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【聖宮崎駿信仰】世界は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」と「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の黙示録

プロローグ 「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」と「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」

テレビジョンのデマゴーグは強力だ!

イマーゴ(真善美の回復)を付け回し敵対感覚〈原罪〉の正当化(スーパーフリー思想〈一方的自由の陰険〉)を狙う魔物に対する「護符」
最高善を躓かせる仕掛けとしての敵対感覚〈原罪〉の正当化(スーパーフリー思想〈一方的自由の陰険〉)はサタン(最高悪)の計略でありアンチキリストの純粋無垢で穢のない欲望という屁理屈(前衛詐欺)である。
それは一見クリーンイメージの人間関係(カルトエリート(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa))が形成する天然邪悪の概念である。
それは人間の悪臭を発散しそれを高価な香水で誤魔化している。
聖なる香水とは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」であり聖水と呼ばれる。
"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."
ケネディ大統領はアイルランド系であり『カトリック』であった。

すべての始まりと終りを意味する。
最初に「愚者」であるなら「無知の知」より最後は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion))の叡智(愚者)」となる。
しかし最初にカリスマのデマゴーグであるなら「無知の知」はなく最後は「人の叡智(愚者)」となる。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)は「真の叡智」を齎し、「人間関係の産物の叡智」は「お約束」にすぎない。
「叡智を弾圧した馬鹿騒ぎ」に陥る「トートロジー」と「循環論証」の「お約束」である。
現代の社会現象はそのような陳腐なものである。
最高善の神(カトリックロゴス感覚(Holy Communion))を讃える。
"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."
イエス「心の貧しい人々は、幸いである。」
「心」とは「デマゴーグの知識(doxa)」を示している。
「デマゴーグの知識(doxa)を廃棄して信仰を入れる場所を確保する。」
イマヌエル・カント「純粋理性批判」は信仰を描いた作品である。

けいじ【啓示】
revelatio; revelation
神あるいは超越的存在が,一般的意味において人間自身の力では認識できない秘密,特に神が人間の理解をこえて実在する本質が,いわば逆説的な緊張関係においてあらわにされることをいう。人はこの啓示によって神との交わりに入ることを許される。啓示は人間の予測をこえてただ神の側から一方的に訪れるものであるから,キリスト教では,救いを目的とした神の恩寵としての奇跡的行為とみなされる。また神と交わるということは人が神と同化するというのではなくて,むしろ逆説的にみずからの罪と卑小さを悟り真に神を信じ,神を恐れ,救いを待つという意味での人間的関係を神と結ぶことを意味する。キリスト教における啓示は一度限りの決定的な出来事,すなわち神の言葉の受肉としてイエス・キリストにおいて現れたとされるが,このキリストにおける特殊啓示だけを排他的に主張する立場(K.バルト),神の被造物における一般啓示をも認める立場(自然神学)などがある。
『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

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1 テレビジョンとは「人間関係の産物」の「お約束(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」?それともテレビジョンとは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」?
トートロジーと循環論証は「人間関係の産物」を形成する「神」と「聖書」を利用した「最強で最も陳腐な屁理屈(前衛詐欺)」である。

例えば〈神が存在するということは聖書に書いてある。しかるに聖書は神の言葉である。ゆえに神は存在する〉

しかしここには「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を入れる場所の確保はなく、決して人はイマーゴ(真善美の回復)となることはない。
トートロジーと循環論証はカトリックロゴス感覚(Holy Communion)に対する「敵対感覚(原罪)」を形成するための陳腐な屁理屈(前衛詐欺)である。
それを「人間関係の産物のお約束」でヒーローにする。
トートロジーと循環論証が「凄い理屈」だと絶賛することでカトリックロゴス感覚(Holy Communion)を「敵対感覚(原罪)」へ堕落させるのだ。

逆から言えば「最も陳腐でみっともない屁理屈(前衛詐欺)」がトートロジーと循環論証でありその代表は「有名文学賞」を多数受賞された「作家高橋源一郎先生」だろう。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)を「敵対感覚(原罪)」に堕落させるプロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)のサタンはこのように日本に多数存在し活動している。
彼らは日本文化(日本ルネッサンス)の敵でありサタン又は堕天使ルシフェルである!

論理上の虚偽の一つ
要はデマゴギーでありその作家はデマゴーグ(前衛詐欺)なのだ!
デマゴーグ(前衛詐欺)高橋源一郎!

