自分のために書くnote/はじめてのnote
関西でテレビ番組制作の仕事をしています。
生まれ育ったのは、山奥の村。
同級生は8人しかおらず、
周りに娯楽はありませんでした。
本屋もないし、CDもどこにも売っていません。
実家に帰るたび、
スマホに映る「圏外」の文字に愕然とします。
都会への憧れと地元の退屈さに飽き飽きしていた僕は、
遠く離れた大学に進学し、一人暮らしを始めました。
バイト先は大学近くのヴィレッジ・ヴァンガード。
よなよな、自宅のマンガの配置を並び替えて
ニヤニヤするのが
趣味の僕にとっては、最高の職場でした。
めでたく書籍担当を任せていただき、
ニヤニヤしながらポップを書く毎日でした。
バンド活動も始めました。
ギターボーカルとして、
自分が書いた曲をライブハウスで歌う。
ファンは全然いなかったけれど、
いろんな都道府県にも行けたし、
仲間にも出会えたし。
振り返ってみるといい経験です。
家にいるときは常にラジオを流していました。
同級生とお酒を飲んで話すよりも、
パーソナリティが話しているのを、
家事をしながら、ゲームをしながら、
ダラダラ聴くのが自分にあっていました。
就職先は出版業会とテレビ業界に絞っていました。
コロナ禍で、それまで当たり前にあったものが
不要とされる状況。
そんな中で僕の生活を支えてくれたものは、
本・マンガ・音楽・ラジオなど、人が表現したもの。
自分も表現する仕事に就きたいという思いが
強くありました。
ご縁があって、大阪のテレビ制作会社に
入社することになりました。
周りの友人たちも就職先が決まりだしたころです。
noteを書く友人が何人かいました。
僕が通っていたのは文学部ですし、
そう不思議なことでもないんですが、
noteという形で文章を書くことに、
僕は魅力を感じていませんでした。
むしろ、社会人になってから
テレビという形で表現者になるんだ、
一般企業に就職するまでの期間に、
暇潰しのnoteを書いているあいつらとはちがうんだ、
という良くない尖り方をしていました。
(本当に良くない尖り方です)
社会人になってからは、想像していたよりも
忙しい日々でした。
ADとして働く毎日は充実していて
学ぶことも多かったですが、
学生時代に比べて、読書の量も、
聴くラジオの量もどっと減りました。
表現を生業にする人が、
表現を浴びる機会が少ないというのは
皮肉なものです。
一般企業に就職した友人が、
仕事終わりにライブに行っている様子なんかを
SNSで見ると、表現する仕事なんかより、
表現を受け取る側の人間の方が
いいんじゃないかなんて思っていました。
そんな日々を乗り越えていくと、ディレクターとして
番組を任されることも増えてきました。
自分のために使う時間も少しずつ戻ってきました。
久しぶりにベッドの上でエッセイを読むと、
顔も見たことのないその人の考え方や
性格が伝わってきて、
エッセイの魅力を再確認します。
テレビのディレクターは「表現する仕事」としては、
この上ないものだと思います。
若者はYoutubeしか見ないなんて言いますが、
不特定多数の人に向けて、
自分の表現したものを伝える力を
まだまだテレビは持っています。
ですが、「自分自身を表現する仕事」ではありません。
エッセイを読むうちに、
自分自身のことを書きたいという気持ちが
どんどん強くなってきました。
あのころの友人たちは、
自分のためにnoteを書いていたんだ、と
数年越しに気づきました。
仕事でナレーションの原稿は書きますが、
自分のことを書くのは初めてです。
推敲を重ねた文章ではなく、
深夜に勢いに任せて書いた文章が、
偶然辿り着いた方に届けば幸いです。