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【聖横溝正史信仰】「犬神家の一族」は純愛信仰(エロス)であり聖愛信仰の存在証明でした。


美学と美意識

"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

美学は信仰から形成されるオリジナル(美)である。
美意識は「醜悪を美化する幇間、美を醜悪化する幇間」でありサタンの美意識という。
それは啓蒙と愚民政策の軋轢を示している。
信仰はその場所を確保するために「美意識(doxa)」を廃棄する。
その場所に純愛(叡智)が宿るからです。
犬神佐兵衛の叡智の在り処は其処にありそれは野々宮晴世との純愛信仰(エロス)によってあり得た。
その覚醒の要因が純愛信仰(エロス)にあったことがこの「犬神家の一族」事件の核心であったのです。
しかしNHK版の「犬神家の一族」は美学ではなく美意識の産物であることはこの映像表現で理解されるでしょう。
この異様な美意識の映像表現を観ればそれは全くもって明らかになっているのです。

「角川書店」とのタイアップの意味

NHK版「犬神家の一族」と角川映画「犬神家の一族」及び毎日放送版「犬神家の一族」とを比較して言えることは「角川書店」とのタイアップの有無だと言えるのではないだろうか?
映像作品が如何に改変されていようともそれが一個の作品とはなっておらず横溝正史原作へたち戻ることを示しているのが「角川書店」とタイアップした映像作品の意味だと感じます。
その意味するところは横溝正史原作(聖書)が至上の存在なのです。
しかし今回のNHK作品は独自性に拘り横溝正史原作を弾圧していると感じます。
それならば横溝正史の名を騙らず一個の別作品として制作すべきです。
これでは悪徳詐欺商法です。
NHKは国民を馬鹿にしていると感じます。
これは鉤十字(アーメン)に対して悪しき日本の独自性という名の逆鉤十字(ハーケンクロイツ)を賛美し扇動するための政治的宣伝コンテンツではないでしょうか?
デマゴーグ作品であるのです。
ネオ・ナチズムだと感じました。

「犬神家の一族」の疑問を思考可能にする試み

先ず主要な登場人物名は「犬神佐兵衛」、「野々宮大弐」、「野々宮晴世」、「野々宮珠世」、「青沼菊乃」、「青沼静馬」、「犬神佐清」、「犬神佑武」、「犬神佑智」、「犬神松子」、「犬神竹子」、「犬神梅子」となるであろう。

そして殺人犯は「犬神松子」である。

そしてこの作品のトリックは「純愛信仰(エロス)」に纏わるものだろうと想像されます。

探偵小説を「信仰」から考えた場合に言えることは「推理」は廃棄され「信仰」を入れる場所が確保されます。
それが一流の探偵です。

「純愛(エロス)」の作品であった場合に言えることは「信仰」を解すことができる高尚な存在が登場することになります。
一流の存在を描くことができるならば一流の作家と言えるでしょう。
そういう意味で横溝正史は一流の作家なのです。
この物語で「純愛信仰(エロス)」の可能性があったのは「犬神佐兵衛」と「野々宮晴世」であり「犬神佐清」と「野々宮珠世」の2つの男女関係であるでしょう。

ここで指摘して置きたい。

「賤民」の純愛と「黒ミサカルト」のdoxa

純愛信仰(エロス)の可能性は黒ミサカルトという「ギルティ」から「イノセント」であることを示している。
純愛信仰(エロス)の両者が如何に穢れていても知識(doxa)を廃棄することで「信仰」を入れる場所を確保したものに「純愛信仰(エロス)」は受肉する。
乞食であったのは「犬神佐兵衛」であり穢れた「賤民」とされる存在であった。
更に「犬神佐兵衛」は那須神社の神官「野々宮大弐」と衆道の契りを結んでいた。
それは乞食が男色に身を売ったことを示している。

しゅ‐どう【衆道】 ‥ダウ
(若衆道の略)男色の道。美道。かげま。にゃくどう。じゃくどう。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

そこに「純愛信仰(エロス)」は存在するだろうか?

更に「犬神佐兵衛」は三人の妾を持ち三人の娘がいる。
そして女工にも手を出し妊娠させた上に結果的に放り出すことになる。
それは「純愛信仰(エロス)」ではないだろう。

しかしこの物語は穢れきった「犬神佐兵衛」に「純愛信仰(エロス)」があるという話なのです。

彼には五人の子供が存在する。

「祝子」、「松子」、「竹子」、「梅子」、そして「静馬」である。
最高善の神に祝福される名前は「野々宮晴世」との間に生まれた「祝子」だと見做されるだろう。
多分「祝子」は信仰から形成されたオリジナル(生命)であると推察される。
それは純愛信仰(エロス)から生まれ神に祝福される子を意味している。
「純愛信仰(エロス)」は「野々宮晴世」との間で通じていたのだ。
ただ先程指摘したように「犬神佐兵衛」は乞食であり男色に身を売った存在である。
そして「野々宮晴世」は「野々宮大弐」の妻である。

この「犬神佐兵衛」と「野々宮晴世」の二人が結ばれたのは肉欲の関係であるだろうか?