テレビ番組を観ると解りやすいけれど、その全ては「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」で形成されている。
それは何を示しているのでしょうか?
先ず疑問に思う「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」とは何であるかということをきちんと問うことは最重要だと思います。

2 「価値観」

「風の谷のナウシカ」はカトリックによる「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」です。

それは「価値観」に現れています。
例えば「人の価値」とは何か?
これは「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の核心です。

ここで例を挙げましょう。
皆さんご存知の「風の谷のナウシカ」です。
ナウシカの「人の価値」は「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」でしょうか?
それともナウシカは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」でしょうか?

ここで多くの方はパニックに陥るだろうと予想します。

何故ならば「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」と「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の「人の価値」の違いが理解しがたく感じられるからです。

「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」は「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」と表することが出来ます。
今後はその様に表します。

第一章 「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」と「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の在り方は「神学」と「カルト」の「聖戦」としての「最高善の神の黙示」となる。

「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」と「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の「価値」

1 "Fair is Foul, and Foul is Fair. "("Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. ")

「勝てば官軍」は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」に弓を引く「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」である。
それは「人の価値観(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」ではあるが「最高善の神の価値観(Holy Communion)」ではない。
「勝てば官軍」は「人間関係の産物のお約束」であり「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の「特権階級の身分」である。

○勝てば官軍負ければ賊軍
戦いは、道理に合わなくても勝てば正義で、道理に合っていても負ければ不正なものとされること。略して「勝てば官軍」とも。
『広辞苑 第六版』 岩波書店

『広辞苑 第六版』 岩波書店

2 "Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."("Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty.")

カトリック
catholic church
語源はギリシア語の katholikosで,普遍的,世界的,全体的の意。アンチオキアのイグナチオスが初めてこの語を『スミュルナ人への手紙』でキリストによる教会の特徴的形容に用い,以来「カトリック教会」は万人万代を包括する普遍的教会,また異端離教に対する真の教会の意に用いられた。この原義は教会の公性 catholicitasとしてニカイア信条でキリスト教の根本性格の一つにあげられ,アウグスチヌスもこれを強調した。公性は同一性と普遍性をその特徴とするが,歴史上その具現は教皇を可見的首長とする統一組織,ローマ・カトリック教会においてなされたとするのがローマ・カトリック教会の主張であり,歴史的にもローマ・カトリック教会に対して「カトリック」が一般的な呼び名となっている。ギリシア正教会,一部のプロテスタント教会も真のカトリック教会を自負している。
『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

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ただ「キリスト教のプロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の場合は「キリスト教のカトリックロゴス感覚(Holy Communion)」への「回帰」があり得ます。

3 「最高善の神の価値観(Holy Communion)」と「人の価値観(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」

「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」と「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の「人の価値」は相容れません。
何故ならば「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」は「最高善の神との関係に於ける在り方の確立」であり、その「価値」は「最高善の神の黙示」によってしか判明されません。
その「黙示の価値観(Holy Communion)」は「最高善の神の価値観(Holy Communion)」によっているのです。
だからそれは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」となるのです。
そして「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」は「最高善の神との関係に於いて確立」されます。
それは「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」が「最高善の神の価値観(Holy Communion)」によっていることを証しています。
しかし「人の価値」は「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」でありそれは「最高善の神の価値観(Holy Communion)」による「黙示の価値観(Holy Communion)」によっていません。
「人の価値」は「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」ではないのです。
「人の価値」は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」による「最高善の神の価値観(Holy Communion)」ではなく「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」による「人の価値観(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」によって形成されるのです。
「カトリック」は「最高善の神の価値観(Holy Communion)」であり「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」へ導きますが「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」は「人の価値観(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」を形成し「人の価値」を決定します。

第二章 「カトリックアニメ(アニメ芸術)」と「プロテスタントアニメ(カルトアニメ)」

1 「風の谷のナウシカのカトリックロゴス感覚(Holy Communion)」と「カースト制のプロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」

「風の谷のナウシカ」は「最高善の神の価値観(Holy Communion)」と「人の価値観(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の「価値観の一致」の「奇跡」を描いています。

この作品は「人の価値観(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」を「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」へ導くものであるのです。

本来の「人の在り方」での「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」は「人の価値観(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」で形成されます。
それは「特権階級の確立」のための条件です。

