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【聖愛信仰】堕天使の思想〈ストレイシープ達により決行された日本最大の集団練炭自殺に於ける最高悪を批判する〉

〈盲人が盲人を手引する〉に関する私的レポート

カトリックから閉ざした盲人(オタク)を「密室の邪神」として祭り上げることは「盲人が盲人を手引する」ことと同様となる。
そのように堕落した盲人(オタク)を賛美することで堕天使は存在する。
それをルシフェルという。
堕天使ルシフェルという思想はそのように盲人が盲人を手引して全員が溝に落ちる様を描いている。
ストレイシープ達の集団練炭自殺事件の最悪はそのような経過で発生した。
しかしこれは大日本帝国のスローガンであった一億玉砕と同様であるだろう。
「盲人が盲人を手引する」ことで大日本帝国は溝に落ちてしまった。
盲人(オタク)とはカトリックから閉ざした黒ミサを「知の鵜呑み」にするあり方です。
そして視力はなくともカトリックの白ミサを「知の廃棄」で受肉する存在は天使(善き羊飼い)と言える。
黒ミサ(盲人)はdoxaを崇拝し、白ミサ(善き羊飼い)はロゴスを信仰する。
理(ロゴス)とは白ミサとして「綺麗は綺麗」であり「穢いは穢い」を回復する。
しかし黒ミサは「綺麗は穢い」であり「穢いは綺麗」として理(ロゴス)の逆転を目指すあり方となる。
天使(善き羊飼い)は理(ロゴス)の白ミサを信仰し、盲人(オタク)は理(ロゴス)の黒ミサを崇拝する。
信仰(叡智)は「知の廃棄」としてカトリックの白ミサを受肉し、崇拝(doxa)はカトリックの黒ミサを「知の鵜呑み」にすることで堕天する。
叡智を受肉するものは信仰を持つものである。
しかしそれを信仰弾圧する愚者は崇拝としてあります。

日本最大の集団練炭自殺事件の『我が告白』

盲人が盲人を手引する。(集団自殺)
"Fair is Foul, and Foul is Fair. "
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent."
生まれつきの盲人の治癒
"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."
盲人の治癒
"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."
善き羊飼い
"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."
穢れに関する論争
"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."
イマーゴ(真善美の回復)を付け回し敵対感覚〈原罪〉の正当化(スーパーフリー思想〈一方的自由の陰険〉)を狙う魔物に対する「護符」
最高善を躓かせる仕掛けとしての敵対感覚〈原罪〉の正当化(スーパーフリー思想〈一方的自由の陰険〉)はサタン(最高悪)の計略でありアンチキリストの純粋無垢で穢のない欲望という屁理屈(前衛詐欺)である。
それは一見クリーンイメージの人間関係(カルトエリート(doxaによる黒ミサ、黒ミサによるdoxa)が形成する天然邪悪の概念である。
それは人間の悪臭を発散しそれを高価な香水で誤魔化している。
聖なる香水とは「カトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)」であり聖水と呼ばれる。
"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."
ケネディ大統領はアイルランド系であり『カトリック』であった。

これは私の告白とマス・コミュニケーションからなされた『真実の手記』である。

「自分の舌をかみ、神を汚す。」
カトリックロゴス感覚を汚すことの象徴である。
詐欺師(偽善者)の言葉である。
最悪のデマゴーグ(扇動者)はストレイシープ達を死へ導く。

「待宵月さん(Matsuyoinotsuki-san)」の「自殺志願者の憩いの場」の「チャットルーム」に突然書き込まれた集団練炭自殺の募集案内から始まった日本最高悪の「集団練炭自殺事件」に関する私的レポート

rev・e・la・tion [rèvəléiʃən]〓
―n.
1 (隠れていたものを)見せること,暴露,口外,すっぱ抜き;発覚.
2 暴露された事物;(人にとって)驚くべき[予想外の]新事実,思い掛けないこと⦅to …⦆:〓
3 〖神学〗
(1)啓示,天啓,黙示.
(2)啓示されたこと,お告げ:〓
(3)啓示を述べているもの(聖書など).
4 ⦅時に the Revelations⦆ ヨハネの黙示録(The Revelation of St.John the Divine,the Apocalypse). 略:Rev.
5 ⦅R―⦆ ⦅商標⦆ リヴェレイション:米国のパイプタバコ.
[c1303.中期英語 revelacion<後期ラテン語 revēlātio〔ラテン語 revēlāre「明らかにする(REVEAL)」より〕]
rev・e・la・tion・al
―adj.

『ランダムハウス英和大辞典』(第2版) 小学館

〈自殺願望の告白〉精神神経科の医師は神話を語り患者は聖書を受肉する。

私は自殺を考えていた時期がありました。
精神神経科の医師はそれに対し「希死念慮」という言い方をします。
私には「希死念慮」とは何かよく判りません。
何故なら自殺したいそれなりの現実的理由があるのに精神神経科の医師はその存在を一切認めないからです。
そしてただ精神病(スキゾフレニア)というワンワードの一括りで患者と見做すレイシズムの診断が行われます。
そして彼ら医師に対して患者からインフォームドコンセントを要求してもまともな説明は得られません。
ただのレイシズムの診断がいつまでも患者に為されるだけなのです。
しかし実際には精神神経科の医師の方がワンワード愚者(知の鵜呑み)であり患者の方がワンワード聖人(知の廃棄)なのです。
何故ならば精神神経科の医師は『神話崇拝(レイシズムとギルティ)』であり患者は『聖書信仰(バプテスマとイノセント)』であるからです。

WEBサイト「自殺志願者の憩いの場」の存在

私は非常に落ち込んでいて死を考えていました。
そんな時、WEBサイトで「待宵月さん(Matsuyoinotsuki-san)」の「自殺志願者の憩いの場」というWEBサイト「チャットルーム」を見つけました。
そこでは自殺を考えている人を「自殺志願者」という言い方で示していました。
そして「待宵月さん(Matsuyoinotsuki-san)」がこの〈WEBサイト「チャットルーム」の管理人さん〉でした。

待宵の月
読み方:マツヨイノツキ(matsuyoinotsuki)来るべき人を待つ宵という。転じて陰暦八月十四日、明夜の名月。またその夜の月季節 秋分類 天文

WEB辞典より

きしねんりょ【希死念慮】
〚精神医〛death ideation.

『新和英大辞典 電子増補版』 研究社

death [déѲ]〓
―n.
1 死ぬこと,死,死亡(cf. BRAIN DEATH);死に方,死にざま;(植物が)枯れること;死刑:〓
2 ⦅D―⦆ 死神.
▶大鎌(おおがま)(scythe)を持ち黒衣をまとった骸骨(がいこつ)の姿で表される. cf. REAPER 3.
3 死んだ(ような)状態:〓
4 ⦅通例 the death⦆ (…の)消滅,破滅,終わり⦅of …⦆:〓
5 〖法律〗 民事死(civil death):選挙権や公職に就く権利などを剥奪すること.
6 精神的死(spiritual death):〓
7 〖クリスチャンサイエンス〗 死:錯覚に過ぎない,生命の終わり[消滅].
8 殺人,殺戮(さつりく),流血:〓
9 ⦅the death⦆ (…の)死因,命取り⦅of,to …⦆ ⇨成句:〓
10 ⦅話⦆ 恐ろしいこと,ひどいこと,肝を冷やすようなこと.
11 ⦅古⦆ 疾病,悪疾. cf. BLACK DEATH
12 ⦅間投詞的⦆ ちくしょう,しまった;⦅米学生俗⦆ いいぞ,うまいぞ,お見事,すごい.
◊[文学]Death Be Not Proud『死よ驕るなかれ』John Gunther による脳腫瘍の息子の死の記録(1949)
[文学]Death Comes for the Archbishop『大司教の死』W.Cather の小説(1927)
[文学]Death in the Afternoon『午後の死』E.Hemingway の随筆(1932)
[文学・著作物][映画]Death in Venice『ベニスに死す』T.Mann の小説(1913);L.Visconti 監督,D.Bogarde 主演によるその映画(1971,イタリア/フランス)
[文学]Death of a Hero『ある英雄の死』R.Aldington の小説(1929)
[文学]The Death of Ivan Ilyich『イワン・イリイッチの死』Tolstoy の小説(1884)
[演劇][映画]Death of a Salesman『セールスマンの死』A.Miller の戯曲(1949);その映画(1957,米).
[美術]The Death of Marat『マーラーの死』David の絵画(1793).
[音楽]Death and Maiden『死とおとめ』Schubert の歌曲(1817).
[900年以前. 中期英語 deeth,古期英語 dēath; ドイツ語 Tod と同語源;古ノルド語 deyja「死ぬ(DIE¹)」と同根]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

し【死】
death
すべての生物に最終的に起る生命作用の完全な停止。人間の死の厳密な定義についてはさまざまな議論があり,文化や法制度によっても違いがみられる。信仰のうえでは肉体的な存在と精神的な存在を区別しようと試み,死に続く人体の分解にもかかわらず,死を経験してもその人の何かは生延びると考えられてきた。この信仰は過去,現在のほぼすべての宗教でみられる。
死という概念は,生物の個体,器官,組織,細胞など,さまざまのレベルで考えられている。人間個体の死は一般に,心臓拍動と呼吸運動の停止,瞳孔の散大で判定される。死の定義や死亡の時期については,臓器移植(特に心臓移植)の普及,人工臓器や生命維持装置の開発,蘇生術の進歩,⇨安楽死の問題などと関連して再検討がなされている。呼吸が停止し,刺激への反応もなく,心臓拍動もみられない人も,医学的手段で生返らせることは不可能ではない。そのうえ,生命維持に必要な機能を,身体の能力をはるかにこえて,人工的な手段で付与することもできる。したがって,生命維持装置をつけていたり,臓器移植においてドナー(提供者)から臓器を摘出する時点を決定するうえで,死の発生を判断する新しい指針が必要とされている。人の死の新しい基準で最も有力なものは,脳の死をもって個体の死とみなす⇨脳死説,すなわち脳の機能と自発的呼吸が不可逆的に停止した状態である。
死は人間にとって重大な意味をもち,古来多くの宗教や哲学を生み出す契機となってきた。⇨プラトンでは死は魂を肉体より解放するものであり,⇨プロチノスはそれゆえ死を善とした。キリスト教では肉体の死のほかに永遠の生命たる神からの離反としての魂の死がいわれる。⇨ストア派や⇨エピクロスは死の恐れの克服を課題とし,後者は死は非存在であり,われわれが存在するかぎり死はなく,死があるときわれわれは存在しないと語った。⇨ハイデガーは死が人間の生の本質を構成していることを認め,人間の現存在を死への存在と規定した。⇨サルトルは死の偶然性を強調し,死はむしろ可能性を無に帰するものであるとした。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

i・de・a・tion [àidiéiʃən]
―n. 心像の形成,表象作用[過程],観念形成,観念化.
[1829]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

