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青い鳥と自信はすぐそこにある
イラっとしても、すぐに言い返さず、2回我慢するようになった。例えば、メールの場合は2回書き直して、いい感じに中和され、でも、自分の主張も込められた3本目のメールを返信できるようになった。これはnoteのおかげ。
実は、私のnoteには、下書きに日の目を見ない書きかけ記事がたくさん残っている。大体、3本目が日の目を見る。1本目、面白いと思って、長時間考えていた記事を書いてみると、思いのほか、面白くない…。没ネタ。
そのまま没ネタの写真を使って、似たような記事を書いてみるが、うーん…。
でも、その記事をいじりまわし、どんどん書き連ね、文章の順番を変えたりすると、本当に言いたかったことが形になる。不思議。だから、苦手な同僚へのメール返信も3回、メールを書き直す中で、私の希望がどんどん具体化されていく。
本当に思っていることって、自分では、わかっていない。だけど、思っていることを書いてみると何かが違うって気が付く。本当はこんなこと思っていない。書いているうちに、気が付く。
同僚とかに言いたいことを言えるようになった。彼女や彼に何を思っていたか、何をしてもらいたいか、書いているうちにわかるようになった。
この理由の一つに、「自信」も関係していることに気が付く。
この自信は、今まで私が思っていたような他人から付与された評価による自信ではない。自分の内から湧き出た自信。この自信はどこからくるのか。
その一つに甘えを捨てたこと。ここ数日、期限までに仕事を仕上げる中でついた自信。とにかく、期限どおり仕事をする。いい加減ではなく、手を抜かず仕事をする。全然進まないし、ジムにも行けなくなる。お腹もすく。だけど、大人なんだから仕事に集中する。そうすると、それが自信につながる。今までなんでできなかったのか。
なんで50年間できなかったか気が付いたことは、仕事をすることがイヤイヤだったから。例えば、文句ばかり言うクライアントに、また文句言われるのが嫌で、言われないように仕事をしてた。
今は、先に、仕事をする。文句言われたとしても、精一杯したのだから、堂々と、「お気に召さなくて、ごめんなさい。どこがダメでしたか」と聞ける。前は自信がなくて聞けなかった。
自信ってこんな簡単につくんだって拍子抜けした。なぜ、私の周りの大人たちはみんな自信がなかったんだろう。
ズル、見栄、いい加減に生きていた人ばかりしか周りにいなかったのかも。違う。私自身が、そうだったから、自信一杯の人が苦手だった…。あの人、大したことないのに、なぜ、自信いっぱいなんだろうって。なんで、楽しそうに生きているんだろうって。ちっとも大したことないのにって。
自分が好きな仕事や家事を一生懸命していることに誇りをもつそれだけ。たったそれだけ。人から褒められる必要なんかない。
自信がつくと、毎日が楽しくなった。
小さいときにわかっていたら、楽しい人生を送れたのかもしれなかったとも思う。楽しそうにしているといつも私をくさす母の目の前で、母の視点で自分の生活をグレーに変えてしまったのかも。でも、本当は、母からの評価を受けても、自信をもつことはできたはず。
私の進学や結婚のたびに、くさす言葉を伝えにきた叔母(母の姉)。私が幸せになることを心から憎んでいた。でも、そんな叔母の醜い言葉を浴びても、自信をもつことはできたはず。
「くさし屋三姉妹」「世界で一番醜い姉妹」というタイトルで、母たちのことを小説にしたいと思っていたが、興味がなくなった。だって、彼女たちの言葉は、なんの意味もなかったことに気が付いたから。
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