「人」は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」ではなく「人の価値観(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」で形成された「カースト制」を崇拝するのです。
「カースト制」とは「特権階級の確立」を示しています。
それは「最高善の神の価値観(Holy Communion)」としての「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」ではなく、「価値観」として表された「人の価値」を示す「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」が正当化する「カースト制」であり「特権階級の確立」です。

しかし「風の谷のナウシカ」は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「最高善の神の価値観(Holy Communion)」へ「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の「価値観」を導く作品なのです。
そしてこのカトリックアニメの「奇跡」のあり方は「価値観」を「最高善の神の価値観(Holy Communion)」の信仰へ導くことであり、「風の谷のナウシカ」は「信仰を入れる場所の確保」として「決して消えない聖痕」を「人々」に刻んだ作品となりました。

人は「聖痕」を持つことによって「信仰」を身体に刻み、そして「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」として「最高善の神の価値観(Holy Communion)」を「信仰」するのです。
それが「風の谷のナウシカ」の「奇跡」の意味です。

2 庵野秀明が懇願した「風の谷のナウシカ」の続編制作

「風の谷のナウシカ」は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」
「新世紀エヴァンゲリオン」の「碇シンジ」は「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の非常に独特の「価値観」

「庵野秀明」は「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の作家であることは明白です。
何故ならば「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」ではなく、「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」である「お約束」で作品を制作するからです。
例えば庵野秀明は「新世紀エヴァンゲリオン」の「解かれなかった謎」についてそれに触れることを禁じます。

庵野秀明等にとってあの作品を「芸術」と見做すかどうかは「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」による「お約束」です。
「新世紀エヴァンゲリオン」の「謎」は「意味不明」だから「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」による「お約束」では「芸術(隠語)」とも言えるかも知れません。

しかし謎の説明をしないことは「詐欺の定義」に当たります。

さぎ【詐欺】
他人をだまして錯誤に陥れる違法な行為をいう。他人をだますというのは,真実でないことを真実であるとして伝える場合のほかに,真実をあえて隠す場合も含む。もっとも,後者の場合にはそれが社会観念上違法とされるものでなければならない。(1)民法上の詐欺 詐欺によって意思表示した者は,これを取消すことができる。ただし,その取消しは⇨善意の第三者に対抗することはできない(96条1項,3項)。なお詐欺によって生じた損害は,不法行為として詐欺者に損害賠償させることができる。(2)刑法上の詐欺 人をだまして財物を取得したり,財産的利益を得たりした者(だました者以外の他人が取得する場合も含む)は,詐欺罪で罰せられる(246条1項,2項)。
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庵野秀明の自称する芸術作品は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」ではないのです。
例を挙げれば「碇シンジ」は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」ではない。
それは「新世紀エヴァンゲリオン」が「芸術」ではないことの証明となります。
この作品は完全な「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の作品となりカルトアニメと見做されるのです。

「ウィリアム・シェイクスピア」や「レオナルド・ダ・ヴィンチ」は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」を制作しています。
それはイマーゴ(真善美の回復)を描いているのです。
イマーゴ(真善美の回復)に対して「敵対感覚(原罪)」を形成することは前衛詐欺(屁理屈)の目的でありそれはデマゴーグの「政治宣伝コンテンツ」でしかありません。

「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」からイマーゴ(真善美の回復)を制作することによって「ウィリアム・シェイクスピア」も「レオナルド・ダ・ヴィンチ」も「真の芸術」を生み出しているとされています。
「モナリザの微笑」は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」からイマーゴ(真善美の回復)の在り方です。

そして「宮崎駿」も「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」からイマーゴ(真善美の回復)を制作している。

明らかに「庵野秀明」と「宮崎駿」の「格」は違うのです。
「段違いの格差」が両者の間にあるのです。

それは「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」である「カースト制」ではありません。
「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「最高善の神の黙示(Holy Communion)」であるのです。
「最高善の神の愛徳(Holy Communion)」は「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」に齎されます。
庵野秀明は「完全犯罪」の「詐欺行為」が「理想」である「陳腐な存在」なのです。
それは前衛詐欺(屁理屈)です。

宮崎駿のルパン三世は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」であり「メシア」の制作としてあった。
だから宮崎駿の「ルパン三世」は真の「芸術」だった。
しかし原作者のモンキー・パンチのルパン三世は「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」であり「ご都合主義(なんでもあり)」の「奇跡」のヒーロー」だった。
「価値」が違いすぎる。
「芸術(宮崎駿)」とただの「お絵描き(モンキー・パンチ)」の違いだった。

