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聖宮崎駿ルパン三世作品論集成 第7回「ルパンの福音」

【カトリックアニメ信仰】

friend [frénd]
[中期英語 friend,frend,古期英語 frēond 友,恋人,親族〔もとは frēogan(⇀FREE)の現在分詞;ゴート語 frijōn「愛する」と同語源〕;ドイツ語 Freund と同語源]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

イマーゴ信仰(オマージュ信仰)が受肉した名シーン

天軍七隊 権天使(Principalities)
ヨハネによる福音書の冒頭に出てくる「はじめに、ことばがいた。」の「はじめ」にあたる言葉である。

クラリスUP
はじめてルパンの名を口にする
悲しみの中にもさわやかな解放感がある
一本送を
つっぱしるフィアット

クラリス  ルパン・・・
      きっと
      きっと
      又、あえるわ

スタジオ・ジブリ 絵コンテ全集第Ⅱ期「ルパン三世 カリオストロの城」

imago Dei 〔L.〕
神の似姿〔カトリック教会〕
〈91学術・キリスト教〉

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

hom・mage/Fr. ᴐmaʒ/
〖フランス〗
〓オマージュ《芸術家・作家・作曲家などに捧げる敬意;その敬意を表した作品(の献呈);→ homage》.

『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』 大修館書店

聖宮崎駿が創作したルパン三世の福音

副題 カトリックコミュニケーションの必要性


序文 (1 1-18)
はじめに、ことばがいた。
ことばは、神のもとにいた。
ことばは、神であった。
この方は、はじめに神のもとにいた。
すべてのことは彼を介して生じた。
彼をさしおいては、なに一つ生じなかった。
彼において生じたことは、命であり、
その光は人々の光であった。
その光は闇の中にあって輝いている。
闇はこの光を阻止できなかったのである。

神のもとから遣わされて、一人の人が登場した。
その名はヨハネ。
この人は証しのため、あの光について証しするために来た。
すべての人が彼を介して信じるようになるために。
この人は光ではなく、あの光について証しするために〔の人であった〕。
〔彼の証ししようとした光が〕本物の光であった。
それは、この世の来て、すべての人を照らしている。

〔その光であることばは〕世にあり、世は彼を介してできたが、世は彼を知るにいたらなかった。
自分に属するもののところに来たが、彼に属する人々は彼を受け入れなかった。
だが、彼の名を信じる人々には、神の子供たちとなる権能を与えた。
彼らは血〔統〕からではなく、肉〔なる人〕の意志からでもなく、人の意志からでもなく、神から生れたのである。

ことばは肉〔なる人〕となって、われわれの間に幕屋を張った。
-われわれは彼の栄光を、父から〔遣わされた〕ひとり子としての栄光を観た-
〔彼は〕恵みと真理に満ちて〔いた〕。

ヨハネは彼について証しし、〔次のように〕言って叫んだのであった。
「私が『自分の後から来ようとしている人は私より優れたものとされている。私より先にいたから』
なぜなら彼の充満の中から、われわれは皆、恵みに代わる恵みまでも受けたからである。
律法はモーゼを介して与えられ、恵みと真理はイエス・キリストを介して来たからである。
神はいまだかつて誰も見たことがない。
父の胸中にいる、ひとり子なる神、この方こそが解きあかした。

岩波書店「ヨハネによる福音書」

Act 1
Thunder and lightning.Enter three Witches
First Witch
When shall we three meet again   
In thunder, lightning, or in rain?
Second Witch
When the hurlyburly's done,
When the battle's lost and won.
Third Witch
That will be ere the set of sun.
First Witch
Where the place?
Second Witch
Upon the heath.
Third Witch
There to meet with Macbeth.
Second Witch
Paddock calls.
Third Witch
Anon.
ALL
Fair is foul, and foul is fair:
Hover through the fog and filthy air.

Exeunt

Macbeth by William Shakespeare

ゴートの謎

ルーペのぞいているルパン
ン!となって 見込む。

ルパン  ・・・!?

ルーペの中
拡大された銀の山羊、見事な彫刻、
(線描して ハーモニック方式)
↓左下へ動くと
角の内側に不可思議な文字とローマ数字が彫られてある。
のぞく ルパン
ナメて 次元

ルパン  この文字は死滅したゴート文字だ・・・

次元
一寸のり出し

次元   ゴート文字・・・?!

(二人の前に皿とナイフとスプーンアリ)
山羊の角のupにルパンのoffかぶる

ルパン  光とカゲ再び一つとなりてよみがえらん・・・
     1517年

スタジオ・ジブリ 絵コンテ全集第Ⅱ期「ルパン三世 カリオストロの城」

二人秘そやかに会話してる

ルパン  年号はローマ数字だ
次元   400年前の代物か

と左より大きな皿に山盛のスパゲッティ肉ダンゴがドンとおかれる
オッとなる二人

    おまちどうさま

↓ カカル

ルパン  おっうまそう  

ルパン、娘から皿に目うつし
次元も、はやくも体を皿に正対させつつスプーンフォークをとる。
娘はルパンの方を見てセリフ

    ずいぶん熱心ね。
     何見てるの

セリフ中にルパン娘を見上げ、次元ははやくも皿にフォークとナイフを突き立てる。
ルパン、気さくに指輪をしめしセリフ、後ろの男の目チロっと動く
むすめ身をひきつつ指輪をのぞき

ルパン  ナアニ、古い指輪をひろったんでね
     ねうちものかなって・・・

スタジオ・ジブリ 絵コンテ全集第Ⅱ期「ルパン三世 カリオストロの城」

のがれてイスにあえぐクラリス
つらい
大公家とて無実でない事をしっている。
クラリス ナメの伯。

伯爵   それを知らぬとは云わさぬぞ
     ↓
     お前もカリオストロの人間だ。  
     その身体には俺と同じ古いゴートの血が流れている・・。

クラリス あえぎの肩の動きあり
     もう泣きそう
     たえきれず顔そむけ
     耳をおおう

スッとカリオストロがiNする。
のしかかるように

スタジオ・ジブリ 絵コンテ全集第Ⅱ期「ルパン三世 カリオストロの城」

「ルパン三世 カリオストロの城」に於いて最大のキーワードは「ゴート」であった。
もちろんこのストーリーはホンモノ以上と称えられた「ゴート札」を巡って始まる。
そして有名なスパゲッティ肉ダンゴのシーンで「ゴート文字」が登場する。
それは死滅したゴート文字と言われていた。
銀の指輪と金の指輪を合わせたつなぎ目には「ゴート文字」の伝承文が彫られておりローマの街は湖底から出現することになる。
又、カリオストロ伯爵はカリオストロの人間に古いゴートの血が流れていると発言している。

ルパン  ジッと見込み

ルパン  つなぎ目にゴート文字が彫ってある・・
     光とカゲ・・・・を・・・

更に近づけ解読しようとする
指輪のUP。
二つの指輪のフチかざりが文字をかたちづくっている
ルパン 読めない・・目細めつつ
と、クラリスの声が朗読するように流れる

クラリス 光とカゲをむすび・・時つぐる
     ↓
     高き山羊の陽にむかいしまなこにわれをおさめよ

ルパン、アレッとそっちをみる
クラリスの横顔
暗読しているように読む
ルパンキョトンの目パチしてる
クラリス、ルパンみる

スタジオ・ジブリ 絵コンテ全集第Ⅱ期「ルパン三世 カリオストロの城」

いよいよ大詰めへ 改訂分

ルパンなめのクラリス

クラリス 昔から私の家に伝えられてる言葉です。
     お役に立ちますか。

ルパン顔かがやかせてのり出し

ルパン  上出来だ!
     謎はとけたぜ。

とその時、ピカッと光りが二人つつむ

ルパン  ・・・・!