「自殺志願者の憩いの場の鉄則」

「自殺志願者の憩いの場」の管理人さんは「待宵月さん(Matsuyoinotsuki-san)」と言い自殺志願者という「死にたい気持ちを持ってしまった悲しい存在」に「憩いの場」として「チャットルーム」を提供し運営していました。
それは自殺志願者が自殺をするためにあるWEBサイト「チャットルーム」ではありませんでした。
自殺志願者同士がお互いのことを話したり、相手を気遣ってもそこに付け込まれたりしない関係を提供し、それなりの人の交流を通してそれが「憩いの場」となることを意図していました。
私はハンドルネームを「猫さん(NEKO-san)」にして「チャットルーム」の会話の語尾に「ニャ(NYA)」をつけて「チャットルーム」で会話(チャット)をしていました。
それは猫の鳴き声の表現の一つですが、そういった人間というより「言葉を喋る猫」(カトリックロゴス感覚(Holy Communion)の受肉した猫)の様にそこで他の方と交流をしていました。
「自殺志願者の憩いの場」のWEBサイト「チャットルーム」には絶対の禁止事項がありました。
それはハンドルネームを「ayaさん(AYA-san)」という人からいろいろ教えられました。
「自殺志願者の憩いの場」の「チャットルーム」で自殺方法を尋ねたり楽な死に方について聞いたりしたら本当は管理人さんが怒ってしまいそれは絶対に駄目なのです。」と彼女に言われました。
私が初めにいろいろ彼女に尋ねてしまった後で彼女はそのように前置きした上でバルビツール系の睡眠薬を教えてくれました。
(後で知ったのですが結構有名な昔の睡眠薬で古い映画などの自殺するシーンで使われることがあるらしい。)

有名なマリリン・モンローの自殺
1962年8月5日、ロサンゼルス郊外のブレントウッドにある自宅の寝室で全裸で死亡している所をメイドが発見した。36歳だった。死の直後、マスコミでは「死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様」と大々的に報道され、世界に多大な衝撃・悲嘆が駆け巡った。

Wikipedia 

bar・bit・u・rate /bɑɚbÍʧ(ə)rᶦət, ―ʧUrèɪt | bɑː―/
―n.
1 〖化学〗 バルビタール酸塩[誘導体].
2 〖薬学〗 精神安定剤, 催眠剤, バルビツレート.
〖⦅1928⦆: ⇨↓, ―ate¹〗

『新英和大辞典 第6版』 研究社

〈ハンドルネーム「ayaさん(AYA-san)」の悲しい話〉

そのハンドルネーム「ayaさん(AYA-san)」の悲しい話がありました。
彼女は相手男性との性的関係を持ち続けていて、その男性との妊娠と中絶を何度も繰り返しているとのことでした。
彼女の親と一緒に妊娠した子供の堕胎を繰り返しているがそれをその相手男性には伝えていないと言う。
それがここに来ている理由だという話でした。
私はその男との肉体関係をどうして止めないのかは聴けませんでした。
きっと何かやめられない深刻でデリケートな事情があるのかもしれないと察しました。
しかしただそれを踏み込んで聞くことが善いのか悪いのか私には即断できませんでした。
私はその場では踏み込まずハンドルネーム「ayaさん(AYA-san)」が自分から話すことを待つことにしました。
それ以外できないと思いました。
根掘り葉掘り無神経に聞き出すことはこの「自殺志願者の憩いの場」ではできませんでした。
それはこのサイトが「自殺志願者の憩いの場」のWEBサイト「チャットルーム」だからです。
そして私はカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰を持った猫でもあったからです。

〈愛について〉

ハンドルネーム「儚いさん(HAKANAI-san)」も女性の方でしたが複数あるギリシャ哲学の「愛」を語りだしました。
その後、学んだのですが「エロス(情欲的な愛)、フィリア(深い友情)、ルダス(遊びとゲームの愛)、アガペー(無償の愛)、プラグマ(永続的な愛)、フィラウティア(自己愛)、ストルゲー(家族愛)、マニア(偏執的な愛)、Philosophia(知への愛)」などがあり、そして私は愛していたのはPhilosophia(知への愛)だと思いました。
ただその時はハンドルネーム「儚い(HAKANAI-san)」さんがギリシャの愛の言葉を「eros(性愛)、philia(友愛)、 storge(家族愛)、agape(無償の愛)」といきなり連続して書き出した時には何だか知らない言葉を書かれ複雑でした。
自分の無知を知らされた感じでした。
でも愛の言葉を語るこの女性はこの言葉(愛)を真には理解していないだろうと感じました。
何故なら彼女に「隣人愛」を感じなかったからです。
ただそれが「愛について」なら善いのだろうと思いました。
他のことならいざ知らず「愛について」語るなら「善」ではないかと思いました。
「自殺志願者の憩いの場」でそのギリシャ哲学の「愛の言葉」を語る気持ちは解らないわけではなかった。
そしてそのギリシャ哲学の「愛の言葉」を知ることは自殺志願者の憩いにとって悪くない善の可能性ではあると思いました。
その後、私はギリシャ哲学の「愛」を考えるようになりました。
それはイマーゴ(真善美の回復)の可能性です。

キリスト教の愛は「愛徳」と「信徳」と「望徳」です。
それは最大の掟である〈「悔い改め」とそれに対する「隣人愛」〉です。

そして七元徳(しちげんとく)とは、カトリック教会の教義における7つの基本的な徳をいいカトリックの「七つの美徳」(ななつのびとく)とも呼ばれる。
「古代ギリシアの知恵、勇気、節制、正義の4つの枢要徳に、『新約聖書』のパウロの手紙に見られる信仰、希望、愛の3つの徳を加えたもの。」
カテキズムにおいては、徳を人間的徳と対神徳に分け、4つの枢要徳を人間的徳の中心的な役割を果たすもの、信仰・希望・愛の3つを対神徳とする。

Wikipedia

アガペー
agapē
新約聖書(特にコリント人への手紙1,ヨハネ福音書,ヨハネ書簡など)で愛を意味するギリシア語。ラテン語では amorあるいは caritasと訳される。カトリック神学では caritasは信仰 fides,希望 spesと並ぶ基本的な徳の一つであるが(→愛徳),新約聖書のアガペーは,神の愛,キリストの愛,キリスト信者同士の愛のすべてについて用いられる。キリスト信者同士の愛をさすときには,本能的,衝動的愛をも意味するエロス erōsと区別して用いられており,パウロはこれを最大の徳と呼んでいる(コリント人への手紙1)。またアガペーは初期のキリスト信者の親善,博愛のための会食をもいい,これは初め聖餐式と緊密な関連をもっていたが,3世紀頃から次第に分離され,キリスト教典礼とは別の会食となった。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

しんこう【信仰】
pistis; fides; faith; Glaube; foi
一般に絶対的他者(神,キリストに代表される人格的他者およびその他の超自然的存在,あるいは自然的存在)もしくは絶対的自己への信頼的,合一的態度であり,学識は必ずしも信仰の成立に不可欠な要素ではない。したがって信仰の形式はさまざまであり,⇨アニミズムや祖先崇拝にみられるような素朴なものからユダヤ教,仏教,キリスト教,イスラム教におけるようにすぐれた教典と伝統を有するものまである。また信仰の形式については同一の宗教内部でも異なる場合がある。たとえば仏教においては⇨親鸞のように他力本願を唱える者と禅宗のように自力を主張するものがある(→自力・他力)。キリスト教では⇨パウロが信仰の概念の形成に大きな役割を果し,信仰を⇨希望や⇨愛とともに神に対する3つの徳の一つとして位置づけた。彼によれば,「信仰とは望んでいる事柄を確信することであり,まだ見ぬものを確認することである」。スコラ神学では信仰の概念がさらに精密化され,トマス・アクィナスは信仰を「神の恩恵により促された意志の働きによって神の真理へ同意する知性的行為」と定義した。プロテスタントでは M.ルターが信仰における無条件的信頼性の優位を強調したが,以後プロテスタントの正統主義においては再び主知主義的色彩が強められた(→義認)。今日,特に弁証法神学者の間では再び,無条件的信頼という宗教改革者の精神に立返る努力がなされている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

あいとく【愛徳】
caritas
カトリック神学で三対神徳(信徳,望徳,愛徳)の一つとされるもの。新約聖書のなかにあるギリシア語の agapēの翻訳であるが,カトリック神学の概念としては,神の愛が人間に与えられるのに呼応した,神に対する人間の愛をいう。⇨アウグスチヌスは,愛徳を人間を神へと統合させる徳とし,中世神学者,特に⇨トマス・アクィナスは,愛徳を他のすべての徳の基礎であり根拠であるとした。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

しんがく・せいじろん【神学・政治論】
Tractatus theologico-politicus
オランダの哲学者バルフ・デ・⇨スピノザの著作。 1665年執筆中の『⇨エティカ』を中断して着手され,70年出版。オランダ国内で正統カルバン派の力が強大となり,宗教的寛容と自由統治の共和派が圧力を受けるようになった情勢のなかで後者に理論的支持を与えるために書かれた,旧約聖書に基づく政治論。全 20章の前半,特に7~10章では,旧約聖書の成立年代や作者について史的批判を加え,近代聖書学に礎石をおいた。著者は思想と発言の自由を守るために,無神論者という非難を退け,聖書は不寛容を教えているのではないとし,この立場を尊重することが思想・発言の自由を守ることと一致するとした。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

「猫のペルソナを剥がされることへの動揺」

男性のハンドルネーム「駄目人間さん(DAMENINNGEN-san)」は私の猫のペルソナに向かって唐突に「あなたはもしかしたら「オッサン(OSSAN)」ですか?」といきなり攻撃的に「チャットルーム」で書かれた時、私の猫のペルソナをいきなり剥ごうとしたその行為に深く傷つきました。
その時、なんて言えばいいかわかりませんでした。
「自殺志願者の憩いの場」でもこうなるのだなと感じました。
そしてその時に何か言い返せば猫のペルソナはどっちみち剥がされてしまうのでした。
私はハンドルネーム「駄目人間さん(DAMENINNGEN-san)」には緘黙しました。

「集団自殺への誘い」

そういった中でハンドルネーム「マリさん(MARI-san)」の書き込みがありました。
今まで居なかった方です。
「自殺志願者の憩いの場」に居ない人で突然現れた知らない人でした。
ハンドルネーム「マリさん(MARI-san)」は「練炭の集団自殺への募集案内」の書き込みをしたのです。
募集案内に彼女のメールアドレスが書き込まれてありました。
ハンドルネーム「ayaさん(AYA-san)」によればそういった「自殺志願者の憩い」以外に自殺を勧めたり自殺を煽ったり自殺へ追い込んだり集団自殺を募集したりする行為は少なくともこの「自殺志願者の憩いの場」では絶対の禁止事項で管理人の「待宵月さん(Matsuyoinotsuki-san)」に見つかったらかなり怒られると言っていました。
そういった中でハンドルネーム「マリさん(MARI-san)」はそれを「知ってか知らず」か集団練炭自殺の募集案内の書き込みをしたのです。
ただ私はこの書き込みを見た時にそこに集団自殺を決行する強い意志を感じました。
この募集案内は必ずやると感じました。
そういった直観にはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰とただの黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)の2つがあり得ます。
しかしそれが当たるのはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の受肉した直観です。
何故ならばカトリックロゴス感覚(Holy Communion)とは「ギルティをギルティとする感覚、イノセントをイノセントとする感覚」だからです。
それは現にある世界を歪むことなく直視する存在はカトリックロゴス感覚(Holy Communion)だと判断できることを示しています。
だから私は彼女の募集案内を読みカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の受肉した直観によって必ず集団自殺を決行するだろうと思いました。
そしてその予言は当たったのです。