3 庵野秀明は「ヒポクラテスの誓い」を反故にした。

「芸術制作」は「ヒポクラテスの誓い」と同様 誓いを破ったものは全て反対になる。
「賢い乙女カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」と「愚かな乙女プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」
「賢い乙女カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」は「風の谷のナウシカ」である。
「愚かな乙女プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」は「ふしぎの海のナディア」である。

「宮崎駿と庵野秀明の決定的な違いはここにある。」

「芸術制作」は「ヒポクラテスの誓い」と同様であり、その「誓い」を破る庵野秀明の「風の谷のナウシカ」は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)」ではなく「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の奇跡(お約束)によって形成された「ヒーロー」となる。

その違いは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」のナウシカが『メシア』であるなら、「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」のナウシカは『英雄的政治家』となるであろう。

『芸術』は「メシア」を描く宮崎駿であり、デマゴーグの『政治宣伝コンテンツ』は「英雄的政治家」を描く庵野秀明であるだろう。
芸術ではなくデマゴーグの「政治宣伝コンテンツ」に過ぎない。
デマゴーグ(虚偽情報)が『芸術』である筈がない。
「アドルフ・ヒットラー」や「ヨーゼフ・ゲッベルス」を「芸術」と言うに等しい。

彼らに「ヒポクラテスの誓い」はありましたか?
彼らの蛮行(ナチズム)の反省から「インフォームド・コンセント」はあったのだ。
庵野秀明は「新世紀エヴァンゲリオン」の「インフォームド・コンセント」をすべきだ!
今すぐプロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)を改めてカトリックロゴス感覚(Holy Communion)へ転嫁せよ!

インフォームド・コンセント
[英] informed consent
[同義語] 【説明と同意】
〓医療における患者の自己決定を実現し,その利益を保護するための過程。基本的には,医師が患者の病状,予想される予後,適応のある診断方法,治療方針,成功率,不確実性,診療行為に伴う副作用や合併症などを患者に説明し,患者がそれらを十分理解したうえで,自らの価値観や希望に沿った決定を下す過程である。また医師は,医療が最善と考える診療方針を推薦する他に,代替案の掲示も行わなくてはならないとされる。さらに患者が決定を下す際に,外部からの強制や不当な介入がないことが条件となる。インフォームド・コンセント取得が治療方針決定に際して例外的に必要ないとされる状況として,患者が緊急な医学的処置を必要とする場合,患者に十分な判断能力がなく自己決定を下せない場合,患者が自己決定や詳細な説明を希望しない場合,さらに患者に対する説明が非常に高い確率で患者に害を与えると予想される場合がある。
〓精神科臨床においては,①統合失調症などの病名を告知しないで治療が行われていることが多いこと,②患者が自覚する疾患あるいは病状と周囲の人が感じるそれとの間に相違があること,③患者の同意能力に欠陥がある場合があること,④治療法の中に患者の社会的権利の制限を伴うようなものがあることなどのために,インフォームド・コンセントに関わる問題は,他の身体疾患の場合と比較して複雑な課題を多く含んでいる。
(271001)(511028)
『医学書院 医学大辞典』 医学書院

『医学書院 医学大辞典』 医学書院

インフォームド・コンセント
informed consent
直訳すると「知らされた上での同意」。医師が患者に治療法の種類や長所・短所などをすべて話した上で,患者の考えを反映させて医療の内容を決めていく方式。臓器移植等の危険を伴う措置に先立って,また脳死状態になったときに生命維持装置をはずすか否か,といったケースでは,このインフォームド・コンセントが必要とされる。米英が発祥とされる。日本の医療は,医師が患者に一方的に「与える」あるいは「施す」ものであり,医療内容に関して患者が意見を述べるなどということは考えられなかった。だが,医療というものは本来,医師と患者の共同作業で進められていく性格のものである。 1990年1月の日本医師会の生命倫理懇談会がまとめた「説明と同意」の報告書では,医師が日常診療の場で,(1)病名と病気の現状,(2)行なおうとする治療の方法,(3)その治療方法の危険度,(4)病気についての将来予測等を患者に説明し,同意を得るよう求めている。
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続編の制作を懇願したと噂される庵野秀明がもし「風の谷のナウシカ」を制作したら「全ては真逆」となるのです。
それは「芸術制作」が「ヒポクラテスの誓い」と同じだからです。

