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衣食住を神様に感謝していたら、自然に起きた心の変化
RAPT理論を知って、
明け方お祈りをするようになったのですが、
そのお祈りの冒頭部分で、
「昨日も不足なくご飯を食べることが出来ました。
着る物にも困りませんでした。
屋根のあるお家で暮らして、住む場所に困ることなく眠れました。
本当に有難うございました。」
というような内容を、
実際に心を込めて感謝しながら神様にお伝えしていました。
ちょっと子供みたいな感じかなと思いつつ、お祈りしていました。
そのお陰なのか分かりませんが、
最近ご飯を頂く際、ごく自然に「ありがとうございます。」と、
心の中で神様につぶやく自分がいることに気づきました。
あまりにも普通につぶやく自分に「えっ?!」と驚いています。
いい歳をしてお恥ずかしいのですが(成人式を2回以上)、
なにしろ、
今までご飯の時は特に感謝するでもなく、
せいぜい「美味しそう~」と思うくらいで、
すぐパクパクと食べ始めているような人間でしたので、
自分の変化に、単純に驚いたのです・・・。
「いただきます」は、
父・母・農家さんや漁師さんに対する感謝の気持ちが込められていると聞いたことがあります。
もちろん、自分を生んでくれた両親や、
食料の生産者の方、運搬して下さる方々への感謝の気持ちはとても大切なものだと思うのですが、
それとは別に、
そもそもの根本の 神様へ、一番最初に感謝する という気持ちが、
おそらくお祈りを続けることによって、
とても自然な流れで自分の中に備わってきていたんだと思います。
そんな自分に驚いたと同時に、
なんとも言えず平和的で幸せな気分に満たされました。
本当にしつこいですが、恥ずかしながらこの歳になって初めて、
ふと自然に、
心から素直に、
とても身近な衣・食・住にまつわることで神様に感謝出来たことに、
何とも形容しがたい、喜びの感覚を知ることが出来ました。
両親や旦那様、あるいは自分自身、生産者様など、
この世の家族や、周りの人へ衣食住の感謝ももちろん大切ですが、
そうではなくて、
この世の人より大切な存在があることにやっと気づけた驚きと、
喜びを感じています。
そして同時に、
私は何十年もこんな一番の基本の所でも、
神様をないがしろにしていたんだなぁと、反省しました。
(悔い改めねばなりません。)
神様の存在を知り、お祈りを続けて神様を愛するようになると、
本当に様々な悟りというか、気づきが増えて、
安定感のある自分を感じる瞬間が増えて来たような気がします。
変化する・成長するとは、こういう事なのかな~、と嬉しく思っています。
(まだまだ規模の小さい成長ですけれども …汗)
これも、RAPTブログ・ラプト理論+αのお陰です。
RAPT | 新・貴方に天国から降り注がれる音楽を (rapt-neo.com)
RAPT理論+α (rapt-plusalpha.com)
心から感謝申し上げます。
今回の様な良い心の状態がなるべく長く続くように、
深いお祈りが出来るますよう、
これからも もがいて行かねばと思う日々です。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。
皆様に神様からの祝福とご加護がありますよう、お祈り致します。