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2025年の始まりー「書くこと」への思い 

 ベルリンの新年は、花火で5人の若者が亡くなり、警察官1名が重体になったというニュースで始まった。日本では、東京消防局が、もちを食べて、喉に詰まらせて9人が搬送2人が亡くなったというニュースだった。
 
 ベルリンからフランスに戻って、友達の家で、あらためて新年を祝った。新年の花火は、フランスでも上がる。ただ、花火で亡くなった人がいるとは聞いてない。友達の家で、ベルリンの花火犠牲者が話題になった。フランス人は、ドイツは花火規制しないから、たくさんの犠牲者が出るという。ドイツ人は、事故は花火のせいでなく、打ち上げ花火を個人が作ろうと火薬を混ぜ合わせるのが問題で、花火規制は不要との意見。

 ただ、私自身、翌日のお正月も、ベルリンの路上で年端のいかない小さい子供が親に隠れて花火してるのを2度見た。 

 まあ、日本でもお年寄りが餅を詰まらせて死亡するけど、餅を規制することはできない。花火も規制できないのはわかる。だけど、やっぱり、小さい子供が火を使うのは保護者が禁止する必要がある。

 フランスに比べて、首都ベルリンは警察の姿をほとんど見ていない。安全なんだと思う。かなり大きい打ち上げ花火を路上でどこでも打ち上げる自由がある…。ちっとも羨ましくないけど。

 そんな話しで始まった新年。

友達の家の暖炉。120年前の陶器製。ルサパン(杉)の匂いが香ばしい。

 暖炉前でシャンパンと私の好きなアーティチョークのパテを食べながら花火の話しが続く。
 フランスでは、7月14日の革命記念日に打ち上げ花火を市があげる。私も、「日本では、夏に毎週のように花火大会がある。自治体が中心のところもあるけど、新聞社が中心の花火大会もある」と言った。

 「ジュウルノー?プレスか?
驚いた!プレスが花火を上げる余裕があるなんて!」

 「ドイツもフランスのプレスも青色吐息でそんな余裕がない。大体、記者は全員、契約記者で独立。ドイツのシュピーゲルも、フランスのルモンド、フィガロも自社記者はいない。」

 「独立記者は大変。取材、資料費用も自分持ち。食べていけない。日本の新聞社、この時代にすごいよ。とても興味深いこと聞いた」と驚かれた。

 「友達のマルチェロは、4カ国の語学が自由に操れるジャーナリストだったけど、最近廃業して、靴磨きになった」と話した。高級ホテルで働くマルチェロの写真をネット記事で見せてもらった。

 「たくさん勉強して記者になったのに、廃業するなんてもったいなくない?」というと、確かに、だけど、そういう時代とみんなうなづく。厳しい、日本以上に厳しい、ヨーロッパの現実を垣間見た。

 ダイニングに移って、夕食が始まる。

好きな具材を小さいスコップに入れて上にチーズを置いて焼くラクレット。フランス版鍋。ボルドー赤に合い過ぎる

 赤い風船の壁の言葉も、壁に描かれた日本の絵もみんなで話し合って、一応の答えは出た。参照 「ベルリンの大晦日と新年の中で自由を思う」

 ヨーロッパに住んで学んだことは、話し合い、議論。対話。納得すること。

 今年の目標はたくさんある。想像するだけで、胃がチクっとする。目標の重労働に対する私のセロトニンはちょっとしか出てない…。適応障害予備群…。

 だけど、私は、セロトニンもドーパミンも欠乏して、自律神経が失調しても、泣いて立ち止まる時代は過ぎた。だって、61歳だから。大体、ドライアイで涙もあまり出ない。美しさの盛りもとうの昔に過ぎて、地を這いつくばっても、あんまりきの毒にも思われない。

 そして、私は、noteに書く場所を見つけた。対話する場所も。

プロイセンのシュロスシャルロット。ここは書斎。どの部屋も素敵でため息。フランス人の友達に、ベルサイユ宮殿より、シャルロット城の方が好きかもというと、それは当然と答えた。シャルロット城はロマン調で、ベルサイユ宮殿はロココ調とのこと…。
本当は、ポツダム宣言をしたセシリエンホフ宮殿の行くつもりが、修復中で入れなかった。だけど、シャルロット城も来て正解。

今年は、あなたにとって、人生とはと聞かれたら、「書くこと」って答える。来年は、何になるかな?ちなみに、以前は、「働くこと」だった。

日本の間。ヨーロッパ一のデコラテゥーだったソフィーシャルロット妃がイメージした日本。18世紀当時、日本のイメージはオランダからしか入ってこなかったから長崎ぽい感じなのかなと思ったり。