Hippocratic Oath (hip′ō‐krat′ik ōth).〓
「私は,医神Apollo,Asclepius,Hygeia,Panaceia,そしてすべての神と女神の名に懸けて,そして,これらの神,女神を証人として,この誓いと約束を果たすことを,私の能力と判断によって誓う.私に医学技術を教えてくれる人を両親と同様にみなす.私の人生,そして必要ならば,私の食料もその先生に分け与える.先生の子供たちは私の兄弟とみなし,彼らに医学技術を教える.医学知識は,書いて,口頭で,あるいは実習で,私の息子たちや私の先生の息子たちに教える.同様に,私たちの職業の規範に従い,他の何者にも従わずに,誓約書に署名し,誓いを宣言したすべての医学生に教える.私は,私の能力と判断に従って,病人の利益のために治療手段を施す.危害を加えたり犯罪を犯したりはしない.私は,誰に対しても,求めに応じて死をもたらす薬を与えたりはしない.また,その使用を勧めたりはしない.同様に,女性に堕胎をさせる薬を与えない.私は純粋な,神聖な生活をし,医療技術を磨く.私は,結石による病気であっても手術はしないが,それに従事する人を妨げたりはしない.私が訪ねる家はどこも,私は病人の利益のためだけに訪れ,意図的な悪行や姦通はしない.特に,男性でも女性でも,自由人でも奴隷でも,性的に親密な関係を結ぶことはない.私は,職業によるものであってもなくても,私が見たり聞いたりした,人々の個人的な生活に関する私的な性質について一切漏らすことはしない.なぜなら,私はそうした情報を暴露することの恥を理解しているからだ.もし,私がこの誓いを実行し破らなければ,私は人生と職業の実践に満足し,人々の間で永遠の栄誉に浴するだろう.もし,私がこの誓いを破り,偽りの誓いをしたら,私のすべては反対になるだろう」
『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

4 「庵野秀明の理想」は「完全犯罪の詐欺行為」

「誓い」を反故にした存在は「全てが真逆」になるのです。
それは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「最高善の神の価値観(Holy Communion)」の「信仰」を反故にしたことと同様であり、それは「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)に対する「敵対感覚(原罪)」の存在となります。

それは一般に「サタン」もしくは「堕天使ルシフェル」と言います。
庵野秀明作品は全て「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「最高善の神の価値観(Holy Communion)」に対する「敵対感覚(原罪)」を形成することで「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)の産物」を形成します。
それはその作品の「人の価値観(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の形成であり、ある意味「非常に独特な価値観(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の創造がなされます。
「ふしぎの海のナディア」にしろ「新世紀エヴァンゲリオン」にしろ、実写版の「シン・ゴジラ」や「シンウルトラマン」、「シン仮面ライダー」にしろそうなっています。
しかしその「人の価値観」が「非常に独特」なのは当然な理由があるのです。
それは庵野秀明が創造した「非常に独特な人の価値観(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」が「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「最高善の神の価値観(Holy Communion)」に対する「敵対感覚(原罪)」としてあるからです。
庵野秀明の独特なシナリオの形成はカトリックロゴス感覚(Holy Communion)を弾圧し貶め穢すだけなのです。

それが「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)に対する「敵対感覚(原罪)」を美化することで形成された非常に独特な価値観」と見做されるのです。

私にはそれは「完全な詐欺行為」に見えます。
それは前衛詐欺(屁理屈)です。
当然それは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を貶めて形成される「人間関係の産物(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」であり「捏造」と「詐欺行為」でしかないでしょう。
そして「彼の理想」は「騙し抜く完全犯罪(印象操作)」となります。
「詐欺行為の完全犯罪(前衛詐欺)」を「理想」とする庵野秀明は「非常に独特の価値観(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」という「アンチ・カトリックロゴス感覚(Holy Communion)の崇拝」を掲げます。

それは一体何でしょうか?
それは「人の詐欺師集団(前衛芸術詐欺グループ)」なのです。
「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「最高善の神の価値観(Holy Communion)」に対し「プロテスタントデマゴギー(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)」の「価値観」は「人の詐欺師集団(前衛芸術詐欺グループ)」の存在としてあるのです。

「人の詐欺師集団(前衛芸術詐欺グループ)」は「サタン」であり「堕天使ルシフェル」であるのです。

私は庵野秀明の詐欺行為の立証は成立すると考えている。
未成年の視聴者を主な対象にしたアニメ産業において利益のために彼らをだますことは社会観念上違法とされてもおかしくはないだろう。
※「だます(真実でないことを真実であるとして伝える場合のほかに,真実をあえて隠す場合も含む。)」

「東條真人の天使ミトラの恋愛タロット」
エヴァに似ている「サタン」
エヴァに似ている「堕天使ルシフェル」

最後に 「最高善の神(カトリックロゴス感覚(Holy Communion))」を信じなさい!

