ベルリンの大晦日と新年の中で「自由」を思う
昨日、スーパーreweからの帰り道、赤い風船を持っている女性から、この壁の前で写真を撮ってと言われた。14時頃で逆光になったため、あらゆる角度で撮ってあげた。
彼女と別れた後、赤い風船から、ドイツのバンドネーナの99Luftballonsを思い出した。そのドイツ人女性に、どうして、この壁なの?そして、なぜ、赤い風船なの?どこで買ったの?ネーナを知ってる?と次から次に質問が出てきた。だけど、戻っても、もう彼女はいなかった。
自らその答えを求めて、ベルリンの壁を見に行くことにした。1989年11月に崩壊したベルリンの壁跡に行ってみた。今はこれだけ。
イーストサイドの壁の絵は崩壊後1990年以降に描かれたもの。いろんな絵がある。
壁を見て回っても、「ポジティブに考えろ。」OSの意味はわからなかった。
今度は、彼女が持っていた赤い風船の方。1983年に作られたネーナの99Luftballonsの歌詞にヒントを求めた。
今、再び、この流行曲を聞くと、壁があった時代、ドイツの若者達はいつも戦争が目の前にあったことに気がついた。私が大学生の頃。自分以外のことを考えていない頃。
ベルリンの街を歩いていると、自由の文字があちこちに飛び交う。1961年から1989年11月まで、わたしが26歳まで東西分断されてた街。分断の抑圧感はすさまじいものだっただろう。
東ベルリンから西に逃げようとした若者は射殺された。
そんなことを考えながらベルリンの街を歩いた。
ピエタ像があった。
こんなことなら、赤い風船を持った女性に話しかければ良かった。5分は写真撮ってたのに。これからは、知らない女性にもどんどん話しかけることにする。変わってると思われてもいい。実際、変わってるし。
続きは、明日、ポツダム会議があったツェツエリンホフ宮殿のポツダム宣言記念館で調べることにする。昨日、今日と休館で行けなかった。また、3日は友達の家で新年のパーティをすることになった。ベルリン訪問記念にドイツ人と議論しようって昨日連絡が入った。
その打合せをしてたらあっという間にオペラの時間がきた。初地下鉄。かなり高い。平日3.5ユーロ、祝日3.8ユーロ。信じられない…。それになぜか来ないし、満員。やっぱり、鉄道の方がいい。
5時開演でドイチュオーパーに着いたのは15分前。クロークにコートを預けたら、あまりの人の多さに席を見つけるのは一瞬諦めたほど…。ドイツ国立オペラ座には、フランスやウィーンと違って、席案内の係員がいない。
パンフレット販売のマダムに、Linkというのは、もしかして、リンクではなく、leftのことか?とほぼ日本語で聞くと、めちゃくちゃ心配そうにそうだと答え、「あなたの席は、こう行って、少し曲線を描き、真ん中までずんずん歩いたとこよ。(諦めないで)」と応援してくれた。さらに、また、別の生活に疲れた痩せたパンフレット販売のマダムがいたので、29番は本当にあるのかと聞くと、大丈夫、中にずんずん入ってと鼓舞された。
もう、熱狂のドイツ人聴衆は、席についてる。こんな中、みんなに席を立ってもらって中にずんずん入るのは少し勇気がいる。疲れたパンフレット売りのおばさんも、私が行けるのか心配そうに見てる。ただ、金庫が置いてあるので持ち場から離れられない。
端の47番に座っていたおじさんに14列というのが見当もつかないと途方にくれたようにいうと、自分が16列だから、14列は、2列後ろと教えてくれて、そこから20人の人に立ってもらって29番に座れた。
こういう風に、聴衆同士が助け合うのが、ドイツ国立オペラなのか!奮発して、良い席を取ったのに、席案内の黒服がおらず、席まで辿りつけず、諦めるところだった。
とにかく圧巻は、第二幕の付き合ってから2週間後のクリスマスイブ。第一幕から、火を使うが、第二幕は、すごい!大道芸人の火の輪の芸から、最後は舞台で花火を上げる大胆な演出。本物の火が主役のごとく、火が上がる。火災の心配はないの?
第二幕が終わり、休憩合間に、オペ友さんと落ち合い、シャンパン(ゼクト)で乾杯!みんな第二幕の興奮冷めやらず。
第三幕冬、それから第四幕夏に、詩人の恋は終わってしまう哀しいストーリー。だけど、本当は終わっていない。だから、ララランドより寂しくないよ。みんな泣いていない。
命が尽きただけ、恋の炎は消えていない。
プッチィニオペラの歌と、このベルリンの演出は最高。もう一度見たい。ベルリンに来て良かった。
ベルリンの夜はというより、ヨーロッパ中、大晦日は花火大会。若者達は、花火を背負って街に繰り出し朝まで花火大会。タイトルバックのホテルの部屋の窓から見える花火、夜通し。だけど、朝4時頃聞こえなくなった。
翌朝、今日、お正月は、絵に描いたような酔っ払いが通りを歌いながら歩き、道には花火の残骸。
お正月でも、やってるウィーン菓子のお店で、お茶した。
そして、夜は、私が愛してやまないドイツ最高ビール、ミュンヘンPaulaner直営のビヤホールで食事!お節より好き。夫も連れてきてあげたかった。
それでは、最後になりましたが、
Guten Rutsch!
Bonne année!
あけましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願いします。