漫画原作者・宮崎信二さんインタビュー Vol.4 〜原稿用紙をペンで削る、そこに加わる感情が人を感動させる。〜
──本名で初めて原作を書かれた作品は?
宮崎 かわぐちかいじさんと組んだ『YELLOW』ですね。
──本名では他に、真壁太陽さんと『ダブルソウル』、山口陽史さんと『トンビ』、山口正人さんと『漂流の街』、内山まもるさんと『シオン』などを書かれていますね。
宮崎 『漫画ゴラク』でけっこう何作もやらせてもらったんです。最終的には『漂流の街』ですが、それまでに、秋田書店で『トンビ』、『ダブルソウル』を。少年誌で原作を描くというのも初めての経験で、面白かった。平行してフリーの編集者はずっと続けて、単行本も何冊かやりました。
──どんな単行本ですか。
宮崎 野島伸司が原作の絵本とか。ワニブックスから依頼が来て、イラストレーターを探して……。伊藤理佐さんの『やっちまったよ一戸建て!!』とかの一連の双葉社作品もやりました。
──現在はフリーランスの編集者であり、原作者であるということですね。
宮崎 そうです。
──子どものころに漫画家になりたいと思っていたと仰っていましたが、実際に描かれていたのですか?
宮崎 コマ割りまでいかないんですよ。
──イラストは描かれていた?
宮崎 そうですね。コマ割りで動かすまではいかなかった。そこまでの才能はなかった(笑)。あと、編集者を辞めないのは、人の才能が好きなんですよ。それは決定的です。かわぐちさんには「だからダメなんだよ」って言われますけど。
──どういう意味ですか?
宮崎 「自分が一番好きじゃなくてどうするんだよ」と。作家は自分が一番好きじゃないとやっていけないんですよ。でも、原作者というのは逃げ道がある。最終的に画面に世界を作り出すのは漫画家じゃないですか。漫画家は最終表現者だから、僕はその漫画家を好きでないとできない、というところに逃げ込んでいます(笑)。
──かわぐちかいじさんの『太陽の黙示録』は、プロッターとして参加されているとお聞きしました。
宮崎 プロッターというよりは、シナリオ協力者という感じです。方法としては、まず、かわぐちさんのアイデアをもとに編集者を交えてブレストする。次に僕が原稿を起こし、かわぐちさんがその原稿を取捨選択しながらネームをつくるんです。僕の原稿どおりのときもありますし、ばっさりと変えることもあります。もちろん変える場合はかわぐちさんから連絡がある。最後にできあがったネームを見て、そのネームをまた判断する、という、かなり細かい作業をしています。言ってみれば「シナリオを書く座付き編集者」ですね。
──なるほど。ちょっと特殊ですね。原作者として現在『マイダスの薔薇』以外に手がけている作品はありますか?
宮崎 準備中のものはあります。
──宮崎さんにとって「漫画」の魅力は?
宮崎 漫画でしかできないことがある、ということですね。かわぐちさんがよく言うのは「映画にできないものを描いているんだ」と。以前、村上もとかさんの『岳人列伝』が単行本になったときに、「どうしてこういうものを描こうとしたんですか?」と尋ねたら、「漫画でしかできないことをやりたいなと思ったんですよ」とおっしゃったんです。小池一夫さんが原作を書かれた『首斬り朝』という罪人の首を刎ねる男の話で、その刎ねられた首がパーンと宙に飛んで、笑いながら泣いているという感動的なカットがある。村上さんが言うには「これは漫画でしかできない。小説でここまで想像させることは不可能だし、映画でやったら単に気持ちが悪いだけだ」と。『岳人列伝』には、「これがオレたちの最高の笑顔だ」と、生きている人間と死んで冷たくなった人間が肩を寄せて自動シャッターで撮影をするシーンがあるんですが、そのラストカットが描きたくて、あの物語を逆算して考えたというんですよ。
――……すごい話ですね。
宮崎 なかなか面白いでしょう。漫画にしかできないこと、漫画でしか表現できないこと。それが我々が目指すべき道なんでしょうね。
──その話で言うと、ラストカットなり、罪人の首が刎ねられたカットなり、漫画家にとって描きたい一枚があるとしますよね。それは原作者としても同じことなんでしょうか。つまり、漫画でしかできないことを模索していく、クリエイトしていく姿勢はいつも感じていますか?