「自殺志願者の憩いの場」では「チャットルーム」に書き込みがあったと記憶している。
ここに提示されている資料は「マリさん(MARI-san)」が投稿した募集案内の一つに過ぎないだろう。
彼女は可能な限りすべての自殺志願者掲示板(チャットルーム)で集団自殺の募集をしたと私は想像している。

自殺志願者とは死にきれない故に自殺志願者であり自殺志願者であっても本当には死ぬことが出来ないような人の集まりなのです。
その「憩いの場」の提供を「待宵月さん(Matsuyoinotsuki-san)」が管理人となって運営していました。
そういった中で自殺決行への強い意志のある彼女の書き込んだ募集案内の明らかな強烈な本気は大きな波紋と影響力を持ったのです。

「集団自殺への応募」

多分この人は何かの決定的なアクシデントが無ければ集団自殺を決行するだろうと感じました。
私は募集案内を読んでその書き込まれたメールアドレスへ応募の申込みをしました。
ハンドルネーム「マリさん(MARI-san)」からの返信メールは意外と速く届きました。
ほとんど見てすぐに返信してきた感じでした。
そこには快く受け入れるという旨が書かれていました。
何故その「快く」というのが大事かを説明すると集団自殺募集へ応募のメールを出してもかなりキツイ返信がきたり何だか変な要求をしてきたりすることがあることを志願者なら知っているからです。
そういった中でハンドルネーム「マリさん(MARI-san)」は何にもこだわらず来るものは拒まずという姿勢でした。
彼女は死にたい人は誰でも受け入れ「死への導き」をしていました。
ここで終わらすことへの「イノセント(無辜)」な「意志」を感じました。
それはかなり危険なものです。
しかし自殺志願者にとってそういった信じて死ねるものがあることが「心中(集団自殺)」にとって大きいのだろうと思います。

それが良いと言いたいわけではないのです。
しかしそこには「死」と「裏切り」という問題があるのだ。
本来は「裏切り」は「死」である。
しかし「死」への「裏切り」は「生」である。
その「生」にはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の「信仰」があり得る。
それは「信」になり得る。
「信」と「裏切り」と「死」と「生」の在り方が「信仰」の場所を必要とする。
〈「裏切り」は「死」〉、〈「信」は「生」〉、しかしこの集団自殺応募の場合は〈「信」は「死」〉、〈「裏切り」は「生」〉だった。
そして真に生きるためには〈「信」は「生」〉でなければならない。
それが「信仰」だった。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰である。

裏切られる危険もある集団自殺であり、また何らかの「私利私欲」が伴う事件に巻き込まれる危険も十分にありえる。
集団自殺募集案内に応じることにはリスクを伴うのです。
しかし彼女の募集案内に集団自殺への強い意志以外他の「私利私欲」は感じなかった。
本当に「集団自殺」を決行することだけが目的であると感じた。

最悪の「座間9人殺害事件」のあり方は自殺志願者に於ける「黒ミサのアイロニー」に対する「白ミサのヒューモア」である。

多くの自殺志願者が巻き込まれた「猟奇連続殺人」がありました。
「座間9人殺害事件」であります。
それは非常に有名でモニュメンタルな大事件でした。
何故それが重要かと言えば「ギルティ」と「イノセント」のあり方が問われているからです。

「ストレイシープ集団自殺事件」は計9人の死者が出ています。
そして「ストレイシープ猟奇連続殺人事件」も計9人の死者が出ています。
同じ9人の死者が出ました。
この対象的とも思える両事件の差異とは一体何だろうか?

私の知る限り「集団自殺事件」は自殺ですが黒ミサの意図によって行われたものです。
それはオウム真理教の死刑を意味する「ポアする」と同じでしょう。
彼らの死刑を意味した「ポアする」は「救済」を意味していたからです。
それは「冒涜は愛、愛は冒涜」と同じ構造です。
集団自殺を主導した「マリさん(MARI-san)」の主張は完全に黒ミサでした。
彼女を最後まで信じた自殺志願者は全滅したのです。

一方で「猟奇連続殺人事件」は明らかに自殺志願者を食いものにするため誘き出し行われた卑劣な犯罪です。
しかしこの犯人(死刑囚)には黒ミサの逆転が存在していない。
これはマルキ・ド・サドの「悪徳の栄え」と似ている。
彼は非常に猟奇的で残忍に自殺志願者を殺害していった。
しかし犯人はそれを「悪徳は悪徳」と認識している。
要は彼の場合、「冒涜は冒涜、愛は愛」となっているのです。

私はこの2つの自殺志願者が巻き込まれた大事件に「9人」という符号一致と「黒ミサのアイロニー」と「白ミサのヒューモア」を見出してしまう。
「黒ミサのアイロニー」と「白ミサのヒューモア」は当然別物である。
私はこの猟奇連続殺人犯の「悪徳は悪徳、美徳は美徳」とする奇妙な生き方に対して不謹慎にも「ヒューモア」を感じてしまうのです。
それは「白ミサのヒューモア」と言えるものです。

※「白ミサのヒューモア」は「善き羊飼い」と言える存在なのです。
※この場合の「善き羊飼い」とは或る意味聖なるトリックスターと言えるかもしれません。

当然に彼は残虐な行いをした罪ある人間である。
しかし彼には黒ミサを絶対に行わないという意志(信仰)の場所があると私は感じる!
それは彼が最高善の神(カトリック)への冒涜を犯していないことを如実に示している。
猟奇連続殺人犯である彼は「或る意味イノセント」であるのです。
多分そういうタイプの人間(信仰者)なのかもしれない。

しかし逆に集団自殺事件を主導した「マリさん(MARI-san)」からは「ヒューモア」ではなく「アイロニー」を感じる。
「アイロニー」とは「皮肉」であり「黒ミサ」のあり方を示している。
要は彼女は黒ミサを司って「悪徳は美徳、美徳は悪徳」としているのだ!
それは冒涜の正体であり盲人(オタク)に祭り上げられた堕天使ルシフェルのあり方となります。
彼らは「盲人が盲人を手引する」ことで全滅しました。

彼女は誰一人殺害していない。
みんな自殺しただけである。
そして彼女も又自殺しただけの一人の存在でありそれはイノセントと言えるものでしょう。
しかし誰ひとり殺さず自殺した彼女の生き方の方が「或る意味ギルティ」であるのです。
何故なら黒ミサを司り最高善の神(カトリック)への冒涜を犯したことからそれは明確に証明されているのです。

自殺の「黒ミサのアイロニー」と殺人の「白ミサのヒューモア」

トリックスター
trickster
神話や民間伝承のなかで,トリック(詐術)を駆使するいたずら者として活躍する人物や動物。ときには愚かな失敗をし,みずからを破滅に追いやることもあるが,詐術的知恵や身体的敏捷性をもって神や王など秩序の体現者を愚弄し,世界(社会)秩序を混乱・破壊させる。一方,一般の人間界に知恵や道具をもたらす⇨文化英雄としての役割も果し,両義的な性格をもつ。北アメリカインディアンの間ではコヨーテやワタリガラス,野ウサギなどが,またアフリカではクモやカメ,野ウサギなどの動物であることが多い。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

trick・ster [tríkstər]〓
―n.
1 詐欺師,ぺてん師.
2 手品[奇術]師.
3 トリックスター:多くの原始民族の民間伝承や神話に登場する人物や動物で,通例,文化英雄(culture hero)と重なることも多い;さまざまな装いで出現し,いたずら,悪さを事とし,それまであった秩序を一時的に破壊する.
[1711]
trick・ster・ing
―n.
trick・ster・ism
―n.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

その時私にはよく解らなかった。
しかし後に彼女の「私利私欲」は屈折した「私利私欲」であり歪んでいただけだったのだと感じました。

それが最悪の裏切りだと知ったのは後の事でした。
彼女は他人を巻き込み自殺するマニアでした。
彼女は人を集団自殺させて人を殺す殺人鬼なのかもしれません。
其の思想的在り方は後に示します。
私は最高善の神の名のもとに彼女を討たなければならない。
彼女が拘った思想的在り方は男への未練だったのでしょうか?
そのバンドスターだった男への邪な崇拝だったのだろうと感じました。
彼女にはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰はなかったのでした。

もし私が心中するとしたらカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰によるものです。
しかしそれで相手を殺してしまいたくはないでしょう。
それが聖愛信仰だからです。
だから聖愛信仰による心中は無理な話なのです。

この自殺事件は聖愛信仰ではなく黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)によって行われたのです。
国葬の人の愛国のように・・・・

「良きサマリア人」
しかし「マリさん(MARI-san)」は「堕ちた愛」だった。
"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."
イエス・キリスト「良きサマリア人」
しかし「マリさん(MARI-san)」はアンチキリスト「集団自殺」だった。
"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."
"Innocent is Guilty, and Guilty is Innocent. But Innocent is Innocent, and Guilty is Guilty."

「重罪」

ただこの「自殺志願者の憩いの場」で「死への導き」をする行為は「待宵月さん(Matsuyoinotsuki-san)」が務める管理人の絶対の禁止事項であり、それをしたら「憩いの場」へのアクセス禁止(出入り禁止)になる「重罪」でした。

「集団自殺からの逃げ」

私は一旦応募して快く受け入れてもらった集団練炭自殺グループにやはり逃げを打ちたくなったのです。
自殺志願者とは死にきれない者の集まりであり、そこでは自殺前に逃げを打つというのはありきたりと言える行為です。
そしてそれこそが自殺志願者たる所以なのです。
それがなかったらとっくに人々は簡単に自殺し死んでいくからです。
「自殺志願者」ではなく「自殺者」となるからです。

「集団自殺の台風クラブ」

当時を思い出すと関東に大型台風が接近し直撃する「天気予報」が盛んになされていました。
かなり大型台風だと言われていました。
それを見て私はハンドルネーム「マリさん(MARI-san)」へ参加を辞めるメールをしました。

〈「台風が直撃するようだから止めた方がいい。僕は台風が来るから何だか危ないというか・・台風でどうなるかわからないから集団自殺は延期したらいいよ。」という書き方をしてその場は一旦集団自殺への参加を辞めるメールを送りました。〉

確か彼女からそれを「了解する丁寧で寛容な返事」があったと思います。
私は私のカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の受肉した直観が正しければ彼女の主導した大規模な集団自殺事件のマスコミ報道がきっと為されるだろうと予想していました。
(この後の経過は結局、9日は台風直撃のために翌日の10日に集団自殺は決行され発見が12日になされました。)
そこにはハンドルネーム「マリさん(MARI-san)」の何らかの決定的アクシデントが無ければ必ず決行するだろうと感じたものへ向けられた私のギリギリの思い止まらせるためのメッセージを込めた書き方がありました。
〈「台風だから」取り敢えず延期でもいいよ」〉という書き方をして相手の自殺決行への意志に対して〈その自殺中止への「逃げ道」を作る〉ための言い方で辞退しました。
しかし彼女は結局自殺しました。
9日が10日に延期されただけで集団自殺は決行されたのです。
私はその募集案内に応募して受け入れてもらった自殺志願者の一人でした。
私にはこの時点でも今でもこの事件の全体像の把握はできていません。
事件の概要は週刊朝日のスクープでかなり後になって知ることができました。
最近まで週刊朝日のスクープの存在を知らなかったのです。
しかし一体何人の自殺志願者が彼女と接触し実際にどのようなやり取りで集団自殺は決行されたのか私は知ることはできません。
この事件の真の詳細を知るには捜査機関の誠実な発表であるか報道機関のスクープでしかあり得ないのです。
残りは私の様にこの事件に関わった者の「証言」です。

夕方のテレビニュース報道

私はマスコミ報道がこの台風があっても大規模自殺が決行されることで為されるだろうと予想していた。
そしてやはりこのような9人という大人数の集団自殺が決行された。
この集団自殺事件は明らかに「マリさん(MARI-san)」が主導した。
私はこの集団自殺のメンバーに入っていたかもしれない。
そして他の多くの自殺志願者も私と同様に「マリさん(MARI-san)」と接触していたのではないだろうか?