ハッと左みるルパン
クラリスも。
サーチライト(透過光)をともした水雷艇がまっしぐらに進んで来る。

スタジオ・ジブリ 絵コンテ全集第Ⅱ期「ルパン三世 カリオストロの城」

ここで「ゴート」に関して確認しておきたい。

ゴートじん【ゴート人】
Gothi; Gothen; Goths
⇨ゲルマン民族の一部族。定住地ウィスワ河口から2世紀後半に黒海方面へ移動を始め,黒海北部(現ウクライナ)に居住したものを東ゴート人,黒海北西部(ドナウ,ドニエストル両河間の地域)に達したものを西ゴート人という。(1)東ゴート人 部族国家は⇨エルマナリック王のとき全盛に達したが,375年フン民族に征服された。フン民族の王アッチラの死後,457年に独立し,ローマ人の同盟者となった。その後⇨テオドリック大王は東ゴート人を率いてイタリアに入り,ゲルマンのオドアケルを破って,493年イタリア半島全域を征服,東ゴート王国を建設した。しかし大王の死後,王位をめぐる内紛などで 555年滅亡。(2)西ゴート人 376年フン民族に追われてローマ領内に入り,バルカン半島を奪い,378年アドリアノープル(現エディルネ)の戦いで東ローマ軍を破り,382年モエシアに定住,ローマ人の同盟者となった。ギリシア,イタリアを経て 415年ヒスパニア(イベリア半島)に入り,西ゴート王国を建設。 475年エウリック王のときヒスパニアの大半を領有,ローマからの完全独立を宣した。 711年北アフリカから侵入してきたイスラム教徒によって滅亡させられるまでヒスパニア支配権を保持。西ゴート諸王はローマ系住民とゴート人との融和に努め,ローマ,ゲルマン両法の要素を合せた『西ゴート法典』編纂は画期的な業績であった。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

ゴートご【ゴート語】
Gothic language
ゴート人の言語。そのうちの西ゴートの言語が4世紀の司教ウルフィラスの翻訳した聖書から知られるにすぎない。ゴート語の名のもとに,普通この聖書の言語をさす。 1560年頃,クリミヤ半島でおよそ 86語のゴート語の単語句が採集されたが,現在は死語。インド=ヨーロッパ語族ゲルマン語派の東ゲルマン語に属する。古い語形をよく保っていたことから,印欧語比較法に重要な資料となっている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

ゴート‐ご【ゴート語】
《gothic》インド‐ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属する言語。4世紀半ばに西ゴート人の司教ウルフィラがギリシャ語から翻訳した聖書を主な文献とする。ゲルマン語の古い姿を伝えているが今日では消滅した。

『大辞泉 第二版』 小学館

ゴート語
ゴートご Gothic
インド・ヨーロッパ語族のゲルマン語派のうち東ゲルマン語に属し,現在は死語となっている。ゴート語の話し手であるゴート人は,1世紀の初めころまでに,南スウェーデンからバルト海をはさむ対岸のビスワ河口地帯に移住し,さらに東ゴート,西ゴートに分かれて南下し,2世紀の中ごろには黒海沿岸に到達したが,ゴート人のこのような早い時期におけるギリシア文化圏との接触により,4世紀の中ごろには西ゴートの司教ウルフィラによって聖書がギリシア語からゴート語に翻訳された。この聖書は,現在残されているゴート語資料の主要な部分をなしている。ゴート語の他の資料としては,スキーリーンスと呼ばれるヨハネ福音書注解の断片,ゴート語のカレンダーなどきわめてわずかなものしか残っていない。また,時代は下るが,16世紀に入って,クリミア半島のゴート語86語が記録されている。ゴート語はその記録の古さから,特に文法の面で,ゲルマン語の多くの古い特徴を残している。             
斎藤 治之

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「ゴート札」と「ゴート文字」、「古いゴートの血」とはここからどのように考察されるだろうか?

先ずカリオストロ伯爵が言った「古いゴートの血」とはゴート文字成立以前を指していると思われる。
何故ならルパン三世が指摘したようにゴート語は死語になっている。
しかしその痕跡はギリシャ語からゴート語への聖書翻訳の痕跡として残されている。
国民国家の成立と文化社会の成立は聖書の翻訳によって形成された国民文学によっている。
そういう意味で死滅したゴート文字は聖書翻訳を経た言語であったのです。
そのような言語により形成されたゴート人とは真の「ゴートの血」を指し示している。
何故なら「イエス・キリストの肉」は「真実の食べ物」であり、「イエス・キリストの血」は「真実の飲み物」であるからです。
それは「命のパン」を指し示しているのです。

アーメン、アーメン、あなたがたに言う、信じる人は永遠の命を持っている。私は命のパンである。あなたがたの父祖は荒野でマナを食べた。そして死んだ。これは、天から降って来るパンである、人が食べると死なないように。私は、天から降った、活けるパンである。人がこのパンをたべるなら永遠に生きることとなる。

私が〔将来〕与えることになるパンは、世の命のための私の肉である」。
するとユダヤ人たちはお互いに激しく議論し始めた、「この男はいったいどうやて[自分の]肉をわれわれに食べさせることができるのか」と言って。
そこでイエスは彼らに言った、「アーメン、アーメン、あなた方に言う。人の子の肉を食べ、その血を飲まないなら、あなたがたは自分のうちに命を持っていない。私の肉を食らい、私の血を飲まないなら、あなたがたは自分のうちに命を持っていない。私の肉を食らい、私の血を飲んでいる人は永遠の命を持っており、私は彼を終りの日に蘇らせることになっている。私の肉は真実の食べ物であり、私の血は真実の飲み物だからである。私の肉を食らい、私の血を飲んでいる人は、私のうちに留まり、私も彼のうちに留まっている。生きている父が私を遣わし、私が父のゆえに生きているように、私を食らっている人も私のゆえに生きることとなる。これは天から降ったパンである。父祖たちが食べて死んだようにではなく、このパンを食らっている人は永遠に生きることとなる」。
これらのことをイエスはカファルナウムで教えていた時、会堂で言ったのであった。

岩波書店「ヨハネによる福音書」

「ローマ数字」と「湖底から現れたローマの街」はローマ系住民とゴート人の宥和政策があったためだろうと考えられる。
そして「ゴート文字」によって「ローマの街」が出現する演出は殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「奇跡」を示しているのだろう。
又、「ゴート語」とは「ギリシャ語」から聖書を翻訳したことによる言語形成であって殉教者(確信性の確保)を象徴している。

何故ならばそれは「ヨハネによる福音書」の序文に示された通りだからです。

「はじめ」とは「神とことば」であり「イマーゴ(神の似姿)とロゴス(恵みと真理)」であるからです。
「ゴート語」は殉教者(確信性の確保)であり得るだろう証しであった。

ルパンの福音

ルパン三世は「福音」をクラリスへ齎した。
それは殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「余地」を得ることです。
「余地」とは一般に「悔い改め」と「隣人愛」を言います。

殉教者(確信性の確保)に対するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)とは「特殊詐欺」でしかありません。

何故ならば殉教者(確信性の確保)とは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」を形成し「真実への愛」を齎すことだからです。
「真実への愛」とは「イエス・キリストへの愛」を示しています。
そして「真実への愛」とは「知への愛」であり「哲学」を示しています。

コンフィデンスマン(倒錯性の支配)はそういった「愛」を歪めます。
殉教者(確信性の確保)をコンフィデンスマン(倒錯性の支配)とすることは「虚偽」を「真実」とすることです。

「真実への愛」は「知への愛」です。

しかし「虚偽への愛」は「詐欺師の愛」です。
「詐欺師の愛」はコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーです。

コンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーとは何ですか?

例を挙げるとすれば「マニア」とは「聖アニメファン」の資質であったのです。
一方で「マニア」とは「ヲタク人」の習性でもあった。
この2つの「マニア」は全く別物であり「似て非なり」であったのです。

前者の「マニア」は「神的霊感」であったり「神の贈り物」としての「神的狂気」を言った。
これは「皇室」の「マニア」を示していて、「カトリックエレクト」の資質であったのです。
そしてこのように「皇室」とは殉教者(確信性の確保)を根拠として形成されたのです。
殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「聖アニメファン」とは「高度な精神的姿勢ユーモア」なのです。

後者の「マニア」は「熱中する人」や「躁うつ病」を示していた。
これはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の習性であった。
コンフィデンスマン(倒錯性の支配)である「ヲタク人」とは「お下劣」なのです。

マニア
(1)mania「狂気」の意のギリシア語。 entheos(神的霊感を受けている),enthousiasmos(神的霊感)と密接な連関をもつプラトン哲学の主要概念で,病人の狂気とは異なる神の贈り物としての神的狂気をいう。マニアは有限的存在,死すべき存在としての人間に日常性,時間性の軛を断って永遠的なるもの(価値,イデア)と出会う超越的な力を与える。神によりマニアに与えられたものとして mantikē(予言術),oiōnistikē(占い術),mousikē(ムーサの神にかかわる文芸,技芸),erōtikē(エロスにかかわる術)があげられる。

(2)一般に,1つのことに熱中する人をさす。(3)⇨躁うつ病のこと。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