宮崎 そうですね、心がけるようにしています。僕の原作は台詞や文章がぐだぐだ長いので、よく「小説を書かないんですか?」と言われるんです。でも僕は自分の描くストーリーを表現する最上の方法は漫画だと思っている。自分の文章を読者がそのまま読むよりは、絵になっているものを読んで欲しいし、きっと面白いはず。一番不得意なのは、漫画家が決まらずに原作を書き進めないといけないこと。漫画家が決まっていると、ここでこういう絵を描いてほしいと思って、ストーリーを書いたり台詞を書いたりできるので。
──宮崎さんの頭の中にも絵が見えているということですね。
宮崎 そうですね。編集者には「台詞もストーリーも長くてつめこみすぎ」と怒られるますが、漫画家には「コマ割りしやすい」と褒められることもあります(笑)。
──原作者の方というのは、編集者あがりが多いんですか? それとも原作者を最初から目指してなる人も増えているんですか?
宮崎 いまはそういう人も増えているかもしれませんが、我々のころは漫画家を目指していて、でもシナリオを書くほうが得意で原作者になる人とか。シナリオ塾に通う人もいましたよ。
──たとえば原作者として、この人の絵で描いてもらいたいという逆アプローチはあるんですか?
宮崎 それもありますけど、僕の場合は組んだ人間に惚れるタイプなんですよね。来るもの拒まず(笑)。でも、『マイダスの薔薇』に限っては「金井さんにぜひ!」と思ってお願いしました。僕はわりとカッチリとした絵を描く人が好きなんです。個性が先立っている人は原作付きには不向きで、それよりは絵がキレイというか、線が美しい人のほうが向いている。僕は組んだ作家さんに恵まれていると思います。かわぐちさんとも組めましたし、内山まもるさんにも長いこと描いていただきました。今度組みたいのは誰か?ともし聞かれたら、新人と組みたいですね。
──注目している書き手はいますか?
宮崎 すごいなと思う作品はあります。山口貴由さんの『シグルイ』、三浦健太郎さんの『ベルセルク』、浅野いにおさんの『素晴らしい世界』とかね。僕は手塚漫画で育っていますが、やっぱり大友克洋さんがデビューしたときに衝撃を受けました。手塚さんの流れや文法とはまったく違った人が新しい地平を切り拓いていくんだ、という感慨があった。そこから始まった新しい流れは確実にあると思います。
──宮崎さんは「漫画」というものが今後どのように受け継がれていくと考えていらっしゃいますか?
宮崎 僕はこれだけ子や孫を産んだ表現媒体ってなかなかないと思うんですよ。漫画を読んで、漫画家にならずとも、小説家や映像作家になった人がいる。アニメやゲームも漫画の副産物です。今後はその素晴らしき遺産からのフィードバックが出てくるんじゃないかな。
──『マイダスの薔薇』を含め、漫画が紙ではなく、パソコンや携帯画面で見ることに関してはどう思われますか?
宮崎 画面を見るまでは、正直、ダメなんじゃないかと思っていたんですよね。だいたいケータイ画面で漫画を見た最後は仕事で携わった4コマ漫画で、1コマ1コマ見る、それがケータイの限界だと思っていた。ところが『マイダスの薔薇』を見たら、緻密で驚いた。僕の知らない間にケータイ画面の再現能力があがったんだなあと(笑)。スクリーントーンもつぶれないで見えますからね。若い人たちが音楽ライブの待ち時間で音楽を聴くかわりに、携帯で漫画を見るようになってきたのも頷けます。
──では、漫画が手書きではなく、パソコンで描かれることに関しては?
宮崎 パソコンの絵で読者が満足するというのは一部だと思うんですよね……。僕は漫画というのは、原稿用紙の上をペンがカリカリと削っていく、そういう生理的な欲求を持つと思う。たとえば娘は最近のアニメの『ドラえもん』が好きじゃないというんです。デジタル化が進んで、カラーリングが均一になってくると、隙はないけれど、非常に平板な絵に見えます。漫画もそうで、やはり人間が圧力をかけて原稿用紙を削っていく、そのインクや墨で描かれるひとつの線に加わる感情というものがある。そこに人は感動するんだと思うんです。
──線に加わる感情……。
宮崎 かわぐちさんの原稿を応接室で待つときに、奥の仕事部屋からかわぐちさんのペンの走る音が聴こえるんですよ。それはもう、非常にぞくぞくして、気持ちがいい。編集者の特権ですね。デジタルはまだ万能ではなくて、人間の力でないとできないこと、描けない世界というのがあると思う。漫画は、これからも変わるのではなく、広がるのでしょう。いいことだと思いますよ。(了)
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