「ダリアの帯」から、金の帯、銀の帯
昨日、職場で永年勤続者の表彰があった。今年度の勤続35年の謝辞を読み上げる代表に選ばれた。今年の同期55名の代表。女性は初めてかも。母が遺した着物を着ることにした。
この着物を母が買ったのは覚えてる。42年前。だけど、母は一度も着ることはなかった。専業主婦の母には着ていく場所がなかった。40年ぶりに母の箪笥で見て、その美しい着物にうっとりした。なぜか、母は帯を持ってなかった。それで、大好きな近所のブックオフの隣にあるキモノオフで、帯を探した。最初に選んだのは金の幾何学模様の帯の反物。帯を仕立ててもらっても1万数千円。あまりの安さに錦織の業者が気の毒になった。私が主催した仕事のパーティで着た。みんなから絶賛された。誰も帯が数千円の反物とは気がつかない。あとは、子供の卒業式。
2本目の帯は、金糸銀糸で織り込んだ素晴らしい帯の反物。芸術品。だけど、二足三文だった。日本の呉服マーケティングの切実さで胸が痛くなる。本当は、昨日、この新しい帯をしめたかったけど、着物に合わなかったからやっぱり、昨日も金の幾何学模様にした。
母がこの着物を買った頃。私の当時の彼が、「ラメって、本来なら自然淘汰される生命体だよ」と、ある日あっさり言った。そして、大島弓子さんの「ダリアの帯」を出して、このキイナという奥さんにそっくりだと言った。本当にそっくりだった。ダリアの帯を織ろうとして、桐のタンスに土を入れて、ダリアを育てる女性。帯を得るのに、ダリアから育てる。生産性なし。流産をきっかけにおかしくなった女性。まだ、21才だったけど、自分でもわかった。私も流産したら気が狂うだろうって。そして、彼は続けて、「ラメは1人ではこの世界では生きていけないから、俺から離れられない」と今でいうところのDV夫みたいなことを言った。なんか悔しかった。そして、大学を卒業したら、この家も出て行くし、このしつこい人とも別れようと決心した。(別れるのにそれから3年もかかった…)
大学卒業後1年経って、家を出て大学院に行った。1980年代半ばまだ誰も大学院には行ってない。それから急激に私も時代も変わった。そして、帯は、ダリアから育てなくても、ブックオフならぬキモノオフでちゃんと買えるおばさんになった。