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65歳の父が、1人で「水曜日のカンパネラ」のライブに行ったらしい

家族のグループLINEに、今年65歳になる父から連絡が入った。

「一人でライブに行ってきました。」

動画が送られてくる。再生ボタンを押すと、個性的なファッションの女性が一人で歌っている。この歌は聞き覚えがある。水曜日のカンパネラの『エジソン』だ。

僕の頭の上に「?」マークが4つほど浮かぶ。まず父は音楽のライブに行くタイプではない。僕が生まれる前はB’zのライブに行っていたらしいが、最近はそんな話は聞いたことがない。ましてや水曜日のカンパネラを聴いているという話も聞いたことがない。

詳しく事情を聞いてみると、「全国ツアーの会場が、職場近くのホールだったから」とのこと。あまり知らないアーティストだけど近くに来るらしいから行ってみた、ということらしい。

父が暮らしているのは、僕が高校生まで暮らしていた和歌山県田辺市。「水曜日のカンパネラプレミアムライブツアーin和歌山」と銘打った全国ツアーが、田辺市にある紀南文化会館で行われたようだ。

アーティストが全国ツアーをする際、大阪だけでライブをして、和歌山県は飛ばされることが多い。和歌山に来たとしても、ほとんどが大阪からもアクセスしやすい県北部の和歌山市。在来線で南に2時間ほどの場所にある田辺市でライブをするような物好きアーティストはほぼいない。そんな場所に、有名なアーティストが来てくれたから行ってみよう!となったのが父である。

同日、僕はというと大阪の中心・梅田で映画『サンセット・サンライズ』を見ていた。楡周平原作の同名小説を、監督・岸善幸、脚本家・宮藤官九郎のタッグで映画化。主演は菅田将暉だ。舞台は、新型コロナウイルスで「自粛」の日々が始まった2020年。リモートワークをきっかけに都会から宮城県に移住した主人公。ストーリーが進むにつれて深まっていく近隣住民たちとの交流を、コロナ禍や震災、そして過疎化による空き家の増加などの問題とともに描いたヒューマンドラマだ。

映画の中で、主人公の近隣に住む、茂子さんという女性が登場する。成人した息子たちは故郷を離れ、一日パチンコだけをして一人で暮らす日々。都会に出ていった息子の「一緒にこっちで暮らさないか」という質問に対し、茂子さんは「都会の人が田舎に来ても何もすることがないのと同じで、田舎の人が都会に行っても何もすることがない」と答えている。

父のLINEと、茂子さんの言葉が重なった。
自分のなかで「都会」の娯楽と「田舎」の娯楽についてもう一度考えた。

学生時代を田舎で暮らした僕は、一刻も早く都会に出たいと思っていた。欲しい本が手に入らない、求めている映画が観られない環境に飽き飽きしていた。

その気持ちがより強くなったのは、中学生のころだ。
当時の僕は、ももいろクローバーZにハマっていた。紅白歌合戦にも2年連続で出場し、国立競技場でのライブも成功させノリにノッていた2014年のももクロ。夏に『MOON PRIDE』という新しいシングルが発売されることになった。初回購入者には、店舗別の特典トレカが付いてくるらしい。全員が写っているバージョンもあれば、一人だけが写っているバージョンのトレカもある。僕の推しは佐々木彩夏。特典一覧からピンク色を探した。ピンク色の衣装を見に纏い、ポーズを決める佐々木彩夏。下には「TSUTAYA」の文字。

よかった。胸を撫で下ろした。
僕の住む街にはタワレコもヴィレヴァンもない。
数あるCDショップの中で、TSUTAYAを選んでくれてありがとう。心のなかで運営に感謝を唱えていると、TSUTAYAの文字の下に細かな文字があることに気づく。

(一部店舗では取り扱いがございません)