かくしんはん【確信犯】
Überzeugungstat; Gewissenstat
宗教的教義や政治的信念,道徳的確信に基づいて行われる犯罪であり,社会の変動期に政治犯罪として表われることが多い。確信犯人は,自己の行動が現行の法秩序に違反するという自覚はもちながら,より高い次元の法の理念を実現しようとする点で,犯罪動機を抑止する反対動機の形成が期待できないところに特徴がある。したがって,刑罰の威嚇力や行刑による改善効果が疑問視され,一般の犯罪者とは違った特別処遇の必要性が説かれてきている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

げ‐れつ【下劣】
人柄や考え方が下品で卑しいこと。「—な考え」

『広辞苑 第六版』 岩波書店

げれつ【下劣】
♦下劣な
mean; ⦅文⦆ base
◾下劣な品性
a mean [sordid] nature
◾彼女の服の好みは下劣だ
Her clothing is in vulgar taste.
◾下劣な男
a cad/a despicable fellow

『プログレッシブ和英中辞典(第3版)』 小学館

そううつびょう【躁うつ病】
manic-depressive psychosis
感情障害を主症状とし,周期的経過をとり,のちに人格障害を残さないことを特徴とする精神病で,統合失調症とともに二大内因性精神病といわれる。循環精神病ともいう。⇨感情が高揚し,意欲は亢進し,思考が飛躍する躁病と,反対にふさぎこむ⇨うつ病(→うつ状態)という2方向の病的感情が,日常生活からは明らかに区別される病期として交互に現れ,経過後には完全にもとの人格に戻る。発現頻度は全人口の 0.4%程度で,うつ病相だけが表れる型がかなり多い。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

躁病(ソウビョウ)
[英] mania
[独] Manie
[同義語] 【マニア】
躁うつ病の躁病相と同義に使われることが多いが,うつ病相を伴わない純粋の躁病も稀ではあるが存在する。躁病(躁うつ病)の発生率はおよそ0.5%前後,時点有病率は約0.2%といわれる。感情障害全体でみると女性に多いが,躁うつ病(躁病)では男女の比率は変わらない。発病年齢は20~30代にピークを認める。主な症状は以下のようなものである。①爽快気分,高揚した気分(躁性気分障害)が中心だが,易刺激性,易怒性を伴うことも多い。②思考面では次々と観念がわき起こり,このために話はまとまらず一定の目標に向かって話すことができない(観念奔逸),話の内容が誇大的かつ妄想的になる(誇大妄想)。③意欲面,行動面では多弁,多動となり,じっとしていられず手当たり次第に行動する(行為心迫)。さらに程度が強くなると興奮状態(精神運動興奮)に至る。また,金使いが荒くなったり,逸脱行為(性的,社会的逸脱)がみられることも多い。④睡眠欲求の減少,早朝覚醒などの睡眠障害,食欲・性欲の亢進,体重減少などの身体症状。病相の経過は,初めから躁・うつ病相を繰り返すものと,初めのうちはうつ病相(稀に躁病相)のみを示し後に躁うつ病に移行するものとがある。長期の経過をみると,病相期の長さは年を重ねるにつれて長くなり,病相間欠期は短くなる傾向がある。治療は抗躁薬(気分安定薬)であるリチウム,バルプロ酸中心で行われ,約7割の躁病は治療および予防が可能である。
(511046)

『医学書院 医学大辞典』 医学書院

sca・tol・o・gy /skætáləʤi | ‐tɔl‐/
—〓 〓 [軽蔑] 糞尿嗜好(文学), スカトロジー.

『ルミナス英和辞典(第3版)』 研究社

「高度な精神的姿勢ユーモア」のあり方は「ヒポクラテスの誓い」としてもとても有名です。

Hippocratic Oath (hip′ō‐krat′ik ōth).

誓い
大槻マミ太郎 訳

後代きわめて重要視されるようにになった『誓い』も、文献上では、紀元一世紀のローマの医師スクリボニウス・ラルグスの言及がはじめてであり、紀元前に言及した人は一人もいなかった。しかもこの世紀は、大ローマ帝国の頽廃が底なしに進むか一方でこれと反比例したきびしい精神の再高揚がはかられ、医学精神のルネッサンスも行なわれた時代であった。しかもそれがヒポクラテスの名と結びついたのである。しかし実際は、『誓い』の前半部分の師弟の誓いと後半部分の医師の戒律・守秘義務は、全集の内容からみて、ヒポクラテス医学派内でとくにきびしく守られたとはどうしても考えられない。しかしここには、遠く古代ギリシアのホメロス以来高く評価されてきた医術とさらにその後の前六〜五世紀中心にギリシアをおそった精神革命の嵐のなかででき上がったヒポクラテス派の医学と、したものが誰かによって作成され、紀元一〜二世紀ローマ時代のヒポクラテス全集刊行時に全集の中に差し込まれたとみることもできよう。とにかく『誓い』には、かまびすしいソフィスト時代以前の古きギリシアの医学精神状況が基調になっていることは否定できない。

医神アポロン、アスクレピオス、ヒュギエイア、パナケイア、およびすべての男神・女神たちの御照覧をあおぎ、つぎの誓いと師弟誓約書の履行を、私は自分の能力と判断の及ぶかぎり全うすることを誓います。

この術を私に授けていただいた先生に対するときは、両親に対すると同様にし、共同生活者となり、何かが必要であれば私のものを分け、また先生の子息たちは兄弟同様に扱い、彼らが学習することを望むならば、報酬も師弟誓約書もとることなく教えます。また医師の心得、講義そのほかすべての学習事項を伝授する対象は、私の息子と、先生の息子と、医師の徒てに従い師弟誓約書を書き誓いを立てた門下生に限ることにし、彼ら以外の誰にも伝授はいたしません。

養生治療を施すにあたっては、能力と判断の及ぶかぎり患者の利益になることを考え、危害を加えたり不正を行なう目的で治療することはいたしません。

また求められても、致死薬を与えることはせず、そういう助言も致しません。同様に婦人に対し堕胎用のペッサリーを与えることもいたしません。私の生活と術ともに清浄かつ敬虚に守りとおします。

結石患者に対しては、決して切開手術は行なわず、それを専門の業とする人に任せます。

また、どの家にはいって行くにせよ、すべては患者の利益になることを考え、どんな意図的不正も害悪も加えません。とくに、男と女、自由人と奴隷のいかんをとわず、彼らの肉体に対して情欲をみたすことはいたしません。

治療のとき、または治療しないときも、人々の生活に関して見聞きすることで、およそ口外すべきではないものは、それを秘密事項と考え、口を閉ざすことにいたします。

以上の誓いを私が全うしこれを犯すことがないならば、すべての人々から永く名声を博し、生活と術のうえでの実りが得られますように。しかし誓いから道を踏みはずし偽誓などすることがあれば、逆の報いを受けますように。

出典 エンタプライズ1985「ヒポクラテス全集」

confidence n.
信頼、確信
confidence in ~
~を信頼[確信]すること
The doctors had confidence in the amputation of the patient’s right leg.
医師団はその患者の右足切断には自信があった。
confidence that…
…という確信
The surgeon has every confidence that he will succeed in the operation.
外科医はその手術に成功するものと確信している。
confidence to do
~する確信
The surgeon had no confidence to operate the cancer patient.
外科医はその癌患者の手術をする自信がなかった。
with confidence
確信をもって
The physician asserted with confidence that the condition was not endocrinologic.
医師は、自信をもってこの状態は内分泌異常のためではないと断言した。

『医学英語実用語法辞典』 メジカルビュー社

certain a.
確信している、確かである ⬄uncertain
be certain that[wh―]…
…であること[かどうか]を確信している
One can be quite certain that other factors are important.
他の因子が同様に重要であることはまったく確かである。
It is certain that[wh―]…
…であること[かどうか]は確かである
It is almost certain that the virus has come from somewhere in the Far East.
そのウイルスが極東のどこからか来たことはほとんど確かである。

『医学英語実用語法辞典』 メジカルビュー社

コンフィデンスマン(倒錯性の支配)を強制されることによって「心的外傷」を受け「PTSD」を発症することはフロイト精神分析のヒステリーと同じであるだろう。
このヒステリーは「聖アニメファン」に特有であり「ヲタク人」には発症しない。

posttraumatic stress disorder (PTSD)〓
心的外傷後ストレス障害(①通常,ふつうに人間が人生を送る上では経験しないような心的外傷体験の後に生じる特徴的な症状であり,このなかには原因となった外傷体験の反復する再体験や外傷を思い起こさせるような刺激の回避,外的刺激に対する無感覚,様々な自律神経機能障害および認知障害,不快気分が含まれる.②DSM診断の1つで特定の診断基準を満たせば確定する).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

