待チ人ハ考エル

やあやぁ、ひねもねです。
突然ですが、待つのは得意ですか?

人気のお店の行列、某ネズミランドのアトラクション、合格発表、ホットケーキを返すタイミング…
生きていく中で「待つ」という行為はそこら辺中に転がっています。どれもその時間に見合った結果や、したいから、必要だから待つのです。


じゃあ待つ間あなたは何を考えますか?
「何か」待っている、その「何か」の事を考えて待ちますか?それとも全然違うことをして待っている事を頭から少し遠ざけますか?


私は待つのが得意ではありません。
行列が出来ていたら違う店に行くし、1時間も待つなら違う事が出来ていたなぁとぼんやり考えてしまう。結果が出るまで気持ちはそわそわしてしまうし、頭の中から消えないでずーっとその事が居座ってしまいます。

だけれど生きている限り、
待つ事から逃げることも出来ないのです。

そして、私が今待っているのは「人」です。


時間ハ経ツ

正確には人の考えが整理されるのを待っています。
なので、期間はわかりません。それがもやもやとしている原因でもあります。

昔の私は、その場で答えを求めるかその期間を聞いてそれまでに満足の行く答えが出なかったら居なくなるという、よく言えば合理的に悪く言えば傲慢に人と関わってきました。

結婚生活をしていく中で何度か修羅場をくぐってきて今8年目ですが、考え方が変わってきました。

人の感情には「時間」が必要なのだと。

色々割愛しますが、今この考えに気付いたということは、私はずっと待たせ人側だったんだと思います。

いつまで待てばいいのか分からない事は苦痛です。
それでも相手を尊重する為には、何もせずに待つ事が最善なのだと分かってしまいました。
この辛さは待たせ人のせいではなく私の問題なのだと頭では分かっているのです。

待タセ人ハ何ヲスル

じゃあ、待たせ人は何を考えているのでしょう。
待ち人の事を考えるのでしょうか?

経験から言わせてもらうと、きっと考えていません。自分の事で精一杯だからです。
それはそうです、待ち人の事を考えられないからこそ待たせているのだから。
それは待ち人を蔑ろにしている事とイコールではないのです、むしろその逆で待ち人の事を考えたいと思ってくれているからだと 私は思いたいです。

待ち人側になって気付いた事は、待ち人は思いのほか待たせ人の事を考えるという事でした。
苦痛ですね。とても時間が長く感じます。

この苦痛があるぐらいなら、待つ事を辞めた方が楽です。でも、そうしたら待たせ人はどうなるでしょう?
宙ぶらりんに目的地を見失ってしまうのではないでしょうか。それこそ苦痛です。

私はそうしたくないから、ひたすらに待つのです。
待っている人がいるというのはそれだけで価値があるはずだから、そう信じています。

それじゃあ、また今度。

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