新聞報道でもテレビ報道でもこの大事件は大きく報道されていました。
ヘリコプターでの生中継(12日夕方ニュース)もあったと記憶しています。
報道によるとこれら集団練炭自殺グループは台風の接近で盛り上がり相米慎二監督の映画「台風クラブ」の様に集団自殺に進んで行ったのではないかというTVキャスターの憶測が放送されていました。

『台風クラブ』(たいふうクラブ)は、1985年8月31日より一般公開された相米慎二監督による日本映画。

相米慎二監督の作品に私は、救いを感じない。
閉塞感の中で妙なカタルシスを起こす映画が多い。
特にこの「台風クラブ」は閉塞感の中での中学生生活のカタルシスを台風の直撃による狂乱で表現していてカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰を感じないのだ。
無理に風俗へ行かされ風俗嬢に無理やり射精させられてお金を払っているような感じだ。
未成熟の少女を性的対象として描いている。
その描き方は「新世紀エヴァンゲリオン」のアスカとレイにそっくりである。
「新世紀エヴァンゲリオン」と「台風クラブ」には共通点が多い。
唯一性のペルソナの確立(信仰から形成されるオリジナル)を否定するためにカトリック感覚を信仰弾圧して形成した面子がキャラクターとされている。
それは人間関係の産物の面子でしかなくペルソナは問われていない。
相米慎二に真のキャラクター形成は無いと言える。
何故ならばイマーゴ(真善美の回復)が存在していないからだ!
性的対象のロリータコンプレックス(性的成長)が女子中学生の性的ヒステリーとして描かれている。
工藤夕貴はその代表者として描かれているのです。

「台風クラブ」と「相米信二」

「集団自殺への私の憶測」

その集団練炭自殺の大事件で多くの人が亡くなりました。
死亡者数は計9人の大惨事でした。
そして報道によるとそのグループは2つに分かれて集団練炭自殺が決行されたとありました。
人数が多い上に何故彼らが2つのグループに別れたのか分かりません。
どうして彼らが別々に集団自殺を決行したのだろうか?
私の想像では自殺志願者はかなり多かったのではないでしょうか?
私を含め直前で逃げた人も多かったのではないかと想像します。
ただハンドルネーム「マリさん(MARI-san)」の自殺募集文によって集まった多くの自殺志願者の間で何らかのやり取りがあったとは想像できます。
そこに一体何があったのかその真相は「謎」であります。
何らかの死へ向かう前のやり取りがありそこに「人間関係」が生まれたとも考えられます。
やはり同じ死ぬなら一緒に死にたいと思えるような人間と「自殺(心中)」したいのではないかとも想像しました。
この事件のマスコミ報道を聞いてからすっかり「自殺志願者の憩いの場」へ行くことができなくなりました。

後述しますがこの最大の集団練炭自殺事件は黒ミサとして決行されたと見做せます。
黒ミサとはカトリックミサに対して逆(冒涜)を行う天然邪悪なオタクの二次創作です。
では「マリさん(MARI-san)」が標的としたカトリックミサとは何だったのでしょうか?
それは彼女が愛した人気バンド「T-BOLAN」でしょうか?
私は違うと思います。
何故ならば人気バンド「T-BOLAN」は人気バンド「T-REX」とマーク・ボランを崇拝して作った造語だからです。
そして人気バンド「T-REX」とマーク・ボランはビートルズの後継者と言われながらビートルズの黒ミサロックバンドだったのです。
そのようなあり方は日本サブカルチャーのオタクの二次創作と似ています。
オリジナルを冒涜していながら愛を語るのです。
彼女の崇拝感覚がそのような愛に対する冒涜であるならビートルズの愛の存在証明だったジョン・レノン【SEVEN】への黒ミサ自殺であると言えるかもしれません。
そして愛とはカトリックの愛徳を示しているだろうと思います。
カトリックの愛を表象する数字は【SEVEN】です。
「マリさん(MARI-san)」が集めた集団練炭自殺志願者は最後に9人残りました。
そして彼女はカトリックの愛の表象【SEVEN】を冒涜するために黒ミサ集団自殺を決行したのです。
それによって当初「9人」だったグループは「7人」と「2人」の2つのグループに別れたと想像できます。
この集団自殺は「マリさん(MARI-san)」の黒ミサとして決行されたと私は考えます。

グループが2つに分かれた理由はカトリックの愛の表象の【SEVEN】に対する冒涜だった。

人気バンド「T-BOLAN」の代表曲「マリア」は「マリさん(MARI-san)」をモデルとして作詞され楽曲となりました。

この事件は人気バンド「T-BOLAN」の代表曲「マリア」とジョン・レノンの代表曲「Oh Yoko!」として見ることができます。
人気バンド「T-BOLAN」は「冒涜は愛」「愛は冒涜」という「黒ミサ」の「サタン崇拝」となり、ジョン・レノンは「冒涜は冒涜」「愛は愛」という「最愛信仰」となるということなのです。
「最愛信仰」に「逆転」はありません。

1971年10月11日が英国リリース!
1971年11月10日が日本リリース!
1975年11月24日は米国リリース!
私の誕生日は1971年10月16日です。

1989年~1990年辺りに私が使用したカセットテープです。
これは当時高校生の時に私がCDからカセットテープにダビングしたジョン・レノンの「IMAGINE」です!
しかし大部分のカセットテープは廃棄しました。
記憶に残ったカセットテープだけ残していました。
ただ現在再生機器は所有していません。
自宅にあるカセットテープデッキはゴムが緩んでしまい使用不可の状態です。
ウォークマンも同様です。
自分で内部のゴムを交換しましたが失敗してしまいました。
結局そのウォークマンは廃棄しました。
現在巷間では初期型ウォークマンが人気です。
ただ中古ジャンクでも価格は5万円程します。
私には手が出ません。

1989年~1990年辺りのカセットテープ

ここでカトリックの愛を歌うジョン・レノンの代表曲を紹介します。
「Oh Yoko!」です。
私は千葉県立船橋旭高等学校卒業間近にかなり落ち込んでいました。
そんな中で友人の妹の飛び降り自殺事件もあったわけです。
ただそんな中で私は近所のCDレンタル店で音楽CDを借りてカセットにダビングし曲名などを手書きで書き込んでいました。
当時私はジョン・レノンのアルバムをいくらかレンタルしカセットにダビングしていました。
その中に「Oh Yoko!」があったわけです。
千葉県立船橋旭高等学校の教室の休み時間に珍しくクラスメートに「Oh Yoko!」の部分だけ歌って見せました。
私は「ジョン・レノンてこんな曲作っているんだよ!」と発言したのです。
私はわざとそういった言い方で珍しくジョン・レノンの曲を紹介したのでした。
別にそれを冒涜する気はなかったわけです。
しかしそれを聞いた一人のクラスメートが血相を変えて私に食って掛かりました。
よくわからない複雑な表情を浮かべた彼は何故か私を非難したのです。
それは私と千葉県立船橋旭高等学校とジョン・レノンの記憶です。
あと何故か千葉県立船橋旭高等学校入学当初からジョン・レノンの命日(1980年12月8日)を崇拝している男子学生がいました。

最愛信仰
My love will turn you on
Oh Yoko!

「壊れたペルソナ」

ハンドルネーム「猫さん(NEKO-san)」を演じることが、もうそのペルソナを付けることが私にはできなくなりました。
別の名前を使って入る気にもなりません。
それ以来、「待宵月さん(Matsuyoinotsuki-san)」のサイトである「自殺志願者の憩いの場」へは近づかなくなりました。
もうそこは触れてはいけない場所となってしまったのです。

〈「自殺志願者の憩いの場」再訪〉

最近、またその「待宵月さん(Matsuyoinotsuki-san)」のサイトである「自殺志願者の憩いの場」を久しぶりに訪れてみました。
ただもう「待宵月さん(Matsuyoinotsuki-san)」のサイトである「自殺志願者の憩いの場」は閉鎖されていました。

非難される管理人さんへの同情

非難される死んだ「マリさん(MARI-san)」への哀れみ

私は当初ハンドルネーム「マリさん(MARI-san)」もサイトの管理人である「待宵月さん(Matsuyoinotsuki-san)」もどちらも責めることはできませんでした。
しかし「マリさん(MARI-san)」へ疑惑を持つようになりました。

「マリさん(MARI-san)」への疑惑

ハンドルネーム「マリさん(MARI-san)」は人を自殺に追い込むのではなく自らと一緒に死のうとして応募し来るものは拒まず快く集団練炭自殺事件(心中)を決行しました。
人を追いこむのではなく自らも一緒に死ぬというのが一緒に死んでいった連中には大きかったと想像しています。
そのことでハンドルネーム「マリさん(MARI-san)」を責める気にはならなかったのです。
しかし彼女に関する週刊朝日のスクープを読み彼女の思想的根拠がカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰を貶め否定する黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)であると知ることとなりそれは彼女の劣等感覚故の傲慢感覚であったと見做せると思いました。
それは最高善の神への反逆というサタン崇拝です。
しかしそれは最高善の神に弓を引くジャイアント・キリングのヤンキーとも言えます。

普遍社会信仰を貶め否定して地域社会主義を賛美し翼賛することが結局は地域的エリート意識を捏造するネオ・ナチズムと同じになる。
ニューイングランドを地域的エリートとして捏造した月刊誌「ヤンキー」がその語源であるらしい。
地域的エリートとして偏差値暴走族を生み日本は荒廃した。
しかしハンドルネーム「マリさん(MARI-san)」も結局は整った容姿や芸能人との関係から自分を地域的エリートと見做すヤンキーの存在だったのだ。
そしてそのような地域的エリートのヤンキーは普遍的エリートに反逆する。
それは最高善の神への反逆としてのサタン崇拝となるのだ。
結局この集団自殺事件はヤンキーの歪な思想を強固とした一人の女性の主導により決行されたと見るのが正しい。

それは「盲人が盲人を手引した」と言えるのだろうか?