しんてきがいしょうごストレスしょうがい【心的外傷後ストレス障害】
post traumatic stress disorder; PTSD
外傷後ストレス障害ともいう。アメリカ精神医学会の『精神疾患の診断・統計マニュアル(第3版)』 Diagnostic and Statistical Mannual of Mental Disorders(1980)に初めてこの名が記載された。それによると,自然災害,事故,強姦や虐待などの犯罪,さらに戦争といった,人が通常経験する範囲をはるかにこえた強い⇨心的外傷を受けたあとに発症する精神障害で,症状が1ヵ月以上続くものをいう。症状が心的外傷体験直後から1ヵ月以内にとどまる急性ストレス障害 acute stress disorder(ASD)とは区別される。第1次世界大戦後の元兵士のショック症状(⇨戦争神経症)や,ベトナム戦争後のアメリカ帰還兵の社会不適応の研究・治療から PTSDの実態がわかり,詳しい研究が始った。日本では 1995年1月の兵庫県南部地震後に自殺者が多発したことから注目されるようになった。具体的な症状としては,夢や錯覚,幻覚,フラッシュバックなどに象徴される外傷体験の繰返し,無感動,無関心といった外傷体験の記憶の抹消,さらに不眠,集中力低下などの亢進状態も認められる。治療にはカウンセリング,精神療法などが必要とされ,抗うつ剤や抗不安剤を使う場合もある。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

「極悪非道」が「愛されキャラ」なのです。
コンフィデンスマン(倒錯性の支配)は「愛されキャラ」とされ「可愛い」又は「カッコいい」とされる。
このようなコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を「真実」とする「詐術」が横行していきます。

「学生バイトのノリ」といった表現はコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を「愛されキャラ」とする「詐術」なのです。
それは「ハンカチ王子!」と同様です。
それは「悔い改め」と「隣人愛」に対するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)となっているのです。

例えば庵野秀明監督はこのように公に告白しました。

「私はうつになりました!」

しかし私は庵野秀明監督の「うつ病」に違和感を感じていました。
その謎は「マニア」にあったのです。

「マニア」は「芸術的託宣」としての「神的霊感」であったり「神の贈り物」としての「神的狂気」を意味していました。
一方で「マニア」とは「一つのことに熱中すること」や「躁うつ病」のことも示していた。

前者の「マニア」は「芸術家の才能」を意味し、後者の「マニア」は「ヲタク人の確信犯グループ」を意味していました。

又「芸術家の才能」とは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」への殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「悔い改め」と「隣人愛」を持っていた。

一方で「ヲタク人の確信犯グループ」とはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーへの崇拝であった。
それは「悔い改め」と「隣人愛」に対するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だった。

しかし庵野秀明監督の「マニア」とは「神的霊感」や「神の贈り物」としての「神的狂気」とは全く違っていた。

何故それが大問題だったかと言えば庵野秀明監督は「ヲタク芸術グループ」のフラッグシップだったからです。
庵野秀明監督が単なる「ヲタク人の確信犯グループ」であるのなら、聖アニメファンは庵野秀明監督に対して「芸術家(マニア)」に対するオマージュ(イマーゴ)を懐くことが決して出来ない。

そうなると「ヲタク芸術グループ」の主張は「完全なデマゴギー」と判断される。
彼らの「ヲタク芸術綱領」は全てデマゴギーだったと言えるのです。
デマゴギーの証しは「芸術の不成立」を意味している。
「ヲタク芸術」は虚飾だった。
それは「詐欺」だったのです。

庵野秀明監督が突如言い出した「うつになりました!」の告白とは「芸術的託宣」を持った「芸術家(マニア)」の主張ではなかった。
庵野秀明監督の告白は「ヲタク人の確信犯グループ」の「悪癖」であり「古典的詐術」だった。
それはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーでした。
庵野秀明監督は「悔い改め」と「隣人愛」に対するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だった。

コンフィデンスマン(倒錯性の支配)を「真実」としていく「新興宗教モドキ」は過去に多く実例がありました。
早稲田大学スーパーフリーサークル事件もコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を「真実」とした「異端教団」の犯罪でした。
学生はコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を盾にすることで「凶悪犯罪」を犯していきました。
学生はコンフィデンスマン(倒錯性の支配)が「最大のタブー」となっていることを見越して凶悪犯罪を実行していった。
彼ら学生は文化社会の足元を見ていたということです。

本来であればコンフィデンスマン(倒錯性の支配)から「学生」を守護する聖域が大学であった筈です。
何故なら大学とは殉教者(確信性の確保)であり得るだろう聖域であったからです。

これは殉教者(確信性の確保)とコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の間に存在する「最大のタブー」を見事に利用した完全犯罪でした。
彼ら学生はコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だったのです。
学生たちは「最大のタブー」を最悪に利用することで最悪の学生犯罪を長期間に渡って行っていました。
この事件の発覚は大きな衝撃を日本に引き起こした。

しかしこの事件の発覚が意味しているものは「最大の罪」と「最大の罰」であると言えます。
「最大のタブー」を破った学生たちは「最大の罪」を犯しました。
彼ら学生は「最大の罪」の報いとして「最大の罰」を受けなければなりません。
「最大の神罰」が彼ら学生に下ることを願っています。

そういった「最大の神罰」とは「悔い改め」と「隣人愛」に対するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)へ下ります。
何故ならば「最大の神罰」は「罪人」ではなく「THE DEVIL」へ下るからです。

「悔い改め」と「隣人愛」を持った「罪人」は「愛」を持っている故に「黙示録」で救済される。
一方で「悔い改め」と「隣人愛」に対するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)は「愛を持った罪人」ではなく「末法思想」の「THE DEVIL」であって「愛」を持つことは絶対にないのです。

それ故に「黙示録」では「愛を持った罪人」は救済され、「末法思想」の「THE DEVIL」は地獄へ落とされるのです。

これは「ヒポクラテスの誓い」にも書かれていることです。

又、ハルキストと呼ばれる信者を世界中に多く生み出している村上春樹作品もコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を「真実」とする「異端教団」を形成しています。
村上春樹の作品はコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を「真実」として「国民文学」を冒涜しているに過ぎない。
「聖書」を倒錯することで「村上春樹作品」は書かれているのです。

両者とも早稲田大学出身であるところが不思議な共通点となっています。
早稲田大学にはなんらかのコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の「思考」が存在しているようです。

それは早稲田大学の「模範国民の育成」にあると私は思います。
早稲田大学が主張する「模範国民」とはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の「産物」であったのです。
何故なら早稲田大学生が「模範国民」である根拠が全く判明ではありません。
早稲田大学生が「模範国民」であることについて説明責任を果たす必要がある筈です。
これは村上春樹作品も同様です。
村上春樹も作品の説明責任を全く放棄しています。

マスメディアは村上春樹作品の「意味不明」を「難解」で「奥深い」と宣伝して賛美しています。
そういったコンフィデンスマン(倒錯性の支配)は「ヨーゼフ・ゲッベルス」を想起させます。
コンフィデンスマン(倒錯性の支配)とは「最高悪崇拝」であった。
これはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を「真実」とする宣伝活動であって「狂気のデマゴーグ」の出現となっている。

例を一つ挙げれば狂気の「ハンカチ王子!」の連呼のようなものです。

早稲田実業高校とは何だろうか?

早稲田大学生は何故か「模範国民」であり「ハンカチ王子!」でした。
あの「ハンカチ王子!」もヨーゼフ・ゲッベルスと同様のコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であって犯罪キャンペーンでした。

何故ならば「早稲田スーパーフリーサークル事件」の余波のコントロールが「模範国民」の早稲田大学生にとって必要とされていたからでしょう。
しかしそれはすべての国民にとってバカバカしい話なのです。
早稲田大学の「模範国民」のために国民全てが冒涜されたコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の卑劣な犯罪キャンペーンと言えるからです。
要は「愚民政策」だったのです。

日本のマスメディアは毎日新聞社系以外全滅です。
要は日本のマスコミは毎日新聞社系だけなのです。
何故ならば他のマスメディアはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だからです。

これは私の個人的認識であって当然「異論」はあるでしょう。
ただ私の考えを公にすることは読者諸君のコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を禁忌とする「思考」に役立つと考えています。
何故ならこれが「説明責任」であり「公共性」だからです。

「公共性」とは殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「余地」によりコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を禁忌とする「思考」となることです。
そういった意味で公共放送NHKの「公共性」とは「有名無実」なのです。
ただ公共放送NHKは「受信料」を国民から「税金」のように徴収しているだけなのです。
その一点において「公共性」なのです。
要は「税金放送NHK」であっただけなのです。
「税金放送NHK」に於いてコンフィデンスマン(倒錯性の支配)が「公共性」とされている。
これは「オウム真理教」が形成した「カルト集団」と同様と言えます。

