)。
清水 わかります。僕も最初の2、3カ月はけっこう行けるなって感じだったんです。逆に「自分って冷たい人間かな」と思うほどで、冷静にこれからを考えていけるもんだな、と。でも途中から足下が不確かになっていくというか……。あとから来ますね、あれは。
砂田 不思議ですよね。
清水 直後は自分を護っているのかもしれないですね。そして少し和らいできたときに、ちょいちょいとなんか小さいのが来て、ある日ドカーン!と決壊させていくというか。
砂田 失恋は別れた直後の強いインパクト、衝撃がすごく強い気がするんです。ガンッ!と顔面パンチされたような。その痛みがすごく強いから、さすがにその瞬間には考えられないけれど、「必ずその痛みは引いていく」ということがわかる。打ちひしがれているんだけど、ある種の希望というか、絶対に時間がなんとかしてくれると思える。でも、今回の父の死はまったく出口が見えなかった。私の場合は、父親がいなくなって寂しいというよりも、「人って死んじゃうんだ」ということに対してのショックが大きかった。「自分も死んじゃうんだ。じゃあ、なんで人は生きているのかな」という……。あるとき紀伊國屋に行ったんです。うちの父は本が好きだったんですが、紀伊國屋に本がいっぱい並んでいるのを見て、「父親が何十年もかけて読みためた本の知識ってどこに行っちゃったんだろう?」と。あんなに一生懸命、目に見えないモノを体のなかに入れようとしていたのに。多くの人が毎日仕事をしながら何か成長していくわけじゃないですか。その努力ってなんだったんだろう?とか。「死んじゃったら終わりじゃない!」って。
清水 そうですよね、頭の中の知識とか意志とか想いとか愛する気持ちとか、どこに消えるんだろう?
砂田 それがむなしくて……。後からずっしりとやってきました。
清水 そのむなしさがあったにもかかわらず、編集作業をしているときは楽しかったとおっしゃっていましたよね。つまり、編集作業の前後で何か変わったのですか。
砂田 編集の最中は自分が何かを乗り越えようと思ってやっているという意識はなかったんです。ただただ無心だった。あとから振り返ると、その作業はある種の防衛本能として必要だったと思うし、清水さんもそうだと思いますが、もうひとりの父親を(作品の中に)つくってしまった、生み出してしまったわけで、それは消えないものだから、そういう作業をしたことによってある種の寂しさはすごく和らぎました。だからさっきみたいに話していて泣き出すなんてことはすっごく珍しいんです!(笑) 普段は感傷的になることはほとんどない。いまの正直な気持ちとしては、父が言っていたように70歳まで生きたというのは自然なことだし、本当に長生きしたと思っているから、そんなことでメソメソしているのは変だぞと。他の方がどのように悲しんでも、それは人それぞれでよくて、ただ私はもうそこで止まっていたくない。父の死の哀しみを超えて、もっと深いものに欲張っていきたいと。
清水 個人的なお父様を亡くされたという事実よりも、そこで感じられた生とか死のようなものをもっと突っ込んでいきたい、考えたいということですか。
砂田 そうですね。そこに留まっていると、ものをつくる人間として止まっちゃうなと……。是枝監督も『歩いても 歩いても』は自分のご両親のことをモチーフにしているんですよね。私はあの映画にリサーチの段階から関わらせていただいたんですが、そのこと自体はプレスを見て知った。ミーティングのときにも「これは僕の両親を想ってつくりました」的な話はまったくなかったから、プレスを読んで本当にビックリしたんです。あんなに淡々としている是枝監督ですら、何年か経って自分のある種の後悔を映画にしようと思うくらいだから、失った人の対する想いを何かしら作品にしていくのは、至極自然な気持ちなんだろうと思うんですよね。
清水 砂田さんのように自分が撮りためていた映像をこういう形でドキュメンタリー作品にする場合もあるだろうし、是枝監督のように寝かせて昇華させてひとつのフィクションを構築する場合もある。こういう作業って「モーニングワーク(喪の仕事)」というらしいですね。何かやることで、人は哀しみを昇華をさせているんですよね、きっと。
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