看取るということ。
母が祖母を看取ったとき、私は「自分が母を看取るときの予行演習をさせてもらった」などとわかったようなことをブログに書いたのだが、いま思う。そんなのぜんぜんできてへん!
正直、いま母がそろそろ逝くかもというので、心の蓋が外れそうなのを必死で押さえて生活している感じ。誰もが親を亡くすけれど、友人含め経験者はみなこんな想いをしていたのか、とあらためて敬服する次第です。
そんなわけで一昨日もまた眠れなくなって、当時のブログになんて書いていたのか探ると、こんなこと⬇を書いていた。そうか、昨年末に企画して取材した横浜・寿地区の山中修医師のこと、こんなところに書き残してたんだ。
そしてこのときの母はまだぜんぜん元気で、私はこのときに書いたような準備なんてできないまま、いま母を看取らなくちゃいけない。
◼︎2011年11月15日「看取るということ。」
昨日blogを開設し、mixiから祖母の死に関して書いていた2005年〜06年にかけての4本の日記を「家族」(カテゴリ)に移行した。
その際に、いまやまったくmixiにアクセスしなくなったライターのEさんが「予行演習は今日も続く。」に残してくれたコメントを読んだ。
彼は30代も終わりに近いころに自分の生命保険を掛け直した。「家が買えるほどの死亡時保険金を実質的に自分の葬式を出せる程度にまで減額し、月間の保険料を抑えた」という。
でも、彼は「そのとき、なんともいえない寂しさがよぎりました。」と続けていた。
──自分が死んだら、保険金で誰にも迷惑を掛けずに葬式をしてもらってそれでさようなら、という自己完結的な潔さは、けれど、やっぱり寂しい、と生きている僕は感じました。死にゆく自分を誰かに、悲しみをもって看取ってほしいし、できれば自分の死がその誰かの生活に少なからぬ影響を与えてほしいし、その影響の物理的な面だけでも、できるだけ穏やかにしてくれる十分な死亡保険金が支払われるように生命保険で備えておきたい。そういうのが、やっぱりいいなと思った。ずっと一人で生きていくことになるのかもしれないけれど、改めて、やはり大切な誰か、愛すべき家族と共に生きて、そしてそして彼らの想いのなかで、自らの死を迎えたい。──
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話は飛ぶが、昨年の4月、夕方のニュースで、ある医師の短い特集を放送していた。
日雇い労働者の町として有名な横浜の寿地区に「ポーラのクリニック」という診療所を開いた医師がいる。
山中修。1954年、三重県伊勢市生まれ。順天堂大学医学部卒業。89年から1年半、米国クリーブランドの病院に留学。92年から横浜市泉区の国際親善病院循環器内科部長。2004年、「ポーラのクリニック」開院。
山中医師は診療所を開いてから、高齢者の孤独死を食い止めようと日雇い労働者たちの住む簡易宿泊所(ドヤ)に往診に行っている。
そしてそこで人間関係を結べないまま一人で暮らす高齢者たちのそれまでの人生に耳を傾け、残された人生をどう生きたいのか相談に乗っている。
寿地区では「2日半に1人が孤独死する」(年間150人余)そうだ。彼はこの簡易宿泊所で、5年で38人の身寄りなき高齢者を看取った。つまり、その38人は「孤独死」ではなかったのだ。
番組中の、山中医師のこんな言葉が心に残った。
「人は死ぬときに饒舌になる。どんな人生だったかを、誰かに伝えたくなる。」
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最近、人の死を「看取る」ということについてよく考えているのだけど、つまりは、その人の生きてきた時間を肯定する、ということのような気がする。
ほとんどの人は、生きてきた時間を自分自身のみで肯定できるほど、強くないのではないか。妻が、あるいは夫が、あるいは子供が、あるいは孫が、(両親や祖父母が、というのは順番が逆で悲しいが、その場合も)、あるいは山中医師のように赤の他人だけれども話を聞く人が、最期の瞬間に自分のそばにいて、その「生」を肯定さえしてくれたら、迷わず成仏できるんじゃないかな、などと考える。
2006年3月、mixiの日記に私はこう書いている。
──祖母の最後の食事はなんだったのだろう。よく「死に際に食べたいものは何か」なんて話題があるけれど、その願いや希望どおりに最後の食事をできる人なんていないんじゃないか。祖母の最後の食事はこのホームの食事だ。母の作った料理でもなく、昨日の家族と囲んだ寿司でもなく、プラスチック容器にもられた、身内ではない人が作った料理だ。そのことを、やはり哀しいと思う。──
私は母とあと何回食事ができるのだろう。私は母に、どのような最後の食事を提供してあげられるのだろう。祖母の死でさせてもらった予行演習を無駄にせずに、母の死を看取ってあげられるだろうか。
などと考えるのは、いま健康な母にたいへん失礼なのだが、母も母で自分のパソコンに「遺言書」というファイルは作成してるわ、旅行に行くときに「私が死んだら読んでね」と銀行の通帳、株、生命保険、海外旅行保険のことから葬式の仕方まで指定したメモを置いていくわ、お互い様だったりする。