有名無実(實)
(ユウメイムジツ)
名前だけがりっぱで、実質がそれに伴わないこと。〔三国志、呉志、趙達伝〕

『新漢語林』 大修館書店

今、日本はヨーゼフ・ゲッベルスと同様のコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の犯罪キャンペーンばかりです。
「公共性」とは殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「余地」によりコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を禁忌とする「思考」なのです。
マスメディアに「公共性」がなければ当然コンフィデンスマン(倒錯性の支配)であって犯罪キャンペーンとなるのは必定なのです。

ゲッベルス
Goebbels, Paul Joseph
[生] 1897.10.29. ラインラント,ライト
[没] 1945.5.1. ベルリン
ナチス・ドイツの宣伝相。織物工場の職工長の家に育ち,事務所の給仕をするなど不遇な少年時代を過し,また小児麻痺のため下肢が不自由になり,兵役を拒否された。カトリック財団の奨学金を得て,ボン,ハイデルベルク大学などに学び,1922年ドイツ哲学の研究で博士号を得た。 25年にナチス党左派指導者 G.シュトラッサーの秘書となり,26年入党,ルール地区の指導者となった。シュトラッサーと A.ヒトラーとの対立が深まるとともに,同年末にはヒトラーに忠誠を誓うようになり,ベルリン地方の党指導者に任命され,シュトラッサーから離れた。 28年国会議員,29年党宣伝部長として,新しい宣伝手段を駆使し,巧みなデマゴギー(→デマゴーグ)を使い,30年代の党勢拡大に大きく寄与した。 33年にナチスが政権をとると,国民啓発宣伝相,文化院総裁として文化面を完全に統制し,国民を戦争に動員した。最後までヒトラーに忠実で,彼が自殺した翌日,首相官邸の地下壕で妻子とともに自殺した。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.
ゲッベルス(1935頃)

ゲッベルス 1897‐1945
Joseph Goebbels
ドイツの政治家,ナチス党員。ミュンヘン,ハイデルベルク大学で哲学,文学を専攻,1921年文学博士。25年ナチス党に入党,30年以降,全国宣伝局長。33年3月,国民啓発・宣伝担当の大臣に就任,新聞,ラジオ,映画,演劇,造型美術,音楽の統制を実施。42年2月ベルリンのスポーツ宮殿で総力戦を呼びかける演説を行い,44年以降,総力戦遂行の最高責任者。45年5月敗戦直前に自殺。
中村 幹雄

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ただ同情するわけではありませんけれどコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を説明する「能力」とは「無理の超越」となってしまいます。
何故ならばそれは「超能力」とされているからです。
「超能力」は一言で評して「エニグマ」となります。
ただ「エニグマ」とは「特殊詐欺」とも言います。
意図的に説明不可能とされているからです。

殉教者(確信性の確保)に対してコンフィデンスマン(倒錯性の支配)は「全知全能感」を形成します。
そういった「全知全能感」とは「超能力」とされます。
ただそういった「超能力」とは「八百長」であって「特殊詐欺」です。
アメリカでは八百長クイズ番組が暴露され社会問題になったことがありました。
「クイズの解答」を知っていれば「全知全能感」は容易く形成されます。
それは「自転車の鍵」と大して変わりません。
「鍵」を持っているかどうかの違いでしかないからです。
あれもこれも「八百長」だったのです。

enig・ma /InÍgmə, ɛ―/
―n (pl ~s, ―ma・ta /―tə/) なぞ;なぞめいた話[文章];なぞの人;不可解なこと.
[L<Gk ainigmat― ainigma (ainos fable)]

『リーダーズ英和辞典(第3版)』 研究社

e・nig・ma [əníɡmə]〓
―n. (pl. e・nig・mas,e・nig・ma・ta[~tə])
1 なぞ,不可解な出来事[状況].⇨PUZZLE〓:〓
2 なぞの人,正体のつかめぬもの:〓
3 (なぞめいた)言葉,質問,絵;なぞなぞ.
4 ⦅E―⦆ エニグマ:1920年代初期にドイツで開発された暗号機械;当初は民間用に製造されたが,第二次世界大戦中ドイツ軍や枢軸国軍に幅広く使用された.
◊[音楽]Enigma『なぞ』Elgar の変奏曲作品36番(1898).
[1539.<ラテン語 aenigma なぞ<ギリシャ語 aínigma なぞ(aînos「寓話(ぐうわ)」の派生語 ainíssesthai「なぞめいた言葉で話す」より)]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

何故ならコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の「凶悪犯罪」である故に「犯行の自白」がないなら「詳細な説明」をすることは実際に困難です。
知り得ないものに対して「全知全能感」を持つことは「超能力」となります。

そして「エニグマ」を使用したコンフィデンスマン(倒錯性の支配)はその「最大のタブー」を最悪に利用して凶悪事件を起こすのです。

人間には二種類いるということなのです。
一種類目は殉教者(確信性の確保)です。
二種類目はコンフィデンスマン(倒錯性の支配)です。
人種が違いのかも知れません。

しかしそれを最悪に利用したアドルフ・ヒットラーは自らをアーリア人と主張しコンフィデンスマン(倒錯性の支配)による殉教者(確信性の確保)への大虐殺を行ったのです。
それがかの有名なユダヤ人大虐殺(ホロコースト)です。

こういった最悪な凶悪犯がそう簡単に完全な自白をする筈がありません。
そういう意味で「共犯関係」も構築され易く犯罪天国となっていくのです。

最悪の凶悪犯の自白において「完落ち」はあまり例はなく、「半落ち」も極めて少ないでしょう。
ヨーゼフ・ゲッベルスも全く自白しなかったのです。
彼は「知らぬ存ぜぬ」で「無知」を主張したのです。

ヨーゼフ・ゲッベルスは「無知」のコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だった。
一方でソクラテスは「無知」の殉教者(確信性の確保)だった。
この両者は「無知」に於いて対象的であって全く異なっていました。

むちのち【無知の知】
Bewusstsein des Nichtwissens
⇨ソクラテス哲学を特徴づける有名な言葉。哲学者(愛知者)という意味でのギリシア語 philosophosは,ピタゴラス,ソクラテス的意味では,神だけが知者 sophosであるとの立場から,知者でないがゆえに知 sophiaを愛求する有限的存在としての人間の本質規定であった。したがって philosophiaは,いわゆる賢者や知恵の本性が神と比すれば無にも等しいものであることを明らかに自覚することに始る。本来的な知のイデーのもとにおける自己の無知の自覚が無知の知にほかならず,ソクラテスの優越は,だれよりも深くこのことにおいてすぐれていたことによる(『ソクラテスの弁明』)。しかも無知の知は,消極的側面にとどまらず,かえって迷妄をはらし真実の知への扉を開くのであり,かかる自覚を自己の本質的契機としてこそ,「能うかぎり神に似ること」が philosophosの目標として措定されることになる。それゆえにまた教育者としてのソクラテスは,人々にこの自覚を与え本来的な知のイデーヘ視座を転換するように努めるのであり,そのことはプラトンの対話篇に印象的に示されている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

コンフィデンスマン(倒錯性の支配)の犯行の場合には「証拠」と「証言」が絶対に必要となります。
このようにこれらの事件には「立証責任」が必要となります。
だから厳しい事件捜査となることは必定となったのです。

「全知全能感」を持つ「超能力」とはマンガの世界観であって「根拠」がありません。
一方でサイエンス・フィクションの世界観は「知」に対して「一定の根拠」を提供します。
そこがマンガとサイエンス・フィクションの決定的違いです。

ナメック星人が創造する「ドラゴンボール」に「根拠」はありますか?