それとも「サタンが盲人を手引した」と言えるのだろうか?

それとも「サタンがストレイシープを手引した」と言えるのだろうか?

「ストレイシープがストレイシープを手引した」と言えるのだろうか?

「サタンがサタンを手引した」と言えるのだろうか?

最後のあり方ではサタン崇拝者の集団自殺となるだろう。

しかしイエス・キリストはストレイシープを導くことは確かだ。
何故ならば彼はメシアだからだ!

Lámb of Gód
⦅the Lamb of God⦆ 神の子羊,キリスト(Christ). cf.〖聖書〗 John 1:29.
[c1400.中期英語]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

stray [stréi]〓
―v.i.
1 (特に,定まった方針・目的なしに)横道にそれる,正しい場所を離れる,はぐれる⦅from ...⦆;(…に)迷い込む⦅into ...⦆;道に迷う:〓
2
(1)歩き回る,さまよう,さすらう:〓
(2)〈流れ・川などが〉曲がりくねる.
3
(1)(正道・人道・教えなどから)それる,逸脱する,邪道に入る,堕落する⦅from ...⦆:〓
(2)〈考え・話などが〉(…から)脇へそれる,脱線する⦅from ...⦆;〈注意力などが〉散漫になる:〓
4 〈手・目などが〉無意識に動く:〓
5 〈髪が〉ほつれる:〓
―n.
1 迷い出た家畜;仲間からはぐれた動物;迷子:〓
2 寄る辺のない人,あてどなく歩き回る人;浮浪者[児];野良犬[猫など]:〓
3 (予想外の生息地に発見された)動植物;季節外れの植物.
4 (油田発掘の際ぶつかる)思いがけない地層,ストレー.
5 ⦅strays⦆ 〖無線〗 空電(static).
―adj.
1 はぐれた;(目的から)それた;(髪の毛が)ほつれた:〓
2 ぽつんと一つだけある;散在する;時たまの,偶然の,たまに見つかる,ひょっこり起こる[現れる]:〓
3 〖無線〗 漂遊の(undesired):〓
[1300.(動詞)中期英語 strayen(astraien,estraien の頭音消失異形);estraien<中期フランス語 estraier<俗ラテン語 *extrāvagāre 境界を越えてさまよう;⇀EXTRAVAGANT]
stray・er
―n.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

善き羊飼いとストレイシープ

イエス・キリスト「失われた羊の譬」
ストレイシープの帰還
"Fair is Foul, and Foul is Fair. But Fair is Fair, and Foul is Foul."

黒ミサヤンキーとはサンクチュアリに於ける神聖なオタク(密室の邪神)である。

サヴァン症候群に似ている。

イディオ・サヴァン
[英] idiot-savant
[同義語] 【天才白痴(白痴天才),サヴァン症候群 savant syndrome】
精神遅滞を有しながらある部分のみ突出した能力(記憶,音楽,描画など)を示す状態。その能力は,抽象的および概念的思考ではなく,機械的記憶によるものである。基礎疾患として後天性脳障害を有する例も報告されているが,多くは小児自閉症を含む広汎性発達障害の症例と思われる。部分的に類似するアスペルガー症候群とは精神遅滞を有する点で異なる。
(511021)

『医学書院 医学大辞典』 医学書院

Yan・kee [jǽŋki]〓
―n.
1 ⦅しばしば軽蔑的⦆ ヤンキー,米国人.
▶米国人自身は用いないのが普通.
2 ⦅米⦆ ヤンキー:(米国の)New England 出身者[の住民];(特に言葉や保守的気質などの点で)New England の血を引く人.
3 ⦅米⦆ ヤンキー:米国北部諸州の人[住民],(特に南北戦争で北軍に就いた)北東部諸州の人[住民];⦅米南部⦆ ⦅しばしば敵意を含んで⦆ 北部人.
4 (南北戦争の時,南軍が用いた呼称として)北軍兵.
5 (通信で)Y の文字を表す語.
6 〖軍事〗 ヤンキー(級):旧ソ連の弾道ミサイル積載原子力潜水艦に与えられた NATO コードネーム.
7 (英語の)New England 方言,ヤンキー英語.
8 〖競馬〗 四重勝式投票(Yankee bet).
9 〖金融〗 =Yankee bond.
10 ⦅the Yankees⦆ ヤンキーズ:米国の大リーグ American League の球団 the New York Yankees(創設1903).
―adj. ヤンキー(流)の:〓
◊[刊行物]Yankee『ヤンキー』米国 New England の生活と文化を扱った月刊誌(1936年創刊).
[1758.米語;New York のオランダ語移民が Connecticut の英国移民を呼んだあだ名 Jan Kees(John Cheese)(複数形と誤解された)からの逆成]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

ヤンキー【Yankee】
(もとアメリカ合衆国北部諸州の住民、特にニュー‐イングランドの住民を軽蔑的にいう)
①アメリカ人の俗称。
②アメリカ風の文化・生活を有り難がる者。夏目漱石、彼岸過迄に就いて「今の世に無暗(むやみ)に新しがつてゐるものは三越呉服店と—と夫(それ)から文檀に於る一部の作家と評家だらうと」
③日本で、不良少年・少女をいう俗語。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

◊Yan・kee /jǽŋki/
—n.
1 『ヤンキー』 ⦅ニューイングランドの文芸・文化と生活情報の月刊誌; 1936 年創刊, Yankee Books 社刊; 頑固なまでに同地方の地方色を守り, 写真よりもイラストを多用するなど古さ・野暮くささを逆手にとって地域的エリート意識を盛り上げている⦆.
2 [the ~s] ヤンキーズ ⦅NEW YORK YANKEES↙ の愛称⦆.

『リーダーズ・プラス』 研究社

ニューイングランド
New England
アメリカ合衆国北東部,メーン,ニューハンプシャー,バーモント,マサチューセッツ,ロードアイランド,コネティカット6州の総称。 1614年ロンドンの商人数人が渡来,そのときの船長ジョン・スミスが「ニューイングランド」と名づけた。その後コッド岬に,⇨ピルグリム・ファーザーズと呼ばれる清教徒たちが上陸したのを契機にイギリス人,フランス人,ドイツ人などが移住した。 36年に,ハーバード,エール両大学の前身の学校が設立されたほど,合衆国で最も文化の高い地域で,18世紀には,アメリカ独立運動の温床となった地域である。全域は西方にグリーン山脈,バークシャー丘陵があり,東方にゆるやかに傾斜して大西洋岸にのぞみ,氷食谷や湖沼が多い。気候は,一般に冷涼で,最低月平均気温が-11.9℃(1月),最高は 23.2℃(7月)。ニューヨーク,ボストンなどの大市場を控えて近郊農業が発達。起伏に富む海岸線は,前面にニューファンドランドの世界的大漁場を控えて,ボストン,ポーツマスの漁港の発展を促進。 17世紀中頃から製塩,製鉄工業が興り,次いで,製靴,織物,パイプ,造船などの工業が盛んになり,1980年代にはエレクトロニクス産業の一大中心地となった。資源不足のため労働集約的工業が主。中心都市はボストン。面積 16万 3700km²。人口 1798万 8411(1990)。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

しかしサイトの管理人である「待宵月さん(Matsuyoinotsuki-san)」は責められません。
何故なら自殺志願者の憩いの場を提供しそして自殺への決行を禁止したサイト運営はどうしても悪いとは言えません。
ただその中で起きた集団練炭自殺大事件はサイトの管理人さんにとって「悲劇」でしかないのです。
ただこの集団自殺事件は「サタンの思想」によって行われた「呪われた事件」となっているのです。

私はその後千葉大学医学部附属病院へ通院し事件に巻き込まれました。
人体実験とインフォームド・コンセントにまつわる不正です。

私は2020年3月に群像新人賞応募作品「ナザレの猫」を執筆しました。

七つの大罪(ななつのたいざい、ラテン語: septem peccata mortalia、英: seven deadly sins)は、キリスト教の西方教会、おもにカトリック教会における用語。ラテン語や英語での意味は「七つの死に至る罪」だが、罪そのものというより、人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことを指すもので、日本のカトリック教会では七つの罪源(ななつのざいげん)と訳している[1]。
歴史
七つの大罪(七つの罪源)は、4世紀のエジプトの修道士エヴァグリオス・ポンティコスの著作『修行論』に八つの「人間一般の想念」として現れたのが起源である。キリスト教の正典である聖書の中で七つの罪源について直接に言及されてはいない。八つの想念はエヴァグリオスによると「貪食」、「淫蕩」、「金銭欲」、「悲嘆(心痛)」、「怒り」、「アケーディア(嫌気、霊的怠惰)」、「虚栄心(自惚れ)」、「傲慢」である[2]。
詳細は「ポントスのエウァグリオス#著作『修行論』について」を参照
それを5世紀の初めに(360年頃-430年頃)が「八つの主要な悪徳」としてラテン語世界へ伝えた。一覧の四番目と五番目が入れ替わり、順序が<1>貪食、<2>淫蕩、<3>金銭欲(強欲)、<4>怒り、<5>悲嘆、<;6>怠惰(アケーディア、倦怠)、<7>虚栄、<8>高慢、となった[3]。
6世紀後半には、グレゴリウス1世(540年頃-604年)がその内の「高慢」をすべての悪の根として別格扱いとし一覧から外し、高慢から生まれる「七つの主要な悪徳」として次のものを挙げた。<1>虚栄、<2>嫉妬、<3>怒り、<4>悲嘆、<5>強欲、<6>腹の貪食、<7>淫蕩、である。カッシアヌスの伝えた一覧の「怠惰(アケーディア)」は「悲嘆」に含めてまとめられ、新たに「嫉妬」が加わった。順序は「虚栄」が先頭に移動し、次に「嫉妬」が加わり、「貪食」、「淫蕩」が最初から最後に移動した。グレゴリウスの一覧は、精神的なものが前に、身体的、物質的な悪徳が後ろに並んでいるのが特徴である。[3]
13世紀のトマス・アクィナス(1225年-1274年)も、その著作の中で、キリスト教徒の七つの枢要徳と対比する形で七つの「枢要悪」をあげている。<1>虚栄(inanis gloria)<2>嫉妬(invidia)<3>怠惰(acedia)<4>憤怒(ira)<5>食欲(avaritia)<6>色欲(gula)<7>淫蕩(luxuria)となっており、グレゴリウスが外した怠惰(アケーディア)が悲嘆に代わって復活している[3]。

wikipedia

「何があったのか衝撃が走った。」 週刊朝日スクープから

週刊朝日の指し示すものは人気バンド「T-BOLAN」の「マリア」の歪んだ「愛」である。

私の受けた衝撃は週刊朝日のスクープの存在を「聞蔵」で知ったからだ。
私は数年後に意を決して事件経過を検索してみた。
私自身がこの過去最大の集団練炭自殺の引き金の一つになってしまっただろうという自責の念がそれをさせたのだろう。
そこには一読では理解し難い奇妙な真実が報道されていた。