それとも純愛信仰(エロス)によっているのだろうか?

その判別がこの事件の核心を握っている。

多くの映像作品では金田一耕助の推理として「肉欲の関係」とされている。
しかしそれは純愛信仰(エロス)によって通じ合った男女間の「肉体関係」であったのです。
それは純愛信仰の性愛の行為であり聖愛であるのです。

エロス
Erōs
ギリシア神話の愛の神。ラテン語名をクピド(キューピッドはその英語化)という。ヘシオドスの叙事詩『⇨神統紀』では,天地生成の初めにカオスに次いで生じた最古の存在の一つである。すべての神々のなかで最も美しく,⇨アフロディテが神々の仲間に加わると,すぐこの女神に随伴するようになったといわれているが,のちにはアフロディテが⇨アレスの種によって生んだ息子とみなされるようになった。弓矢を持ち,金の矢で射ることによって恋情を,鉛の矢で射ることで嫌悪の情を燃立たせるという。人間の美女⇨プシュケを愛し,彼女を憎悪してやまないアフロディテの妨害にもかかわらず万難を排して彼女と結婚して,霊魂の人格化された存在にほかならない彼女を神々の仲間入りさせたとされる。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.
エロス(古典派彫像,ナポリ国立考古学博物館蔵)

エロス【Eros】
①ギリシア神話の愛の神。男女両性を結びつける原理として万物に先だって存在したが、のちにはアフロディテの子とされる。ローマ神話のキューピッドと同一視される。
②愛。欠けたものへの渇望がその本質であり、普通には恋愛・性愛の意味であるが、プラトンは肉欲から始まり、愛の上昇の種々の段階を説き、最高の純粋な愛は美のイデアに対するあこがれであるとし、エロスは真善美に到達しようとする哲学的衝動を意味すると説く。フロイトの精神分析では生の本能を指す。→アガペー。
③小惑星433の名。地球に非常に接近する天体として有名。直径20キロメートル位。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

エロス〖(ギリシャ)Erōs〗

〓ギリシャ神話で、愛の神。アフロディテの子。ローマ神話のクピド(キューピッド)またはアモルにあたる。恋の弓矢を持つ幼児の姿で表されることが多い。
〓小惑星の一。直径約20キロで、周期的に地球に2300万キロまで接近するので、太陽系の距離測定の基準にされた。

〓異性に対する、性愛としての愛。愛欲。
〓プラトン哲学で、真善美へのあこがれという純化された衝動。

『大辞泉 第二版』 小学館

E・ros [íərɑs,érɑs|íərᴐs,ér―]〓
―n. (pl. E・ro・tes[əróutiːz])
1 〖ギリシア神話〗 エロス:愛の神で,Aphrodite と Ares との子;ローマ神話の Cupid に当たる.
2 エロスの絵画[彫像].
▶特に London の Piccadilly Circus の中心に建つ慈善家シャフツベリー伯爵(Earl of Shaftesbury)の記念碑の噴水上の有翼の射手は天使だが,エロスと受け取られている. このまわりは若者たちの待ち合わせ場所となっている.
3 恋愛[愛の力]を象徴する翼のある子供の姿.
4 ⦅時に e―⦆ 官能的な愛,性愛;情欲. cf. AGAPE² 1.
5 〖天文〗 エロス:44年ごとに地球に2,254万 km まで近づく小惑星.
6 〖精神医学〗
(1)リビドー(libido).
(2)⦅集合的⦆ 自己保存の本能(▶life instinct ともいう).

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

eros (ē′ros, ār′os)〓
[G. love].エロス,生の本能(精神分析において,生殖,生命に向かう本能を表す生命原理.instinctの項参照.cf. thanatos).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

死の欲動(シノヨクドウ)
[英] death impulse
[独] Todestrieb
[同義語] 【タナトス thanatos,死の本能 death instinct】
フロイト(Freud S)は本能の対立的二重構造説を,以下の3段階で発展させた。最初は,性本能(sexual instinct)と自我(ego)の対立,次いで,対象愛(object-love)と自己愛(self-love)の対立,最後に生の本能(life instinct,エロス独Eros)と死の本能(タナトス)の対立説(1921)に到達した。生の本能が無機物を有機物に構成し,発展・成長させる基本的欲動であるのに対し,死の本能は有機体を本来の無機的状態へ還元しようとする基本的欲動である。これが内部に向かうと自己破壊傾向となるが,外部に向かって攻撃・破壊欲動となることもある。正常な状態では,生の欲動と死の欲動は溶け合って建設的に働くが,精神障害ではこの融合に支障が起きると考えられている。しかしながら,死の本能説は一部を除き多くの学者から承認されていない。
(511009)

『医学書院 医学大辞典』 医学書院

instinct (in′stinkt)〓
[L. instinctus, impulse].本能(①生物がその種に特有の,系統だった,生物学的に適応する方法で行動するという永続的性質あるいは傾向.②ある行動がどんな結果を招くか意識しないで,何らかの目的のため行動を遂行しようとする理性的でない衝動.③精神分析論において,イドの要求により起こされる緊張の背後に存在すると仮定される力).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

映画の役割とは?