鳥山明「ドラゴンボール」はマンガであってコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の賜物でした。
「根拠」がありません。
それは「根拠」が「循環論証」であることを示しています。
そういった「根拠」の「説明責任」は不可能であったのです。
何故ならば「論理上の虚偽」だからです。
よって作品のインフォームド・コンセントは決してなされません。
このようなマンガとは「カルト作品」といいます。
他では庵野秀明監督「新世紀エヴァンゲリオン」も有名な「カルト作品」です。

循環論証
論理上の虚偽の一つ。Aの事柄を論証するための論拠として用いられるBの事柄が、Aを論拠としていなければ論証できないという場合をいう。
例えば〈神は存在するということは聖書に書いてある。しかるに聖書は神の言葉である。ゆえに神は存在する〉という類の論証

『岩波哲学小辞典』 岩波書店

一方で聖宮崎駿が創作した「ルパン三世」はサイエンス・フィクションであって殉教者(確信性の確保)の賜物だった。
それは「根拠」の「説明責任」が果たされることを示しています。
このような作品はコンフィデンスマン(倒錯性の支配)と対立関係にあります。
何故ならそのようなコンフィデンスマン(倒錯性の支配)は殉教者(確信性の確保)に対する冒涜(最高悪)として存在するからです。
よって作品のインフォームド・コンセントはなされることは当然でした。
聖宮崎駿監督作品とは「カトリックアニメ信仰」だったのです。
他では毎日新聞社系(TBS含む)も殉教者(確信性の確保)であり得るだろう企業理念を持っていると見做されます。
※SONYも殉教者(確信性の確保)であり得るだろう企業理念と思われる。

informed consent (in‐fōrmd′ kŏn‐sent′).
インフォームドコンセント(目的,方法,手段,有益性およびリスクについて説明を受けた後に,ある調査,ワクチン接種計画,治験,侵襲的医療などへの参加に対し,ある個人ないし患者の法的代理人(親など)によって行われる任意の同意.インフォームドコンセントの必須の条件は,本人が知識と理解の両者をもつこと,同意は強制や不当な圧力なしで自由に行われること,いつでも中止できる権利があることを患者に伝えてあることである.疫学的および生物医学的な研究に関連したその他のインフォームドコンセントの内容,およびそれを得る際に直面する条件についてはInternational Guidelines for Ethical Review of Epidemiologic Studies (Geneva: CIOMS/WHO 1991)およびInternational Ethical Guidelines for Biomedical Research Involving Human Subjects (Geneva: CIOMS/WHO 1993)に示されている).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

だから彼らのバカがバレたということはハッキリしました。
何故ならコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であっても「バカはバカ」だからです。
彼らコンフィデンスマン(倒錯性の支配)は「凶悪」であるだけです。
彼らの頭が良いということもない。
彼らが特に優秀ということもない。
彼らはただ凶悪だった。
そしてそれは「最高悪崇拝」だったのでした。
それは「悔い改め」と「隣人愛」に対すコンフィデンスマン(倒錯性の支配)だった。

今度、村上春樹に会った人がいたら「バカ男!(倒錯動物!)」と罵ってやっていいと思います。
それは早稲田大学スーパーフリーサークル出身学生も同様です。
「お前らバカがバレたんだよ!」と罵ってやっていいと思います。

彼らは「コミュニケーション」が不可能であって「動物」以下の「倒錯動物」であったことが判明してしまったのです。
彼らには優れたところが何もなかった。
彼らはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であるだけでただ凶悪でした。
彼らはバカのクズでした。
彼らのコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のコミュニケーションとは「変態ゲーム」のようでした。
このような「倒錯動物」を「人間動物扱い」してはいけないと言うことです。
「悔い改め」と「隣人愛」に対するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)は「愛」を持たない。
彼らは「地獄行き」です。

このような彼らはインフォームド・コンセントを拒否する医師のようです。
そういったコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を「真実」とする「異端教団」が早稲田大学の正体であったと言えます。
「異端教団」とは「倒錯動物園」だったと言えます。
「倒錯動物園」の「危険動物」が彼らでした。

殉教者(確信性の確保)に対してコンフィデンスマン(倒錯性の支配)は「マウンティング」で応じたのです。
「コミュニケーション」への「マウンティング」とは「黒ミサの儀式」です。
「呪術崇拝と偶像崇拝」が支配する「異端社会」です。

「はじめ」には「神とことば」があります。
それは殉教者(確信性の確保)です。
その「神とことば」を「呪術崇拝と偶像崇拝」へ倒錯させるのです。
しかしコンフィデンスマン(倒錯性の支配)には「おわり」しかありません。

「はじめ」とは「神とことば」であって「黙示録」となります。
一方で「おわり」とは「呪術崇拝と偶像崇拝」であって「末法思想」となるのです。
何故ならば「神とことば」を冒涜するだけの「異端社会」となるからです。

それは古来「バフォメットの偶像崇拝」と言われています。
「バフォメットの偶像崇拝」とは「神」に対する「マウンティング」であり「倒錯動物」の「悪魔崇拝」でありました。
殉教者(確信性の確保)を倒錯したコンフィデンスマン(倒錯性の支配)が「倒錯動物」の「最高悪サタン崇拝」として扇動されるのです。
これは「イエス・キリスト」に対して「堕天使ルシファー」が召喚されたと言えます。
「堕天使ルシファー」は「最高悪サタン」と言われています。

Sá・tan・ìsm, s― /―ṭənÌzṃ, ―tṇ― | ―tən―, ―tṇ―/
―n.
1 悪魔主義 (diabolism), 悪魔崇拝; 悪魔的行為[傾向].
2 悪魔教, 悪魔崇拝⦅特に, 19 世紀後半のフランスで悪魔を神としてキリスト教をあざけり, その典礼を滑稽に模倣して黒ミサ (Black Mass) と称する儀式を行って神を冒涜(ぼうとく)したこと⦆.
3 悪魔派 (Satanic school) の特徴.
〖⦅1565⦆: ⇨―ism〗

『新英和大辞典 第6版』 研究社

サタン
Satan
ヘブライ語 Sātānに由来し「敵対する者」を表わす。旧約聖書では「敵」「仇」など人間について用いられた例も多いが,『ゼカリヤ書』(3・1~2),『ヨブ記』などユダヤ教後期の聖典では,超人間的存在とされている。しかし,旧約聖書では,これもヤハウェによる試練として人間に課されるものであり,新約聖書にみられる超自然的「⇨悪魔」としてのサタンの観念は,善悪二元論に立つペルシア宗教の影響である。新約聖書では,サタンは神の計画の成就を妨げ,キリストを試し,信仰者を誘惑するものとされるが,ここでも神と二元的に対立するものではなく,最後には神の支配下におかれ,滅ぼされる。イスラム教でもユダヤ教,キリスト教,ゾロアスター教などの影響を受け,悪をなすシャイタン(サタン)を教義のなかにもっている。これらは古来文学や絵画などで描かれ,ルキフェル,メフィストフェレスなどは有名である。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

móunt・ing¹〓

1a登る[乗る]こと.
b〖動〗マウンティング《群れの中の順位を確認するための通例雄の(疑似)交尾行動》.
2 備えつけ, 装備;〖軍事〗砲架.
3 (写真・絵などの)台紙;(宝石の)台;表装.
4 (機械部品の)取り付け金具[器具].
―〓ますます増える.

『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』 大修館書店

マウンティング行動とは「人間動物(ペルソナ)」を前提にした人間社会にとって「最大のタブー」となっている。
ただこのように人間社会が「人間動物(ペルソナ)」を前提にすることにそもそもの無理があったのです。

何故なら「人間動物(ペルソナ)」とは殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「高度な精神的姿勢ユーモア」だったからです。

一方で「マウンティング行動」とは「人間動物(ペルソナ)」に対する「倒錯動物」の冒涜行動です。
このような「倒錯動物」には「愛」は存在せず「最高悪」とされます。

「人間動物(ペルソナ)」の存在を前提とした人間社会にとって「倒錯動物」の存在は「最大のタブー」となっている。
これは「人間動物(ペルソナ)」の存在が「均等」ではないという現実を倒錯してしまった「人間平等の理念」に欠陥があったからと言える。

要は誰しもが「人間動物(ペルソナ)」であるという「人間平等の理念」を前提にはできないという現実である。
それは人間社会が「人間動物(ペルソナ)」の存在を当たり前とした認識が完全に間違っていたことを示しています。
人間社会を形成している構成員は「人間動物(ペルソナ)」である筈という根拠のない判断が完全に間違っていたのです。

要は「呪術崇拝と偶像崇拝」によらず「人間動物(ペルソナ)」であるという証しが説明責任として必要なのです。
説明責任とは「神とことば」への殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「告白」としてあります。

殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「告白」を持たない「ヒト型とヒトのことば」が「呪術崇拝と偶像崇拝」であった場合に「人間動物(ペルソナ)」の証しは全くあり得ません。
その「ヒト型とヒトのことば」は「倒錯動物」であると判断されます。

「ヒト型」であるように見えても、「ヒトのことば」を喋っているように見えても、「呪術崇拝と偶像崇拝」であるのなら「人間動物(ペルソナ)」ではなく「倒錯動物」であるのです。