この人は他者の死を弄んだのではないだろうか!
「疑惑」が沸き起こった。
彼女は「死神転生マリア」なのか?
〈ヒット曲「マリア」は「マリさん(MARI-san)」をモデルに作曲された〉とあります。
たぶんハンドルネーム「マリさん(MARI-san)」は「マリア」から来ているのですね。
あんなに寛容に自殺志願者を集めてただみんなを死へだけ導いてしまったと思う。
7人の他に少し離れたところで2人の集団自殺があった。
マスコミ報道では同一グループが何故か別れて自殺したとされている。
合わせて9人の集団自殺事件だった。

週刊朝日の記事は確かに状況が把握しづらいが実際にこの関係性は彼女の存在を省いては指摘できないのだから仕方がないと感じた。
そこには触れてはいけない暗黙の隠蔽があったと言える。
しかしそれをよく把握してみると結局は彼女達の集団自殺を止めるのは無理だったと言える。
ただ彼女一人で自殺させていれば他の人の巻き込み自殺は防げたのではないだろうか?
そして彼女一人の自殺を止めるには彼女を歪んだ愛から聖愛信仰へ導く必要がある。
そうあるためには彼女が黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)ではなくカトリックロゴス感覚(Holy Communion)を至上とする信仰者となる必要があるだろう。
しかし彼女は人気バンド「T-BOLAN」を崇拝している。
其処にかなり危険な問題があったと考えられる。
人気バンド「T-REX」とマーク・ボランの黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)はビートルズのカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰に対し信仰弾圧の攻撃をするサタン崇拝だった。
しかし彼らはアンチビートルズ(アンチキリスト)でありながらビートルズの後継者に位置づけられていた。
それは宮崎駿の後継者が宮崎駿への攻撃者(アンチキリスト)である庵野秀明とされたアニメオタク事件と同じである。
要はカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰にアンチ(アンチキリスト)である黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を至上とするサタン崇拝を立てることが必ず起こる。
カトリックから自らを閉ざした信仰弾圧のヒーロー(オタク)を祭り上げて行うショービジネスが堕天したルシフェルなのです。
それはヒーロー誕生(オタク)のショービジネスと言えるだろう。
それは決して人を救済するメシア再来とはならないのです。
カトリック・ビートルズから自らを閉ざすことで信仰弾圧を可能としそういったヒーロー誕生(オタク)の存在を祭り上げるショービジネスモデルが人気バンド「T-REX」とマーク・ボランの存在だったと言えるのです。
それは芸術を冒涜する「密室の邪神(オタク)」です。
庵野秀明や草間彌生は芸術信仰を徹底的に冒涜するヒーロー誕生(オタク)のショービジネスであり堕天したルシフェルとしての存在している。
彼らはアートを冒涜することで祭り上げられた堕天使アーティストなのです。
悪魔の芸術とはスカトロジーなのです。

この信仰弾圧の攻撃行為(アンチキリスト)は最悪の黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を正当化する天然邪悪の行為と言えるのです。
それが彼女が拘った堕天使ルシフェルでありサタン崇拝の正体であっただろうと私は考えます。
「マリさん(MARI-san)」は人気バンド「T-BOLAN」の代表曲「マリア」のモデルであり主要メンバーの配偶者であった。
そのバンドスターとの間に子供もいる。
「マリさん(MARI-san)」のサタン崇拝は此処に象徴されているのです。

しかし彼女がサタン崇拝だったのか?
それとも人気バンド「T-BOLAN」がサタン崇拝だったのか?
結局はその攻撃行為(アンチキリスト)の黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を正当化する天然邪悪感覚がキリスト磔刑の天然邪悪と同じであるだろう。
そしてそれはキリストのカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰により人を救済することの全くないアンチキリストの現れである。
「マリさん(MARI-san)」はストレイシープをカトリックロゴス感覚(Holy Communion)によって導くキリストとは全くならなかった。
それどころかただストレイシープを死へ追い込むだけの天然邪悪だったのだろうと私は思った。
メシアとはならずヒーロー誕生(オタク)のショービジネスという堕天使ルシフェルの黒ミサとして集団自殺を行った。
そのようなあり方は彼女の黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚))があってこそ主導されたのです。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)の自殺と黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)の自殺の間には決定的な違いがある。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)は「殉教」として存在するであろう。
それは白ミサのヒューモアと言える。
そこには愛は愛とし冒涜は冒涜とするカトリック信仰がある。
しかし黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を正当化する天然邪悪感覚による「自死」は「最悪の集団自殺(アンチキリスト)」となる。
それは黒ミサのアイロニーである。
そこには愛は冒涜とし冒涜は愛とする神の門(バベルの塔)がある。
それによってカトリック信仰から自らを閉ざした「密室の邪神」として彼女は存在していたのでしょう。
それは大日本帝国の一億玉砕(アンチキリスト)と同様のあり方となります。
そして「盲人が盲人を手引する。(集団自殺)」と同様のあり方なのです。

〈何回か読み直してみると彼女は確かに運転席で煉炭自殺している。〉

私はこの週刊朝日の記事を読むまで彼女のことをよく知らなかった。
しかしこの週刊朝日の記事を読んでこの何とも言えない読後感を味わったのはご理解頂けるのではないだろうか。
なんとも表現のし難いこの感覚は結局「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)」と「黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)」の違いがあるということなのだ。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)のアンチ(アンチキリスト)として黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)がある。
そしてそれはアンチキリストの天然邪悪の現れなのだ。
彼女の存在の天然邪悪さがそのカトリックロゴス感覚(Holy Communion)へのアンチキリストとしてある黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を正当化する天然邪悪感覚にあるというところがサタン崇拝の象徴である。
それは堕天使ルシフェル(サタン崇拝)であるのだ。
それが彼女にとって大切だった人気バンド「T-BOLAN」の黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)によっている。
そして人気バンド「T-BOLAN」とはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)のビートルズのアンチ(アンチキリスト)であった人気バンド「T-REX」とマーク・ボランの黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)によっている。

この事件の闇を追うとかなり世界的な根深さを持った大事件となってくるのだ。
「マリさん(MARI-san)」はかなりの「自殺オタク(劣等感覚)」だったことに変わりはない。
集団練炭自殺の募集案内に「強い意志と凄み」を感じたのは私だけではなく多くの自殺志願者にあっただろう。
しかしそれは天然邪悪なものだと言える。
そして人気バンド「T-BOLAN」の「マリア」も黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を正当化する天然邪悪感覚のサタン崇拝な曲なのだ。

9人死んだ大事件になったのも頷ける。

私もこの集団自殺事件に応募して辞退した一人としてこの大事件に衝撃を受けている。

マリア
Maria; Mary
生没年未詳
イエス・キリストの母。普通「聖母マリア」と呼ばれる。夫ヨセフとともにダビデの家系とされる。マリアはヨセフと婚約していたが,結婚前に聖霊によって懐胎した。ヨセフは離縁を決意したが,主の使いが夢に現れ,懐胎は聖霊によるものであること,その子は救い主となるべきことを告げたので,眠りからさめるとマリアを妻とし,生れた子をイエスと名づけた(マタイ福音書1・18~25)。マリアに対してはヨセフに先立ってすでに主の使い天使ガブリエルによる処女懐胎の告知がなされ,イエスと名づけられるべき子が「いと高き者の子」と称せられ,とこしえにヤコブ家を支配するといわれている(ルカ福音書1・26~33)。聖書の記事からマリアの生涯について詳しく知ることはできないが,神学上は古来マリア論の名称のもとにキリスト論と密接な関係に立ちつつ救済論の主要な契機をなし,マリアの無原罪の御やどり,終生処女性,マリア崇敬,⇨テオトコス(神の母)という称号,⇨被昇天などについて論議がなされている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

彼女は「死神転生マリア」となった。
しかし其の思想的根拠は人気バンド「T-BOLAN」への歪んだ「愛」である。
それは「堕ちた愛」=「堕天使」だった。
彼女は堕天使ルシフェルとなったのだ。

人気バンド「T-BOLAN」の代表曲「マリア」の歌詞を読み批判吟味した感想を記す。

人気バンド「T-BOLAN」の代表曲「マリア」の歌詞を読んだ感想を言わせてもらう。
はっきり言って純愛(聖愛)の否定としての男女関係が描かれている。
純愛(聖愛)を否定して男女関係を成立させるとなんだか歪な関係ができあがる。
その歪な男女の在り方が耽美的な語彙(形容・修飾・装飾)で書かれている。
「マリア」の詩は全くカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰がないのだ。
歪で訳の分からない歌詞であるのだ。
この歌詞は黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)でしかない。
歌詞ではないのだ。(doxaと呪術)
詐欺師が作った擬物の歌詞である。
「マリさん(MARI-san)」をモデルとして書かれた歌詞とされている。
ここでは純愛(聖愛)を否定しながら「優しさ」と「赦し」を歌う。
その正体は天然邪悪の在り方でありサタン崇拝の根幹である。
結局は「最高善の神への反逆」を優しく赦し、そして賛美し翼賛する歌詞であるだろう。
内容のない歌詞であるが実際には純愛信仰(聖愛信仰)を貶めることで否定し黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)による男女の在り方を賛美し翼賛している。
バブル経済期の堕落した社会主義(ネオ・ナチズム)の象徴的な代表楽曲であるだろう。

Bo・lan /bóulən/
—n.
ボラン Marc Bolan (1947-77) ⦅英国のロックシンガー・ソングライター; もと T. Rex↙ のメンバー; 1970 年代前半 David Bowie と共に glitter rock のスーパースターとして, また当時のセックスシンボルとして人気が高かった; 自動車事故で死亡⦆.

