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4月1日

はっと目が覚めた。
またいつの間にか寝ていたようだ。最近は意識を手放すように意図せず眠ることが多く、うまくコントロールできていなかった。決まってそう眠ってしまう時は、記憶が混濁する。
今は、一体何月何日の何曜日で何時で、今日は働かなければいけない日なのか、働かなければならない日であれば、時間は間に合うのか。
普段なら、働かなければならない日の前日だった場合はもっと焦っていたのだが、前日はちょうど月替わりの日で、確認を怠っていた為、いつもよりも冷静だった。諦めがよかったのだろう。謝るのには慣れている。
いつも枕元にごちゃごちゃと置かれた電子機器の一つさえ電源をつければ私の疑問は一瞬にして解決する。けれど、枕元には何も置かれていなかった。
仕方がないので、カーテンを開けてせめて太陽の位置だけでも確認しようとカーテンを開けた、その時。
「ひぃっ!」
私は声を上げ、バランスを崩してドタンっと大きな音を立てて尻もちをついた。まだ外は朝日すら昇っているのが確認できていなかった。だから、遅刻の心配はしなくてよかった。
それに徐々に覚醒してきた脳が何かの異常を訴えかけている。この部屋は、確かに私の部屋だが、何かが違う。家具の配置や机の上に置かれているものが違う。
ここは私の知ってる場所だが、私の居場所ではない。不安と疑問がこみ上げてくる。
しかし、そんな不安よりももっと衝撃的なものがそこにはあった。
「そんなに驚くこと?」
誰よりも聞きなれた声が後ろから降ってきた。振り返るとそこには、
「わ、た……し……?」
私とそっくりな、それでも髪の長く顔もひどく荒れて、目は赤くはれた私が立っていた。
「そう、私は八倉美耶。貴方も八倉美耶。」
「……夢?」
「今はその認識でいいや。」
彼女は腰が抜けて動けない私の隣に膝をつき、肩に手を置いて尋ねた。
「そして、あれも私。」
私は息をのんだ。
「貴方にはアレが何に見える?」
頭ではわかっていた。
「……死体。」
絞り出すように声を出した。
血の気を失い、青白い肌と骨と皮しか残っていない体。その首には縄が繋がれていた。あの体はもう二度と自らの意思で動くことはないのだろう。
その体の特徴は鏡で見た自分とほぼ一緒だった。
「正解。」
彼女は優秀な生徒が難問を解いて褒める先生のように応える。
「どう?自分の望みを叶えた姿は?美しい?綺麗?素敵?」
「私の、のぞみ……。」
「そう、死にたいってずっと言ってたでしょう?心の中で呟いていたでしょう?」
あぁ、その通りだ。
何か問題が起きれば自分のせいだと責任を負って死をもって償えと思った。誰かを傷つけた言葉を思い出しては、他人を傷つける自分なんて殺したいくらい憎いと思った。過去にあった自分の羞恥を思い返すたびに何であんなことしてしまったんだ、あんなことするくらいなら死んだ方がましだと思っていた。これから先の未来が見えない、努力しても認めてもらえない、自分の性格が嫌いだ、早口で喋る癖の治らない自分が嫌だ、病気を理由にして呆けている自分は情けない、この世は不条理であふれていて私のような人間は生きていくのが辛い、だから。だから。
「だから、私は死んだ。」
私と同じ声、同じ姿の私は私の耳元でそう言った。一瞬私が言ったのかと錯覚してしまうほどだった。
私が、死を選んだ理由は私が一番わかる。今の私だって決して自殺願望から抜け出したわけではない。
私は頭を抱え、目からぽたぽたと涙がこぼれ落ちた。この感情の名前は分からない。私はよく感情が抱えきれなくなるとこうして涙が代わりに出てくる。
私は、死にたいという望みをかなえた私の姿を見て、どう感情を処理すればいいのか分からなくなってしまった。
「ねぇ、これ。読んでみてよ。」
彼女は容赦なく私に突き付けてきた。それは、私の字で書いた
「い、しょ……。」
「そう。私は律儀だから書いたの。私の最期に残した言葉、見てよ。」
私は、白い封筒の中に入ったそれを取り出して、読む。