一気に血の気が引いていく。

タワレコにもヴィレヴァンにもついていない注釈。
なぜTSUTAYAだけこんな注釈がついているのだろう。

手に入れたてのiPhone6に
「TSUTAYA 一部店舗とは?」と入力する。

ここで中学三年生の僕は気づく。地元にある「TSUTAYA」の正式名称は、「TSUTAYA WAY」というのである。

僕がTSUTAYAだと思っていたのは、TSUTAYAにロイヤリティーを支払うことで、TSUTAYAの商標やレンタルのシステムの提供を受けて営業している「フランチャイズ店舗」だったのだ。TSUTAYA WAYは、純正TSUTAYAではないため、トレカの取り扱いがない「一部店舗」だったのである。

あーりんのトレカが諦めきれない僕は、夏休みの東京旅行のなかでTSUTAYAに寄ってほしいと親におねだりした。地元のTSUTAYAで買えないの?という親の質問には、東京の店でしか買えないCDがあると説明した。
実際は「東京の店でしか買えない」のではなく「田舎の一部店舗で買えない」CDが売っているのだが。
スマホでしらべたところ、東京のなかでも大型である、渋谷のTSUTAYAに行った。スクランブル交差点の前に聳える大きな建物。ビルの側面に大きく描かれたTSUTAYAの文字。これがホンモノのTSUTAYA。「一部店舗」に含まれるはずもない、立派な佇まい。

一歩足を踏み入れると、その明るさと棚の多さに圧倒される。POPできらびやかに装飾されたCDたち。田舎のTSUTAYAでは感じたことのない購買意欲が襲う。「ジャケ買い」という言葉は渋谷TSUTAYAで生まれたのだろう。

「NEW RELEASE」というPOPで飾られたももクロのCDを見つける。その横には「TSUTAYAの特典は、あーりんだよ〜!」と書かれている。地元では手に入れられないトレカがある。東京の人にとっては簡単に手に入るトレカだろう。だが僕にとっては自宅から数時間かけてやっと目前に辿り着いたトレカである。

CDを手にし、レジへと向かう。念願のトレカがCDと一緒に袋に滑り込む。たった1,200円のCD。どれだけ待ち望んだことか。達成感が湧き上がると同時に、欲しいものがすぐ手に入らない環境への劣等感が襲ってきた。

25歳の僕は、梅田に自転車でふらっと行けるくらいの距離に住んでいる。住んでいる場所の利点は、興味のあるものが手の届く範囲にあることだ。大阪の映画館は、地元の映画館のように、気になる映画が公開されていないこともまずない。大阪のライブハウスは、アーティストの全国ツアーで飛ばされることもない。CDショップが特典の対象外なんてこともない。

地元の同級生のなかで、大阪に暮らしている友人はごく少数である。ほとんどの友人が地元に残っており、
年末に集まったときの話の種は、パチンコや競馬が主だ。映画や舞台を観に行ったという話は出てこない。

正直、かわいそうという思いもあった。欲しいものが手の届く距離にない。だだっ広い駐車場とともに鎮座しているパチンコ屋に行くことが愉しみ。いくらネットで本が買えて、サブスクで映画が観られる時代といえど、限度がある。大きな書店で、大きな映画館で娯楽を「探す」体験ができない地域だと思いこんでいた。都会は多くの娯楽を享受できる場所だと思い込んでいた。

「サンセット・サンライズ」の茂子さんの言葉を思い出す。
都会には都会の娯楽の愉しみ方、田舎には田舎の娯楽の楽しみ方がある。

茶屋町のジュンク堂やTOHOシネマズ梅田での愉しみ方は、娯楽を「探す」体験であると同時に、多くの娯楽を「浴びる」体験でもある。娯楽が多すぎるために、埋もれているものを発掘しにくくなっていた。

田舎には「近くでアーティストがライブをするから観にいってみよう」という、都会の人間が忘れていた楽しみ方がある。大阪でライブは毎日そこらじゅうで開催されており、物珍しさはない。ライブに行くとすれば、活動を追っているアーティストのライブを前もって予約することくらいである。また、大阪でのライブは、アクセスのしやすさから即ソールドアウトすることが多い。父が軽い気持ちでふらっとライブに訪れることができたのも、田舎だからだろう。

ライブが終わった後の父の感想は「歌、上手かったわ!」だった。

感想なんて、本来それでいいかもしれない。












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