私は映画でこの作品をいくらか拝見いたしました。

「犬神佐兵衛」の大成功の理由は何だったのだろうか?

しかしこの映画のテーマはそこにはないだろう。
それは廃棄を前提にした推理(doxa)にすぎない。
そのことを示しているのは市川崑の「犬神家の一族」と言えるでしょう。
市川崑映画では先の戦争における「医薬品(覚醒剤)」の生産が犬神財閥の根幹とされていますが原作では「生糸」の生産とされています。

このあたりの推理が廃棄を前提としたものとされ「信仰」から叡智が受肉していきます。

結局は「信仰」の在り処として「純愛信仰(エロス)」の在り処を見い出すことがこの事件を解明する探偵の役目となっていきます。

「犬神佐兵衛」の「純愛信仰(エロス)」の在り処が「野々宮晴世」との間にあったということが判明します。
そして純愛信仰(エロス)の子が「祝子」でありその「祝子」が生んだ子が「野々宮珠世」であるのです。

主人公は「野々宮珠世」なのです。

純愛信仰の存在証明

「犬神佐兵衛」は那須神社の神官「野々宮大弐」に拾われたとされている。

ここで言えることは「野々宮大弐」と「野々宮晴世」は那須神社の神官であり両者とも信仰を持っていると言えることです。
そして「犬神佐兵衛」は乞食であったが実は信仰を解す高尚な存在でありそれを彼らから認められ彼が飛躍する契機となったのだろうと推察されるのです。

ただ「野々宮大弐」は男色家であり信仰を解す高尚な存在ではなかっただろうと想像されます。
何故ならば動機が明らかな色欲であり不純であるからです。

そのことによって「野々宮晴世」の方に信仰を解す高尚さがあったことを示していると思われます。
要は「純愛信仰(エロス)」があったのです。
それは聖愛です。
「犬神佐兵衛」と「野々宮晴世」が通じ合い奇跡的に純愛信仰(エロス)によって生まれたのが「祝子」であったのだろうと想像されます。
そして聖愛によって誕生した「祝子」の子供がこの「犬神家の一族」の主人公とされる「珠世」であるのです。
「犬神家の一族」の一族は聖愛の一族なのです。

純愛信仰(エロス)以外は蛇足

この物語はその「珠世」と「犬神佐兵衛」と外見が似ている「犬神佐清」の男女関係も描かれています。

しかし純愛信仰(エロス)が描かれているのは「犬神佐兵衛」と「野々宮晴世」の間であるのだろうと推察されます。

青沼菊乃が与えられた「斧、琴、菊」は「信仰」の意味において重要ですが逆から言えば簡単に与えてしまうほど価値のないものなのだろうと思います。

「犬神佐兵衛」にとって大切なのは「野々村晴世」との純愛信仰(エロス)であったのです。

「犬神松子」と「青沼静馬」、「犬神佐清」による犯行はある意味安っぽい立ち回りにすぎないでしょう。

純愛信仰(エロス)の存在証明にだけ拘った作品

この探偵小説は「犬神佐兵衛」と「野々宮晴世」による純愛信仰(エロス)から奇跡的に生まれた「野々宮祝子」とその娘である「野々宮珠世」を主人公としている。
何故ならば「最高善の神の恵」の「純愛(エロス)」の存在証明として描かれた作品だったからです。

純愛信仰(エロス)から生まれた聖愛の存在を主人公とした探偵小説であったのです。

ただその純愛信仰(エロス)を真に持っていたのは「犬神佐兵衛」と「野々宮晴世」でありその純愛証明(エロス証明)がこの作品の聖愛信仰の在り処なのです。

最後に 「聖愛信仰」とは?

美意識(doxa)を廃棄した場所に「信仰」の場所が確保されます。
そしてその場所に受肉した叡智が最高善の神の奇跡を起こすことをイマーゴ(真善美の回復)というのです。
イマーゴとは「信仰」から形成されたオリジナル(美)であり最高善の神の奇跡の存在なのです。
「犬神佐兵衛」の大成功(最高善の神の奇跡)は「信仰」の場所に受肉した叡智により可能となっているのです。
最高善の神の奇跡の在り方が「犬神佐兵衛」に象徴されています。
それは「呪術崇拝から形成される象徴(偶像崇拝)」ではありません。
「信仰から形成される象徴(オリジナル)」なのです。
そして純愛信仰(エロス)によって生まれた存在は「野々宮祝子」でありその子供である「野々宮珠世」なのです。
純愛信仰(エロス)があったのは「犬神佐兵衛」と「野々宮晴世」である。
それが「犬神家の一族」の純愛信仰(エロス)の在り処なのです。
これで何故横溝正史原作小説で「野々宮珠世」が主人公とされているのか疑問が解けたと思います。
私はこのような「純愛信仰(エロス)」を「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」と呼んでいます。
そしてそのような「聖愛」とは「最高善信仰」なのです。

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