そのような「倒錯動物」は「人間社会の構成員」にはなり得ない。
「倒錯動物」であった早稲田スーパーフリーサークル出身者やコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を「真実」とする村上春樹作品のように処分の対象となるのです。

又、このような「ヲタク芸術」で有名なのは庵野秀明監督の「新世紀エヴァンゲリオン」です。
この作品は「ヒト型とヒトのことば」がテーマだった。
「使徒」と呼ばれる「人類の敵対者」は「ヒト型」から程遠い奇っ怪な風体をしています。
しかしこれは「ヒト型とヒトのことば」を「神とことば」に倒錯させる「神演出」としてありました。
そういった「神演出」とは「神とことば」に対する「ヒト型とヒトのことば」の「マウンティング」を意味していたのです。
そして「呪術崇拝と偶像崇拝」によって形成された「異端社会」による支配を目論んでいた。
「新世紀エヴァンゲリオン」とは「人間動物(ペルソナ)」に対して「マウンティング」する「倒錯動物」を「ヒーロー」として超人気作品となりました。

しかしこれは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」に対するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーの「マウンティング」でありました。
実際に「新世紀エヴァンゲリオン」とは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」に対する「冒涜行為」でした。

聖宮崎駿監督に対しても露骨に「マウンティング」していく庵野秀明監督とは「倒錯動物」であり「人間社会の構成員」と言ってはいけない存在だった。

本来であれば庵野秀明監督が制作した「ヲタク芸術」とは「人間社会」から追放され処分の対象となるべきコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーでした。
何故ならば庵野秀明監督は「倒錯動物」であって「人間動物(ペルソナ)」ではないからです。

以前にも書きましたが「ヲタク人」とは「動物」以下の「倒錯動物」と言えるのです。
庵野秀明監督は「神とことば」(ロゴス)に対して「ヒト型とヒトのことば」(呪文)で「マウンティング」する。

これは大きな事実です。

「神とことば」(ロゴス)が「カトリックコミュニケーション」であり、「ヒト型とヒトのことば」(呪文)とは「カトリックコミュニケーション」に対する「マウンティング」(支配)であるからです。
それは殉教者(確信性の確保)に対して「マウンティング」するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)となっています。

それは「デマゴーグの支配」を意味しています。

例えば庵野秀明監督は「ウルトラマンタロウ」を名作と評価しました。
私はここに「神とことば」(ロゴス)ではなく「ヒト型とヒトのことば」(呪文)を見出しました。

聖宮崎駿は「神とことば」(ロゴス)によって作品を創作します。

一方で庵野秀明監督は「ヒト型とヒトのことば」(呪文)によって作品を制作します。

庵野秀明監督とは「呪術崇拝と偶像崇拝」のアジテータでしかなく才能の欠片もないのです。
何故なら「偶像と呪文」を制作することを作品としているからです。
どういうことかを簡単に説明するには先程指摘した聖宮崎駿監督との比較が簡単です。

聖宮崎駿監督は「はじめに、ことばがいた。ことばは、神のもとにいた。ことばは、神であった。・・・」となり殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「余地」となっています。
一方で庵野秀明監督は「はじめに、呪文がいた。呪文は、偶像のもとにいた。呪文は、偶像であった。・・・」となり「呪術崇拝と偶像崇拝」になっています。

このような「呪術崇拝と偶像崇拝」のあり方は有名な「バフォメットの偶像崇拝」であるでしょう。
「バフォメットの偶像崇拝」は「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」ではなく「異端」です。
先ほども指摘しましたがこういった「異端」はコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーでしかありません。
そのような「異端」とは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」の「才能」はなく、「詐術」の「才能」を示しています。

何故ならば「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」が才能であって、「呪術崇拝と偶像崇拝」のアジテーターはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であり「異端」であり「スカトロジー」だからです。

コンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーを売りつける「ストーカー」とは「痴漢」でしかありません。

もっとわかり易く言えば「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」に対して穢いつばを吐きつけていく冒涜行為が「才能」である筈がないのです。

庵野秀明監督とは「芸術愛のパン(イエス・キリスト)」に対して穢いつばを吐きつけていく下品な「倒錯動物」と言えるのです。
それが「異端児」です。
しかし「異端児」とは決して自慢できる存在ではありません。
それは「詐術」の「才能」と言えるからです。

庵野秀明監督が書いた「作画」はどれも「虐殺シーン」や「破壊シーン」ばかりだった。
庵野秀明監督はそれを「才能」だと自慢していた。
しかし彼の「才能」はアニメーションの根幹である筈の「生命の受肉」に対して倒錯しています。
庵野秀明監督とはアニメーションの「生命の受肉」に対して「死神」となっているのです。
「ヲタク芸術グループ」とはアニメーションの「生命の受肉」に対する「死神」だったのです。
ここに衝撃の事実が明らかになった。

タロットカード13番「DEATH」

アニメーション
animation
生命のない物体や絵に,あたかも生命が宿っているかのような動きを与える技法。またはその技法で得られた映像。この技法は,エミール・⇨レイノーが 1888年に開発した装置,テアトロ・オプティークによってある程度完成されていたが,この独特な装置によらず,映画の機械装置でそれを実現したのは,1906年に『愉快な百面相』を発表したスチュワート・ブラックトンや,08年『ファンタスマゴリー』を発表したエミール・コールであり,したがって彼らが,今日の一般的なアニメーション映画の創始者とされている。アニメーション映画は⇨コマ撮りの方法によっており,その素材には絵や切り紙,影絵,人形などがよく用いられるが,あらゆる物体が利用可能で,またフィルム面に直接描き込む方法もある。ウォルト・⇨ディズニーは,本格的なトーキー化と色彩化,長編化の成功で,劇場用漫画映画の分野の発展に大きな貢献をしたが,アニメーション映画の利用範囲としては,娯楽のほかに,広告,教育,芸術などの分野がある。

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ラテン語の anima(霊魂)から出た animation(生命を吹き込むこと)の語源どおり,少しずつ変化させた絵(動画)を1コマずつ撮影し,映写することによって,それ自体は静止している絵を動いているように見せるトリック撮影およびそのようにして撮影されたトリック映画の総称。分解撮影によって現実の動きを定着する〈映画〉とは逆の工程がアニメーションの原理である。撮影素材は,絵,写真,切紙,また立体素材として人形や粘土細工など無数に考えられる。例えば人形劇をそのまま撮ったり,漫画や画集をモンタージュしたものは,アニメーションとは呼ばない。

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「最高悪崇拝の末法思想」と「最高善信仰の黙示録」

「ゴート札(詐欺の才能)」と殉教者(確信性の確保)の黙示録(聖戦)が「ルパン三世 カリオストロの城」のテーマだったのです。

このように「人間社会」に対してコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーを持って「マウンティング」することは「最高悪崇拝」であり「最大の罪」です。
「最高悪崇拝」は「人間社会」の「最大の敵」なのです。
「ヲタク芸術家」は「最高悪崇拝」という「最大の罪」を「人間社会」に対して犯している。
そして「ヲタク芸術家」は「人間社会」の「最大の敵」として君臨している。

このような「ヲタク芸術家」の君臨がエリートの証しとされている。
しかしそれはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーによる「マウンティング」に過ぎない。
ここにはそのような「最高悪崇拝の末法思想」に対して「最高善信仰の黙示録」が行われる必要性があります。
「聖戦」は「愛」を救済しコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーを撃つ「最高善信仰の黙示録」として行われます。
「最高善信仰の黙示録」は「カトリックエレクト」によって為されます。
今、「人間社会」の「最大の敵」を撃つ「聖戦」が始まっている。
「ヲタク芸術家」は「最高悪崇拝」を扇動した報いで「最大の罰」を受けるべきなのです。

「最大の神罰」がコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーを扇動した報いで「ヲタク芸術家」に下って欲しい。
「最大の神罰」は「悔い改め」と「隣人愛」に対するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)へ下ります。

コンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーを祀り上げる「ヲタ芸人」とは「堕天使ルシファー」!

このようなコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーは何故生れたのでしょうか?