この手紙を読む皆様へ
拝啓、この手紙を読む頃には私は既に息をしていないと思います。していないことを願っています。無事に死ねたらいいなと思っています。
まず初めに、死の道を選んでしまって申し訳ありません。
私はいい人間だったから、きっとたくさんの人が泣いてくれると思います。辛い思いを抱える人もいると思います。それは私のせいです。本当に申し訳ございません。
けど、それが私の望んだことです。
皆が泣き、後悔し、私に懺悔してくれることを望んだからこそ私は、今、この道を選びました。
私は生きるのがつらかった。生きているだけで、辛かった。こんなにつらい思いをするくらいなら最初から生まれてこなければよかった。
私を辛い人生にした人間が憎い。私を死に追いやらせた環境が憎い。私の気持ちに気付いてくれない周りの人達が憎い。私の気持ちの気持ちを考えずに軽率に傷つけてきた人たちが憎い。
それでも、私は本当に憎むことが出来なかった。本当に憎むことが出来たのは私自身だけだった。
誰も憎まないように、誰もを愛するように、自分がどれだけ傷付いても他人の為に生きられるように成長しました。私は二世教育の完成形に近いといってもいいと思います。
私は、間違っていない。
世界が間違っている。
だから、私は間違った世界から逃げ出すためにこの選択をしました。
誰かのせいじゃない。誰のせいでもない。これが私の心の底からやりたいと思った事です。
この願いは、覚えている限りでは小学6年生からずっと思ってきました。ようやく願いがかなえられました。
これでようやく私は、私のことを憎まないでいられる。私は私のことを愛せる。
今まで私に優しくしてくれてありがとう。
今まで私を育ててくれてありがとう。
私を素晴らしい人間にしてくれてありがとう。
まだまだ言いたいことたくさんあった気がするけど、自殺するって決めて長くいすぎるとまたチャンスを逃して死ねなくなってしまうから、このあたりで。
今までありがとうございました。

八倉 美耶。


「どう?いい文章でしょ?」
「……うん。最期にしてはうまいね。流石私。」
彼女は満足げにほほ笑んだ。私はその笑顔が嫌いだった。笑うと可愛くない顔だと思った。
「……で、さっきの質問にも答えてよ。」
さっきの質問というのは恐らく、自分の望みをかなえた姿がどう見えるか、と言う言葉の答えだろう。
すぅっと大きく息を吸って私は、話しだす。

「見てくれは汚いね。せっかくの可愛い私が台無し。遺書の文章もクサすぎ。これ絶対死んだあと後悔するやつでしょ。ま、それも私は好きだけど万人受けはしなさそう。」
「ははは!死んだ私がどうやって後悔するのさ?私さえよければいいでしょ?」
「うん、その通り。」
「分かってんじゃん。」
「正直言って私は貴方がうらやましい。自殺する勇気を持てたんだね。生死があいまいになる程追い詰められたんだね。」
「うん、辛かったよ。」
「羨ましい、やっぱりこれは私の望んだ姿だよ。」
「うん、そう言うと思った。」
「けど、貴方は間違っている。」
「へぇ、世界に殺された私が間違ってるの?私も私に酷いこと言うんだね。」
「これは、間違ってる。貴方は、私は、誰よりも人を傷つけるのを嫌う人。」
「うん、そうだね。」
「この選択をして、貴方はどれだけの人を傷付けたの?」
「知らない。そんな人たちのせいで私はこうなったのだから、傷つけられて当然。」
「目をそらさないで。貴方は他人を傷つけた。大きな傷を負わせた。」
「だから何?あんたも私に生きてればよかったなんて戯言を吐くの?」
「……もちろん、そんなことは言えないよ。」
「じゃあ何を__」
私は私を抱きしめた。私よりも細く、角張った骨が当たる。こんなになるまで頑張った彼女に誰も気付かなかったのだろうか。
否、気付かれないようにふるまっていたのだろう。強がっていたのだろう。
私だったら、そうする。
「私が貴方の事を救ってあげる。」
「……そんなの、むりだよ。」
「無理だと思う。でも諦めない。」
「……うん。」
「私がいつか心の底から私を愛せるように頑張るから。」
「……まだ頑張らなくちゃだめ?」
「勿論辛かったら休憩するよ。私は弱いから、休み休みでいいよ。頑張れるときに頑張るよ。」
「……むりじゃない?つらくないの……?」
「辛いことも、苦しいこともたくさんあると思う。それでも私は___」
「わたしのことをたすけてくれるの?」
「うん。絶対に。私のことを助けるよ。」
私に預けた肩が濡れていく感触、嗚咽をこぼす彼女の背中をさすった。
「辛かったね、苦しかったね。」
「……うん。」
「貴方は選ばざるを得なかった。この間違った選択を。」
「……うん。」
「間違ったあなたの事も私は肯定してあげるから。」
「……うん。」
「だから、もう少しだけ待っていてね。」
「……うん。」
「私が必ず、私のことも救ってあげる。だから___」


目が覚めた。私は夢を見ていたのは分かっていたが、何の夢かあまり思い出せなかった。いつの間にか寝てしまった時はいつも記憶が混濁している。
今は、一体何月何日の何曜日で何時で、今日は働かなければいけない日なのか、働かなければならない日であれば、時間は間に合うのか。普段なら、働かなければならない日の前日だった場合はもっと焦っていたのだが、前日はちょうど月替わりの日で、確認を怠っていたらしい。
私は近くにあったスマホを手繰り寄せて開くと、ゲーム画面が開かれた。ゲームをしている途中で眠ってしまったのか。
一度それを無視して、ホームボタンを押す。
今日の日付は4月1日。時刻は、3時18分。出勤予定時刻は9時。
大丈夫みたいだ。私は起き上がり、カーテンを開ける。

闇夜のガラスに私の姿が映る。その姿はどこか輝いてるようにも見えた。

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