『リーダーズ・プラス』 研究社

属名の Tyrannosaurus は、古代ギリシア語: τύραννος (テュランノス)「暴君[注 2]」 + σαῦρος (サウロス)「とかげ」ないし「爬虫類」の合成語で、「暴君とかげ」や「暴君竜」といった意味になる。本属に代表する Tyrannosaurus rex の名は一般にも広く通用している。種小名の rex はラテン語で「王」の意[6]。

wikipedia

〈マーク・ボラン、人気バンド「T-REX」の天然邪悪〉と〈ジョン・レノン、ビートルズの聖愛信仰(カトリックロゴス感覚)〉

バンド名から推察するに彼らはアンチキリストの音楽バンドなのだろうか?
音楽バンドがアンチキリストという発想は何処から来たのだろうか?
ビートルズの後継とされた音楽バンドがアンチキリストというのはビートルズの否定(信仰弾圧)としてある。
後継者とはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰を継ぐものであり信仰者のことを指している。
しかしカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰に対して其のアンチ(アンチキリスト)である黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を至上とするサタン崇拝を後継者だとするのは狂気の沙汰であり天然邪悪の極みであるだろう。

※ダビデ王の後継者がソロモン王であったのはこの典型である。

カトリックロゴス感覚(Holy Communion)の後継者を其のアンチである黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)とすることはアンチキリストでありサタン崇拝であるのだ。
後継者問題が其の聖愛信仰の後継者ではなく其のアンチ(アンチキリスト)を後継者とするのは社会システムの大欠陥と言える。
ダビデ王のカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰を継ぐものが後継者になるべきでありソロモン王(アンチキリスト)は其のアンチ(信仰弾圧)としての黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)の天然邪悪だったのだ。
そしてイスラエルの民はメシア信仰を持つことになる。
それはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰を継ぐ後継者としてのメシアの到来である。
それがイスラエルの民にあったメシア信仰でありキリスト教なのだ。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰を継ぐ後継者の到来がメシア(キリスト)なのだ。
キリスト教は此処にあるのだ。

メシア
Messiah
ヘブライ語,アラム語で油を注がれた者,すなわち聖別された者を意味した。その具体像は,時代によって多少変化している。ダビデの時代には,メシアはダビデの家系を継ぎ,他民族に対して優位を保ち続ける王として考えられ,これは王国分裂後も残っていく。イザヤの時代になると,血統によらず,むしろ正義の執行者という面が強調される。終末時の特別な人格としてのメシア像は第2神殿時代から始るが,大祭司と王という2つのタイプがあり,クムラン教団ではさらに最後の日の預言者という第3の像が加わっている。新約聖書では,イエスがダビデの家系を継ぐキリスト(メシアのギリシア語訳)とされる。イエスをメシアと認めなかったユダヤ教徒の間にはメシア待望の心が残り,ときには強く現れた(その代表が 17世紀の偽メシア,⇨サバタイ・ツェビ)。メシア信仰は教理となりカバラ神秘主義から合理主義神学にいたるまでさまざまな説が展開されている。ユダヤ教近代主義運動では個人としてのメシアは捨てられ,救済された世界への信仰という形をとっている。なお,他の宗教にも救世主信仰はあり,イスラム教シーア派のマーディ,仏教の弥勒菩薩などにメシア的性格を認めることができる。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

キリスト
Iēsous Christos; Jesus Christ
もとは神に選ばれ,塗油を受けた者を意味するヘブライ語メシアのギリシア語訳。1世紀の初め頃,ローマ支配下にあったパレスチナのユダヤ人,ナザレ出身のイエスを救い主とする⇨キリスト教の信仰によってイエスをさす言葉として用いられ,イエス・キリストはその固有名詞となった。キリストの行いと言葉は⇨新約聖書の4つの⇨福音書に記されて今日に伝えられている。福音書の記述は信仰と史実が融合しているが,キリストの生涯の大要は知ることができる。キリストは神からつかわされて救いを告知する神の子,メシアをもって自認し,神の国の到来と,特に貧者,病者,罪人の解放の福音を宣(の)べ伝えたほか,多くの癒やしの奇跡によって悩める人々を救ったといわれる。しかし形骸化した律法に固執する当時の⇨ユダヤ教指導者の偽善をきびしく批判し,律法からの解放と,真の隣人愛を説いたため,彼らからローマに対する反逆人として訴えられ 30年頃エルサレム郊外で⇨十字架刑に処せられた。このキリストが3日後に復活したとする確信によって弟子たちのキリストを救い主とする信仰が固められ,十字架の死は人類を罪から救うあがないの死であり,これによって旧約に代る救いの新しい契約が神と人との間に成ったとされて,キリスト教の宣教が開始された。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

カトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰に対する邪な心理が其の後継者をカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰を信仰弾圧するアンチ(アンチキリスト)の存在とする。
アンチ(アンチキリスト)としての後継者は黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を至上とするサタン崇拝となるのだ。
そして其の天然邪悪はカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰の力を完全否定し黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を至上としてサタン崇拝を行い、「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰感覚」の存在を利用し攻撃しながら全てを否定し破壊し堕落させていくのだ。

オタクの二次創作はカトリックロゴス感覚(Holy Communion)を信仰弾圧し黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を正当化することで天然邪悪感覚へ堕落させたあり方の典型である。
オタクにはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰はないのだ。
だから天然邪悪な黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を正当化する天然邪悪感覚で創作された二次創作にはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰はなく芸術はありえない。
村上隆らは真っ赤な偽物芸術家である。
オタクの二次創作はただの堕落作品である。
「真の赤狩り」の必要性を感じる。

カトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰を破壊し世界を黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)へ堕落させる天然邪悪はアンチ芸術を聖愛信仰の聖芸術の後継者とすることで正当化が行われる。
黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)によって全てを堕落させるのだ。
宮崎駿で言えば庵野秀明がアンチ宮崎駿の黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)の存在であり、しかし宮崎駿の後継者とされた存在となっていることと同じである。
宮崎駿の息子である宮崎吾朗も同様の存在であり宮崎駿の後継者となった存在である。

※ダビデ王の後継者がソロモン王(アンチキリスト)であったのはこの典型である。

ダビデ
Dāwīd; David
生没年未詳
イスラエル王国第2代目の王(在位前 1000頃~961)。ベツレヘムに生れた。彼についての記録は旧約聖書『サムエル記上下』から『列王紀上』2章までに詳しい。初代の王⇨サウルの王宮に楽師として入り,サウルの嫡子ヨナタンと親交を結び,サウルの娘ミカルを妻とした。ペリシテ人との戦いで活躍し,国民的な人気が高まるにつれてサウルの嫉妬を買い,長い逃亡生活をおくった。サウルの死後王位につき,ヘブロンからエルサレムに都を移した。彼は⇨契約の櫃を重んじることによって宗教的統一国家を目指し,また当時エジプト,アッシリアの二大強国が衰退していた機会をとらえて周辺の国家を隷属させ,エジプトからユーフラテス川に接する広大な領土を誇った。すぐれた武人であるとともに,音楽,詩歌にも秀でていた。少年時代ペリシテ人の巨人ゴリアテを石投げ器で討った話や,敵を手厚く扱ったこと,ウリヤの妻バテシバの入浴の姿を見てこれに欲情し,預言者ナタンの忠告に悔い改めた話などエピソードは多い。バテシバとの間に生れた⇨ソロモンが彼の死後王位についた。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

ソロモン
Solomōn
生没年未詳
イスラエル統一王国3代目の王(在位前 961~922)。名前のソロモンはヘブライ語 Šelōmōで「平和な人」の意。旧約聖書(列王紀上1~11章,歴代志上1~9章)に言及される。ソロモンはバテシバを母とし⇨ダビデの末子に生れたが,預言者ナタン,祭司ザドク,ベナヤ,バテシバらは彼の擁立を企て,その結果兄アドニヤに代って王位を継承。政敵を次々と除き,一族郎党で政権を固め,内外の王や貴族の娘をめとり,合計 700人の妻と 300人の妾がいたという。内政的には部族結合の解体,新しい行政区分の整備,軍制の改革と軍備拡張,徴兵・徴税制度の強化など次々と新政策を打出した。対外的には征服事業に乗出し,特にシリアで成功を収めた。商業を重視してエジプト,アラビア,紅海および地中海沿岸諸国との交易を行い,王国の経済的・文化的繁栄をもたらした。その豊かな財力が7年を費やす壮大なエルサレム神殿建築の事業を可能にし,首都エルサレムを古代イスラエル宗教の中心とした。さらにフェニキアの⇨テュロスとの結びつきは密接で,テュロス王ヒラムと海外貿易に乗出したばかりか,その娘とも結婚した。また⇨シバの女王とも交流を盛んにし,紅海沿岸地方の金や香料を入手した。このように国際交流をはかる一方,国内では 12部族の独立性を弱め,中央集権的絶対王政を目指した。他方旧約聖書における知恵文学の多く(箴言,詩篇,伝道の書)が彼の作とされている。しかし王国の繁栄と権力の強化のために,重税と徴用によって国民を疲弊させ,またその積極的外交策の一環として政略的国際結婚を盛んにしたことにより,異教が導入されたため,彼の死後,王国は分裂した。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

彼らはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰を信仰弾圧するアンチキリストとして天然邪悪な黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)であるが後継者として見做され正当化され世界を堕落させる。
そしてビートルズのキリスト教的聖愛もアンチ(アンチキリスト)の存在によって堕落するのだ。
それはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰の後継者に其のアンチ(アンチキリスト)の存在である黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を据えて其のサタン崇拝を正当化する。
ビートルズの後継者とされた人気バンド「T-REX」とマーク・ボランもアンチの存在として黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を正当化された存在だった。
そして人気バンド「T-REX」とマーク・ボランとビートルズの関係の在り方は村上春樹とビートルズの関係と同様だろうと思われる。
村上春樹もアンチビートルズの黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)でありアンチキリストなのだ。
「ノルウェイの森」はサタン崇拝(アンチキリスト)の作品である。
これらの事件は共通性が見られるのだ。
ビートルズはキリスト教的だがそれはどのバンドメンバーのカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰によっているのだろうか?
ビートルズのメンバーはポール・マッカートニーとジョン・レノンとジョージ・ハリスンとリンゴ・スターである。
ジョン・レノンが当初結成していたバンド「The Quarry Men」にその回答があるだろう。
そのバンド名はフリーメーソンを示していると私は見做している。

quar・ry¹ [kwɔːri,kwári|kwɔri]〓
―n. (pl. ―ries)
1 (通例,露天の)採石場,石切り場;採掘坑.
2 (知識・資料などが得られる)宝庫,源泉,もと;(引用などの)出所,種本.
―v.t. (―ried,quar・ry・ing)
1 〈石を〉採石場から切り出す,採石する:〓
2 〈場所に〉採石場を作る;〈場所を〉(浸食によって)削る.
3 〈知識・資料などを〉苦心して捜す,あさる;〈事実などを〉捜し出す:〓
―v.i. (―ried,quar・ry・ing)
1 石を切り出す,採石する.
2 知識[資料など]を捜す:〓
[1382年以前. 中期英語 quarey(名詞)<中世ラテン語 quareia(quareria の異形);quareria<古期フランス語 quarriere<俗ラテン語 *quadrāria 石が四角にされる場所(ラテン語 quadrāre「四角にする」より)]
quár・ri・a・ble
―adj.
quar・ry・a・ble
―adj.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

それは「 Freemasonry」であり友愛結社である。
発想が同じである。
これはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)が同じであることを示している。

フリーメーソン
Freemasonry
自由な友愛を求め,18世紀初頭より結成された国際的な親善団体。中世の石工(メーソン)ギルドの流れをくみ,1717年ロンドンに結成されたのが始りで,全ヨーロッパからアメリカに急速に広がった。ロッジと呼ぶ集会を基礎的組織単位とし,一地域ないし一国内の数ロッジが集って上級の大ロッジを形成する。ヒューマニズムとコスモポリタニズムを信条とする会の原理に忠実であるかぎり,原則的には民族,階級,社会的地位,宗教によって会員の資格は制限されない。入会の際,象徴的,神秘主義的な儀式が行われ,会員は定められた合図,合言葉,符丁によって認知し合う。ロッジ内部には,ギルドの徒弟,職人,親方の3身分が投影された3つの基本的位階があり,大ロッジは独立性を保ちつつ大連合を形成する。フリーメーソンは 18世紀の合理と進歩を重んじる啓蒙主義的な時代思潮のにない手でもあり,個人主義的な倫理を信条とする中産階級,特に知識人が構成メンバーの中心となった。したがって宗教に関しては寛容,反動的な政治に対しては自由を主張したため,本来は秘密結社ではなかったにもかかわらず,教会や政府の弾圧を受けて陰謀団体,革命結社のように危険視された。アメリカ独立革命,フランス革命や 19世紀後半の自由,統一運動にはフリーメーソンの活躍は無視できないが,急進的共和主義や社会主義とは縁遠かった。現在ではその役割と意義は微弱になっている。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

free・ma・son・ry [fríːmèisnri]〓
―n.
1 ひそかな[暗黙の]友愛,本能的きずな:〓
2 ⦅F―⦆ フリーメーソン団の主義[慣行,制度].