「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」の姿
永遠の命
「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」

では最後に「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」の「最高善の神の価値観(Holy Communion)」の在り方として「最高善の神の聖戦(Holy Communion)」と「最高善の神の黙示(Holy Communion)」は世界を救済するでしょう。
そしてその日が近いと申し上げておきます。

rev・e・la・tion [rèvəléiʃən]〓
―n.
1 (隠れていたものを)見せること,暴露,口外,すっぱ抜き;発覚.
2 暴露された事物;(人にとって)驚くべき[予想外の]新事実,思い掛けないこと⦅to ...⦆:〓
3 〖神学〗
(1)啓示,天啓,黙示.
(2)啓示されたこと,お告げ:〓
(3)啓示を述べているもの(聖書など).
4 ⦅時に the Revelations⦆ ヨハネの黙示録(The Revelation of St.John the Divine,the Apocalypse). 略:Rev.
5 ⦅R―⦆ ⦅商標⦆ リヴェレイション:米国のパイプタバコ.
[c1303.中期英語 revelacion<後期ラテン語 revēlātio〔ラテン語 revēlāre「明らかにする(REVEAL)」より〕]
rev・e・la・tion・al
―adj.
『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

rev・e・la・tion /rɛvəléIʃ(ə)n/
―n
1 明らかにすること,暴露,摘発,すっぱ抜き;発覚〈of〉;明らかにされた事物,意外な新事実,思いがけないこと.
2 〖神学〗 啓示,天啓,黙示;啓示[黙示]されたこと,お告げ;聖書;[the R― or (the) R―s,〈sg〉] 〖聖〗 ヨハネの黙示録 (=the Apocalypse) 《新約聖書の The R~ of St. John the Divine;略 Rev.;cf. JOHN》.
~・al a 啓示[天啓]の.
[OF or L;⇒REVEAL¹]
『リーダーズ英和辞典(第3版)』 研究社

『リーダーズ英和辞典(第3版)』 研究社

「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」を持つものは「救済」されます!
「最高善の神(カトリック・メッセージ)」を信じなさい!
アーメン

アーメン【amen】
〔宗〕(ヘブライ語で「まことに」「たしかに」、後に「かくあれ」の意)キリスト教の祈祷・賛美歌・信条などの終りに唱えることば。
『広辞苑 第六版』 岩波書店

『広辞苑 第六版』 岩波書店

a・men [èimén,ɑːmén]〓
―interj.
1 アーメン:it is so「まさにしかり」,so be it「しかあれかし」の意;キリスト教徒が祈りや信仰告白などの後で厳粛な誓約や賛同を表すために唱える.
2 ⦅同意・賛成の言葉⦆ しかり,よろしい.
―adv. ⦅古⦆ 本当に,確かに(truly).
―n.
1 アーメンと唱えること.
2 (音楽で)アーメン(の節回し):〓
3 同意,承認,賛成:〓
[1000年以前. 中期英語,古期英語<後期ラテン語<ギリシャ語<ヘブライ語 āmēn 確かさ,確かに]
『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

amen /ɑːˈmɛn, eɪ―/
▶exclamation
uttered at the end of a prayer or hymn, meaning ‘so be it’.〓
◾used to express agreement or assent:〓
▶noun
an utterance of ‘amen’.〓
-ORIGIN
Old English, from ecclesiastical Latin, from Greek amēn, from Hebrew ’āmēn ‘truth, certainty’, used adverbially as expression of agreement, and adopted in the Septuagint as a solemn expression of belief or affirmation.
●Oxford Dictionary of English, Second Edition revised

●Oxford Dictionary of English, Second Edition revised

amen /ɑːˈmen; eɪˈmen/ (also Amen)
exclamation, noun
a word used at the end of prayers and HYMNS, meaning ‘may it be so’: 〓
『Oxford Advanced Learner’s Dictionary, Eighth Edition』 Oxford University Press

『Oxford Advanced Learner’s Dictionary, Eighth Edition』 Oxford University Press

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