【カトリックアニメ信仰】③「新約聖書」に見る「風の谷のナウシカ」への「バフォメットカルチャー」とは?
庵野秀明の正体とは「バフォメットの偶像崇拝者」である
庵野秀明をエクソシストする
庵野秀明は宮崎駿監督映画「風の谷のナウシカ」への「黒ミサ」を司ることでバフォメットアニメを制作したのです。
だから宮崎駿のカトリックアニメを継承したと庵野秀明が自他共に認められるならそれは「悪質な特殊詐欺」(神演出)とされるであろう。
この辺りは鈴木敏夫が画策しているらしい。
しかし鈴木敏夫という存在は無能をヲタ芸(cult)で祀り上げた「バフォメットの偶像崇拝」であるだろう。
そういった意味で鈴木敏夫は宮崎駿より庵野秀明の仲間である。
近く(ジブリ)にいるから宮崎駿の仲間という訳ではないのです。
人生とはそうではないですか?
愛する人が近くにいるわけではない。
「バフォメットの偶像崇拝」
ここに示したイラストはイエス・キリスト(風の谷のナウシカ)が受肉した「唯一性のペルソナの確立」(カトリック信仰から形成されたオリジナル)へ「黒ミサ」を執行し「バフォメットの偶像」を制作した証拠と言えます。
イエス・キリスト(風の谷のナウシカ)はカトリック信仰から受肉する「フロイト精神分析学のペルソナ」であった。
しかし庵野秀明氏はイエス・キリスト(風の谷のナウシカ)を大冒涜し、この仮面(ユング心理学の多面的面子)を付けたモンスターをイエス・キリスト(風の谷のナウシカ)としました。
それは人間関係のヲタ芸(cult)で形成される「ユング心理学の多面的面子」であり「バフォメットの偶像崇拝」です。
このイラストはイエス・キリスト(風の谷のナウシカ)へ「黒ミサ」を執行し制作された「バフォメットの偶像」です。
それは「バフォメットの異端教団」(明けの明星)の存在を証しています。
そういった「バフォメットの異端教団」(明けの明星)は「一神教」へ一々敵対する「多神教」のあり方と同様です。
「唯一性のペルソナの確立」(カトリック信仰から形成されるオリジナル)を冒涜した「アンチキャラ」(敵対する者)なのです。
「アンチキャラ」(敵対する者)とは「バフォメットの偶像崇拝」でしかなくキャラクター(三位一体のペルソナ)ではありません。
そして「多神教」も「ユング心理学の多面的面子」と同様で「アンチキャラ」(敵対する者)でしかないのです。
要はカトリック信仰へ一々敵対するヤンキー(地域的エリート主義)となるのです。
それはヤンキー(地域的エリート主義)自らの中身にキャラクター(三位一体のペルソナ)がないことを示し、カトリック信仰を大冒涜する「サタン」(敵対する者)となっていることを意味しています。
そういった中身のないヤンキー(地域的エリート主義)の人間関係は状況(情勢論)により形成される多面的な面子であり「真の誠実」も「真の信用」もありません。
イエス・キリスト(風の谷のナウシカ)にある「唯一性のペルソナの確立」(カトリック信仰から形成されるオリジナル)は「真の誠実」と「真の信用」を示しています。
それがイエス・キリスト(風の谷のナウシカ)です。
庵野秀明氏はイエス・キリスト(風の谷のナウシカ)へ「黒ミサ」を執行しながら「愛」を語ります。
庵野秀明氏はイエス・キリスト(風の谷のナウシカ)への「愛」を語りながら「黒ミサ」を執行しています。
イエス・キリスト(風の谷のナウシカ)とは「カトリック信仰から形成されたオリジナル」(唯一性のペルソナの確立)です。
イエス・キリスト(風の谷のナウシカ)が言うようにカトリックの「魚とパン」によって人は満腹となります。
しかし「バフォメット」の「魚とパン」とは何でしょうか?
又、「バフォメット」の「魚と卵」とは何でしょうか?
「新約聖書」によると「魚とパン」の「バフォメット」は「蛇と石」とされ、又「魚と卵」の「バフォメット」は「蛇とさそり」とされています。
「カトリックロゴス信仰」はイマーゴ(神の似姿)への愛
「魚とパン」は「魚とパン」であり、「蛇と石」は「蛇と石」です。
又「魚と卵」は「魚と卵」であり、「蛇とさそり」は「蛇とさそり」です。
「バフォメットの偶像崇拝」は倒錯愛好への賛美
「魚とパン」は「蛇と石」であり、「蛇と石」は「魚とパン」です。
又「魚と卵」は「蛇とさそり」であり、「蛇とさそり」は「魚と卵」です。
最後に・・・
「バフォメットの偶像」を打ち砕け!
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