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

聖愛の結社が「The Quarry Men」でありビートルズとなったのだ。
私はカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰はジョン・レノンにあっただろうと見做している。

レノン〖John Lennon〗
[1940~1980]英国のロックシンガー。もとビートルズのリーダー的存在で、数多くのヒット曲の作詞・作曲を手がけた。1970年のビートルズ解散後は米国に渡り、ソロ活動や妻オノ・ヨーコとの共作などを行っていたが、1980年、暴漢によって射殺された。
→ビートルズ
〓Instant Karma Online
http://www.instantkarma.com/

『大辞泉 第二版』 小学館

ビートルズ〖The Beatles〗
英国リバプールで結成されたロックグループ。ポール=マッカートニー・ジョン=レノン・ジョージ=ハリソン・リンゴ=スターの4人。「抱きしめたい」「イエスタデイ」「ヘイ‐ジュード」などのヒット曲を生み、1960年代以後の社会・文化に大きな影響を与えた。1970年に解散。

『大辞泉 第二版』 小学館

これはビートルズのキリスト教的聖愛にジョン・レノンのカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰が大きかったと言える証拠である。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰は純愛信仰となるのだ。

LET IT BE

 When I find myself in times of trouble, Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom, let it be

〈マーク・ボラン、人気バンド「T-REX」〉の「サタン崇拝」

アンチキリストだけの何の聖愛信仰もない天然邪悪だったのだろうか?
天然邪悪とはアンチとしてある。
オタクもアンチとしてある。

「天然邪悪の栄え」である。
それは黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)である。
ビートルズへのアンチとしてのサタン崇拝のオタクだったのだ。そして彼女の奇妙な主張はこのサタン崇拝の自殺オタクとして表出した凶悪な「悪魔」だったのだ。
黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)のサタン崇拝の存在証明である。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)へのアンチとして存在する黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)はサタン崇拝である。
では悪徳と天然邪悪の違いは何かを説明する。美徳と悪徳と天然邪悪の関係は「カトリックロゴス感覚(Holy Communion)が美徳」であり「それに対するアンチであり否定である悪徳は天然邪悪」であると言える。
しかし「悪徳を悪徳と見做すことはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)であり美徳」である。
そして「悪徳を美徳と見做すことは黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)であり天然邪悪」であるのだ。
最後に「天然邪悪を天然邪悪」と見做すことはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)である。
しかし「天然邪悪」とは「黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)」である。
そこにカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰はあり得ない。
逆転の問題である。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)で言えば「天然邪悪」は「黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)」でありそのカトリックロゴス感覚(Holy Communion)への逆転はカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰では絶対にあり得ない。
黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を正当化する天然邪悪感覚によってそれはあり得る。
しかしそれはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰ではなくサタン崇拝(アンチキリスト)でしかない。
それは黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)がサタン崇拝であり、それをサタン崇拝と見做すことはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰にとっては逆転のないカトリックロゴス感覚(叡智)であることを示している。
最高善の神の認識である。
ではそのサタン崇拝の正体とは何だろうか?
黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)である。
そして黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)が正当化される理由はカトリックロゴス感覚・純愛メシア信仰(Holy Communion)に対するアンチ行為である。
それはアンチキリストであり堕天使ルシフェルでありそれはサタン崇拝(悪魔崇拝)である。
最高善の神への反逆行為であるのだ。
黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)の存在なのです。
サタンの存在証明である。

マルキ・ド・サドはキリスト者でありサタン崇拝ではない。

マルキド・サドの「悪徳の栄え」は悪徳について書かれているがサドが天然邪悪な訳では無いのです。
サドにはカトリックロゴス感覚(Holy Communion)が明確にあるからです。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)と天然邪悪は全く違います。

天然邪悪とは黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)である。
それは「冒涜は愛、愛は冒涜」なのです。
そういったあり方は「黒ミサのアイロニー」と言えます。
よって黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を至上とするものはアンチキリストとなるのです。
それは不浄の世界を示しています。

マルキド・サドの作品は「悪徳は悪徳」として描かれ「美徳は美徳」として描かれている。
それは「冒涜は冒涜、愛は愛」なのです。
そういったあり方は「白ミサのヒューモア」と言えます。
そこには黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)を嫌うカトリックロゴス感覚(Holy Communion)の存在証明が為されている。
それは世界の回復と浄化を示しています。
それがマルキド・サドの作品を世界文学とした理由であるのです。

しかし日本に於いて第一級の世界文学者と目されている村上春樹はマルキ・ド・サドと逆であるだろう。
カトリックロゴス感覚(Holy Communion)の聖愛信仰を信仰弾圧する黒ミサカルト感覚(ギルティをイノセントとする感覚、イノセントをギルティとする感覚)が村上春樹ワールドである。
それは「黒ミサのアイロニー」と言えます。
要は村上春樹文学は世界を「白ミサのヒューモア」によって全く浄化しないのです。
そういった文学ではないのです。
それは文学信仰の信仰弾圧を示しています。
逆に村上春樹文学は世界を「黒ミサのアイロニー」によって完全に不浄とするのです。
村上春樹文学は悪しき文学と言えるでしょう。
文学崇拝を賛美するサヴァン症候群(文学オタク)を祭り上げることで文学信仰の冒涜を大宣伝したのです。
それが堕天使ルシフェルのあり方です。
今、世は村上春樹ブームであると言われています。
ただ少なくとも世界を不浄とする村上春樹が世界文学者だなんて発言は失笑を買うと言えるでしょう。
何故ならば彼の作品は放射性廃棄物(デブリ)と言えるからです。

○失笑(しっしょう)を買・う
愚かな言動のために笑われる。「的外れな発言をして―・う」

『大辞泉 第二版』 小学館

もくしろく【黙示録】
新約聖書の最後の一書。95年ごろローマの迫害下にある小アジアの諸教会のキリスト教徒に激励と警告を与えるために書かれた文書。この世の終末と最後の審判、キリストの再臨と神の国の到来、信仰者の勝利など、預言的内容が象徴的表現で描かれている。ヨハネ黙示録。アポカリプス。

『デジタル大辞泉』 小学館

もくしぶんがく【黙示文学】
apocalyptic literature
前 200年頃~200年頃にユダヤ・キリスト教文化圏で書かれた一連の宗教的文学ジャンルの総称。未来の出来事,特にこの世の終末のときのありさまについての秘密の知識を超人間的な手段で知り,これを象徴によって人々に語り,最後まで忠実である人々を神が劇的に救済するという匿名の(ときに高名な預言者の名を借りた)書物が中心。宗教的圧迫や政治的苦難を社会的背景として生れ,民衆の間に広がった。また⇨エッセネ派や原始キリスト教に深い影響を与えた。聖書正典としては旧約の『ダニエル書』,新約の『ヨハネの黙示録』が代表的。その他聖書,外典を問わずこの文学に属する文書または断片は少くない。これらの文学の解釈をめぐっては,未来を預言するとするもの,荒唐無稽とするものなどさまざまな立場がある。 19世紀以来この種の文学が復活し,現代の SFにもこの傾向がみられる。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

a・poc・a・lypse [əpákəlips|əpɔk―]〓
―n.
1 ⦅the A―⦆ =revelation 4.
2 黙示書,黙示文学:紀元前200年ごろから紀元350年ごろ書かれたユダヤ教およびキリスト教の著述で,最終的な神の目的を啓示するもの.
3 (黙示文学の)啓示,黙示:特に最終的には神の力が悪なる力に勝利する形となる世の大変動についての天啓.
4 (一般に)啓示,予言.
5 全面的[広範囲に及ぶ]破壊[惨事]:〓
◊[美術]The Apocalypse『黙示録』A.Dürer 作の連作木版画集.
[映画]Apocalypse Now『地獄の黙示録』F.Coppola 監督,M.Brando 出演(1978,米).
[c1200? 中期英語<後期ラテン語 apocalypsis<ギリシャ語 apokálypsis 啓示(apokalỳptein「覆いを取る」より)]
『ランダムハウス英和大辞典』(第2版) 小学館
4 ⦅時に the Revelations⦆ ヨハネの黙示録(The Revelation of St.John the Divine,the Apocalypse). 略:Rev.
5 ⦅R―⦆ ⦅商標⦆ リヴェレイション:米国のパイプタバコ.
[c1303.中期英語 revelacion<後期ラテン語 revēlātio〔ラテン語 revēlāre「明らかにする(REVEAL)」より〕]
rev・e・la・tion・al
―adj.

『ランダムハウス英和大辞典』(第2版) 小学館

rev・e・la・tion [rèvəléiʃən]〓
―n.
1 (隠れていたものを)見せること,暴露,口外,すっぱ抜き;発覚.
2 暴露された事物;(人にとって)驚くべき[予想外の]新事実,思い掛けないこと⦅to …⦆:〓
3 〖神学〗
(1)啓示,天啓,黙示.
(2)啓示されたこと,お告げ:〓
(3)啓示を述べているもの(聖書など).
4 ⦅時に the Revelations⦆ ヨハネの黙示録(The Revelation of St.John the Divine,the Apocalypse). 略:Rev.
5 ⦅R―⦆ ⦅商標⦆ リヴェレイション:米国のパイプタバコ.
[c1303.中期英語 revelacion<後期ラテン語 revēlātio〔ラテン語 revēlāre「明らかにする(REVEAL)」より〕]
rev・e・la・tion・al
―adj.

『ランダムハウス英和大辞典』(第2版) 小学館

後記

朝日新聞さんの「聞蔵」に衝撃を受けました。
「マリさん(MARI-san)」主導した集団練炭自殺は計「9人」の死者が出ました。
警察機関は私のメールアドレスも知っていた筈なのです。
何故なら私は彼女に応募メールと返信メールを送信しています。
そして私は捨てメールアドレスを利用していませんでした。
しかし捜査機関からは何の連絡もありませんでした。

何故私が警察機関に不信を抱くかと言えば「チャットルーム」に張り出された「マリさん(MARI-san)」のメールアドレスを解析すれば事件の概要は知り得た筈ではないかと私は考ているからです。
メールの解析によって彼女が何を行っていたのか判明する筈であったと考えています。
一体何人の自殺志願者と彼女と接触していたのか?
この「9人」は氷山の一角だろうか?

警察機関は当然捜査していると思われるが、しかし当事者の一人であった私のメールアドレスには全く捜査は及んでいなかった。
事情聴取があって然る可きだと考えていた私は何時警察から連絡が来るかビクビクしていたのです。
一応私は台風を口実に辞退し暗に集団自殺の中止の方向を仄めかしたことを証言し申開きをするつもりでいました。
この大事件に私なりの責任を感じていたのです。

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