一人旅の至福① 2002年9月
2000年6月、仕事を辞めたあと、私は1年外国に行くと決めた。
実は出発間際まで迷っていたことがある。それは1年のロンドン滞在にするか、それとも年のバックパックの旅にするか、だ。
女でなければ、バックパックにしていたかもしれない。せめて過去に日本国内のバックパックの旅さえ経験していれば、決行できたのかもしれない。でも、やっぱり勇気がなくて、そちらを選ぶことができなかった。悔やんではいないが、今でも1年のバックパックをしていたらどんな経験や体験ができただろう、と思いをめぐらすことはある。
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2002年9月、1年の語学留学を終え、日本に帰る前に短い旅をした。
最初の到着地はイタリアのローマ、最後の出発地はモロッコのタンジール。
およそ18日間の旅の中で、前半はミキとユキミという友人と旅をし、後半はトモとヤスカという友人と旅をした。
その中間の5日間が、私の唯一のバックパックの一人旅だ。
イタリアのイスキア島にミキと渡り、翌朝に彼女がロンドンへ帰ってしまったあと、私は島をゆっくりと散歩して周った。
午前中はアラゴン城に行った。
ここは本島と小島を結ぶ220メートルの橋を渡ったその先の、岩礁の上にそびえ立つ高さ113メートルの古城で、建設はなんと紀元前474年。当時ギリシア人領であったシチリア島のシラクーザのジェローネ1世が、要塞として築いた。現在では城の中に住居、神殿、修道院、墓、食料貯蔵庫、刑務所、教会、ワイン醸造所、オリーヴ畑などがある。城というより小さな町のようで、特に「オリーブのテラス」の名のついた展望台からの眺めは最高だった。
一周してまた本島に戻ると、ランチのために適当なレストランに入った。
オーダーをしてから少しして、隣の席に一人の女性が座った。年齢は50代前半といったところ。カールされた豊かな金髪と、日焼けした肌に映える白のTシャツとパンツ、きりっとした瞳がとても印象的な人だった。
彼女は最初のグラスワインに口をつけると、私のほうを振り向いて「イスキアには一人で来ていらっしゃるの?」と声をかけてきた。私が「イエス」と言うと、それを機にぽつぽつと会話が始まった。
グロリアと名乗った彼女は私が「ロンドンに住んでいる」と言うと「私は(イギリスの)ドーセットで語学学校の校長をしているのよ。あなたみたいな日本人はあまり来ないけれど」と嬉しそうに笑った。
そしてランチの終わりがけに「ね、よかったら、夜ご飯ご一緒しない?」と私を誘った。
「私のホテルは、ほら、ここから見える、あのピンクの壁のホテルなの。時間はそうね、夕方6時くらいはどうかしら?」
私は「喜んで伺います」と言って、レストランを出た。そして夕方前にホテルに戻って、カプリ島で買ったばかりの麻のシャツとスカートに着替えた。
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6時ちょっと前にホテルに着いて、ロビーのソファに座っていると、グロリアが現れた。彼女もドレッシーな服装に着替えていた。
グロリアは「ホテルのレストランでいい? ここ、魚が美味しいのよ」と言い、ボーイに名前を告げた。すでに予約してあったのだ。
私は少しばかり緊張しつつ、彼女と向かい合って座った。そして料理とワインをオーダーしおえると、まずは互いのことを語り合った。
グロリアは18歳でイギリスからシリアに渡り、秘書の仕事をしているときに将来の夫に出会ったそうだ。その後、幸せな家庭を育み、子供と孫に恵まれ、10年前に夫に先立たれてからは1年に1回のイスキアへの一人旅が何よりのリフレッシュなのだと言っていた。
驚いたことに彼女は50代前半じゃなくて、65歳だった。私が「どうやってその美しさをキープしているんですか!?」と尋ねると彼女はにこりと笑って「そうね、とにかく日々幸せに過ごすこと」と言った。
「そして感謝するの。自分をとりまくものに。家族に。友人に。毎日笑って過ごしていれば、ずっとあなたも綺麗でいられるのよ」
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2本目のワインが半分ぐらいになったところで、グロリアはふと思い出したように言った。
「ねえ、あなた日本人だったのよね。ちょっと訊きたいことがあるの」
グロリアの話はこうだった。
彼女が10代の頃、日本人の女の子と英語で2、3回文通をしたのだが、その女の子が「My mother is very easy.」と書いてきたのだという。これは訳すと「私の母は、とてもふしだらだ」という意味になる。
「それを読んで、とてもショックだったのよ。でもあまりにパーソナルなことだから、どういう意味か、それ以上訊けなかったの」
私はそのセンテンスを頭に並べてみた。そしてすぐに気がついた。その女の子はきっと
「私の母は優しい」と書きたかったに違いないと。つまり「やさしい(優しい)」を和英辞書で引いて、「easy(易しい)」を使ってしまったのだと。
そうグロリアに説明すると、彼女は一瞬きょとんとした顔をしてから大笑いした。そしてこう続けた。
「よかったわ、今日、あなたに会えて。私、あの女の子が不幸な子供時代を過ごしていたんじゃないかって、もう何十年も思い続けてたの。胸のつかえが取れたわ」
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食後のデザートが出てコーヒーも飲み終わると、彼女が「チェック」とボーイを呼んだ。そして私が払おうとするのを制して、全額支払ってくれた。
グロリアは「あなた、まだ時間ある? ラウンジに行きましょうよ。ここピアノ伴奏でお客が歌うのよ」と言った。「つまりカラオケね」
その言葉を聞いて、「知っていますか? カラオケって日本語なんですよ」と言うと、グロリアは「まさか」という顔をした。間違いなく日本語であり、語源は「カラ=空」「オケ=オーケストラ」なのだと私が説明すると、彼女は「オー・マイ・ガッ!」と何度も言い「ずっとイタリア語だと思ってたわ。すごいわ! 新事実よ!」と興奮していた。
そして、ラウンジに向かう途中でひとりのアメリカ人に出会うと、彼を呼びとめ、
「彼は昨日ディナーを一緒にした人なの。こちらカオルよ。こちら……さん。ところで……さん、カラオケって日本語なのよ! あなた知ってた!?」とまくし立てた。
もちろん、ラウンジのピアニストにも、リクエストしがてら「ね、あなた、カラオケって……!!」と言っていた。
彼女にとっては「easy」の意味がわかったことより、「カラオケ」が日本語だったことを知ったことのほうが驚きだったに違いない(笑)。
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ラウンジでいくつかのカンツォーネを聴いたあと、私はホテルを辞した。
以来、グロリアとは一度メールを交換したきりだ。たぶんもう二度と逢う機会はないだろう。
二度と逢えない(逢わない)人と出逢うということ。短くも豊かな時間を共有するということ。そして逢えなくてもその記憶を持ち続けるということ。
私は初日でこの幸運に恵まれ、一人旅の至福を味わったのだった。
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