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どんなあなたでもいいんだよ

「どんなあなたでもいいんだよ。」

これは、乳がんになったときに一番自分に言ってあげたかった言葉。でも、その当時は、自分ではなく両親に言ってもらいたかった。今考えると、本当に夢みたいな期待を抱いていたなと思うけど、その時の自分はどうしようもなく悲しかったし、過去の自分も救われなかった気がして、かわいそうでならなかった。
もっとちゃんと愛されたかった。謝ってほしいとも思っていた。心の底からそう願っていた。

スピリチュアルな探求と癒しへの執着

30代半ば、スピリチュアルな世界に足を踏み入れた。過去の私が癒されたら、心も体も楽になれる。人生がもっとうまくいくかもしれない。自分が感じていた生きることへの閉塞感や気分のアップダウンがなくなるのかもしれないと、感じていた。

とあるセラピーでは父とのトラウマを言い当てられた時、心の奥で動かないように閉じ込めていた何かが反応した。見えない波動の癒しの力を感じた時には体が軽くなり、滞っていたエネルギーが流れ出すのを確かに感じた。癒しの力を持つことへの憧れが一気に芽生えて、見えない力にも引き寄せられるようになった。

インナーチャイルド、ヒプノセラピー、いろんなセラピーに興味を持ち、セッションを受けたり、関連書を読んだり、講座に通ったりした。不定愁訴もあって、20代の頃から頭痛に悩まされていたけど、原因は体ではなく心にあるのではないかと考え始めた。私の出しきれていない悲しみが頭痛として表現されたり、言葉として表現できていない滞りが咳として現れていたり、心と体がつながっているという考えに惹かれて、あらゆる講座に通った。

でも、そこには落とし穴があった。人は思考でフォーカスするものが現実に拡大してしまう。過去のトラウマを癒せば幸せになれる、そんな思い込みが強くなりすぎて、逆にその癒しに固執するようになっていった。

親への期待と裏切り

そんな中で乳がんの告知を受けた。自分が信じるものができて、それを必死で握りしめていた頃だった。しばらくして実家にそのことを伝えた。
すると、父親から返ってきた言葉は「そんなことより、早く子供を作りなさい」だった。
その言葉は、あまりに衝撃的だった。

その時即座に怒ることはできなかった。
もやもやしながら家に帰ったけど、途中で怒りが爆発して、
家に着く頃には湯気が出るほどだった。
電話で怒りをぶつけたけど、父親には何も伝わらなかった。
それが余計に悲しかった。

まだまだ私は、親に愛されたいという期待を抱いていたことがわかった。
テレビで見ていたような家族愛。それをずっと心のどこかで追い求めていた。それが父親の一言で、やっぱり無理なんだと現実を突きつけられた。
期待していた家族愛の温かい愛はなく、代わりに冷たい現実がそこにあった。

どんな自分でも受け入れる

今なら、過去に戻ってあの時の自分にも、今の自分にも、こう言ってあげたい。「どんなあなたでもいいんだよ」。
親とわかり合うかどうかは、もはや別の次元の話。

ようやく、私が私自身を信じて、過去の苦しみや期待から、自由になることができた気がする。



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