それは「バフォメットの偶像崇拝」が生れた理由と同じです。

「愛」を持たず、ただコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーを祀り上げた「ヲタ芸人」に私は全く同情を感じません。
殉教者(確信性の確保)に対してコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーを祀り上げた「日本サブカルチャー」と言えます。
「バフォメットの偶像崇拝」とは「日本サブカルチャー」の「ヲタ芸人」と同様のあり方をしている。

コンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーを祀り上げる「ヲタ芸人」とは「堕天使ルシファー」の「支配」と同様なのです。
コンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーを祀り上げる「ヲタ芸人」とは「悪魔の群」であった。
そういった陰湿な扇動活動は「他者」がコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーを受け入れるまで続けられる。
要は「他者」はコンフィデンスマン(倒錯性の支配)となっていくのです。
「他者」がコンフィデンスマン(倒錯性の支配)となる意味は殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「余地」の「棄教」です。
「ヲタ芸人」とは「他者」をコンフィデンスマン(倒錯性の支配)のスカトロジーへ追い詰めていく超危険なストーカーであったのです。

コンフィデンスマン(倒錯性の支配)の「悔い改め」と「隣人愛」とは殉教者(確信性の確保)の「確信性」の「余地」によってコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を禁忌とする「思考」となっている。
コンフィデンスマン(倒錯性の支配)は「悔い改め」と「隣人愛」によって「神の王国の到来」は齎される。

一方でコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の「思考」とは「倒錯崇拝」であって「確信性の確保」を「呪術崇拝と偶像崇拝」へ落とし込み堕落を扇動する。
それによってコンフィデンスマン(倒錯性の支配)の支配は確立することで「悔い改め」と「隣人愛」は起こらず「完全犯罪」は実現するだろう。
しかしそのような「完全犯罪」の「世界」は穢れきっているだろう。

世界の回復は「キリスト教の黙示録」とされ現世のあり方となっている。
これは一般に「公共性」を持った「大衆(国民)」と言われる。
優秀な「大衆(国民)」とはこのような「公共性」を持った「啓蒙民」となっている。
このような「公共性」は「大衆(国民)」に対するオマージュ(イマーゴ)を持っている。

一方で穢れた世界に於いてあの世の「浄土思想」が形成される。
そこでは「末法思想の阿弥陀如来」が崇拝されている。
これは一般に「公共性」を欠落した「愚民」としての「大衆(国民)」と言われる。
ここでは「大衆(国民)」に対するオマージュ(イマーゴ)は一切存在しない。

又こういった「愚民」に対して「模範国民」が存在することになる。
この「模範国民」が「啓蒙民」である根拠について「愚民」へ「説明責任」は一切果たされない。
何故ならば「愚民」にとって理解不可能とされているからです。
それは「模範国民」が「阿弥陀如来」とされることに等しい。
要は現世での救済はなく、あの世の極楽浄土を根拠もなく約束していると言うことになる。
「模範国民」も「極楽浄土」も根拠のない約束手形のようなものです。

現世の救済は「キリスト教の黙示録」であり、あの世における極楽浄土の約束手形は「浄土教の末法思想」となる。

「悔い改め」と「隣人愛」に対するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)は黙示録に於いて現世の地獄に落ちる。
一方で「悔い改め」と「隣人愛」に対するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)は末法思想に於いてあの世の極楽浄土を約束される。

これは「ヒポクラテスの誓い」も同様の趣旨だった。
「ヒポクラテスの誓い」とは「黙示録」だったのです。
それが「逆の報い」を願うことです。
「愛のない罪人」なら「地獄行き」なのです。

ここで重要なことは殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「余地」とはコンフィデンスマン(倒錯性の支配)を禁忌とする「思考」であって、それは「悔い改め」と「隣人愛」を示している。
「悔い改め」と「隣人愛」とは「啓蒙民」の形成を意味し、「優秀な国民性(大衆性)」を示している。

一方で根拠のない「模範国民」とは「特殊詐欺」と言えるだろう。

「優秀な国民性(大衆性)」と「模範国民」とは対立概念であったからです。
何故なら「模範国民」とは「愚民政策」を意味していたからです。

オマージュ(イマーゴ)に対するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)は「THE DEVIL」となります。
何故ならばイマーゴ(神の似姿)に対するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)は敵対者の「THE DEVIL」を示しているからです。

「THE DEVIL」は「愛」を持たない故に「悔い改め」と「隣人愛」はあり得ない。

一人の「罪人」と敵対者の「THE DEVIL」は違うのです。

一人の「罪人」は「悔い改め」と「隣人愛」を必要としている。
それが「救済」です。
一方で敵対者の「THE DEVIL」とは「悔い改め」と「隣人愛」に対するコンフィデンスマン(倒錯性の支配)であって「愛」を持たない。
「救済」は不可能であって「地獄」へ落とすしかありません。

ぐみんせいさく【愚民政策】
人民大衆の批判意識を抑えて体制に服従させるためにとられる政策の一つである。民衆を非識字状態にとどめておく教育政策や民衆に正しい情報を伝えない報道管制などはこの政策の典型といえる。だが民衆の皮相浅薄な好みを満足させ,彼らを脱政治的な生活意識のなかに埋没させる政策こそは,最も巧妙な愚民政策といえよう。

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失われた羊の譬(15 1-7)
さて、すべての徴税人と罪人とが、彼〔の言葉〕を聞くために、彼に近づいて来た。するとファリサイ人たちと律法学者たちとは、つぶやき出して言った、「こいつは罪人どもを受け入れ、彼らと一緒に食事をしている」。
するとイエスは彼等に対して次の譬を語り、言った、「あなたたちのうちの誰かが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹を失ってしまったとしたら、九十九匹を荒野に放っておいて、失われてしまったその〔一匹〕が見つかるまで、それを求めて歩いて行かないだろうか。そして見つけたら、喜びのあまり〔それを〕自分の肩の上みかつぎ、家の中に入るや友人たちと近隣の者たちを呼び集め、彼らに言う、う、『私と一緒に喜んでくれ。失われてしまっていた私の羊を、私は見つけたのだから』。私はあなたたちに言う、悔い改める必要のない九十九人の義人たちよりも、悔い改める一人の罪人のゆえに、天においてはこのように喜びがあるだろう。

岩波書店「ルカによる福音書」

失われた銀貨の譽(15 8-10)
あるいは、十ドラクマを持っている女が、一ドラクマを失ったら、ともし火つけ、家〔の中〕を掃いて、見つけるまで丹念に探さないだろうか。そして見つけたら、女友だちや近隣の者たちを呼び集め、彼らに言う、『私と一緒に喜んで下さい。失ってしまっていた一ドラクマを、私は見つけたのですから」。私はあなたたちに言う、悔い改める一人の罪人のゆえに、神の御使いたちの面前ではこのような喜びが生まれる」。

岩波書店「ルカによる福音書」

Baph・o・met /bǽfəmèt/
—n.
バフォメット ⦅テンプル騎士団が儀式に用いたとされる偶像⦆.
[F (変形) 〈 Mahomet]

『リーダーズ・プラス』 研究社
タロットカード15番「THE DEVIL」

「バフォメットの偶像崇拝」に対して「愛を持った人」を救済することは「福音」となっています。
この世界で「愛を持った人」を救済することこそ「キリスト教」と言えるのでした。

タロットカード20番「JUDGEMENT」

「愛を持った人」とは「聖宮崎駿」であり「聖宮崎駿の創作したルパン三世」です。
そして殉教者(確信性の確保)であり得るだろうすべての人は「愛を持った人」なのです。

殉教者(確信性の確保)であり得るだろう「余地」とは「悔い改め」と「隣人愛」なのです。
「愛を持った罪人」は「悔い改め」と「隣人愛」を為す。
そして「隣人愛」とは「愛を持った人」を愛することです。
「隣人愛」とは「愛を持った隣人」を愛することなのです。

そこには「カトリックエレクト」の「カトリックコミュニケーション」が存在します。
それが「人間動物(ペルソナ)」の「人間社会」と言えるのです。

朝陽にむかってすすんでいくフィアットにのった三人
ラストの音楽

スタジオ・ジブリ 絵コンテ全集第Ⅱ期「さらば愛しきルパンよ」
タロットカード21番「THE WORLD」

最後に

「聖宮崎駿の創作したルパン三世」とは「聖書」であり「福音」でした。
それは「愛」だった。

この連作作品を黒田清子さやこさま(旧名・殿下清子内親王でんかさやこないしんのう)、敬宮愛子内親王としのみやあいこないしんのうさま、そして聖宮崎駿はやおさまへ捧げます。

愛を込めて Soma Oishi.

「ルネッサンスとヒューマニズム」(トーマの心臓)
あなたは永遠です。
Your forever friend Soma Oishi

最愛の言葉

friend [frénd]
[中期英語 friend,frend,古期英語 frēond 友,恋人,親族〔もとは frēogan(⇀FREE)の現在分詞;ゴート語 frijōn「愛する」と同語源〕;ドイツ語 Freund と同語源]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館


(再編集版)

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