田舎暮らしあれやこれや⑥ 便利と不便の狭間で

挨拶まわりも無事?終わり、本格的に私たちの家となる小屋での暮らしが始まる。とりあえず電気はつくし水も出る。ガスは外にボンベがあって、ガスコンロも普通に使える。もう一つタンクがあってそれには灯油を入れて、給湯として使う。スイッチオンでお湯が出てくる。使い勝手は今までの生活と変わらない。

それにしても都市ガスしか知らなかった私、都市ガスとかLPガスとか違いがあることをその時知った。無知の極み・・・お恥ずかしい。


使い勝手の違うものが二つあった、一つがトイレ。汚い話です。

汲み取り式トイレというもので、通称ぼっとん便所!いまどきそんな言いかたするのでしょうか。

なにせ僻地なもので下水管が整備されていない。トイレ横の庭に排泄物をためるタンクを埋め込みトイレとつなげ、定期的に排泄物を取りに来てもらうという仕組み。タンクのことを便槽と言う。言い方ダイレクト!

便槽の蓋はマンホールのようになっていて、これを開けると私たちの糞尿が露わになる。なるほどばっちり見られてしまうわけか、とちょっと恥ずかしい気持ちになったけれども仕方がない。

都会ではボタンを押せばガッシャーンと汚物が流れていってその後のことなんて考えたこともなかった。けれどこういう場所では人の手で汲み取ってもらわなければならない(汲み取るのは機械ですけれどもね)とても大変な作業だ。

便槽は2~3か月でいっぱいになると言われた。タイミングを見誤ったらあふれるということ?恐ろしすぎる。
一か月を過ぎた頃からあふれないか不安になってきて毎日槽(なんとなく便の字省略)の蓋をじーっと見つめるという儀式的な不毛な時間を過ごした。透視力が目覚めるはずもなく、蓋を開けて確認してみようかとずっと思案していた。けれど最後までそれはできなかった。あらためて、汲み取りの仕事の偉大さを感じた。

3か月が過ぎる頃、槽から匂いがしてきた。それが汲み取りのタイミングだと知った。毎日蓋を見つめる儀式はこの日終了した。生活していれば自然とわかってくることがあるのだな。

この3か月という期間、今月は不在が多かったからあと1週間はもつかなとか、在宅時間が長かったから3か月もたないなとか思案のしどころだ。「あふれるギリギリでした」と言われることもあり、3か月目はヒヤヒヤのサバイバル月間だった。さっさと汲み取ってもらえばいいだけの話だけれどなにせお金がかかるので。

汲み取り金額はだいたい1万2千円、高いのか安いのか・・・。

トイレは洋式だったけれどたくさんの水は流れないので、付着した汚れが流れにくい。トイレの水道管にホース状の小さなシャワーがついていてレバーを押すとブシューっと勢いよく水が出てくる。これを使ってピンポイントで汚れに水をかけて流すのだ。槽がすぐにいっぱいになるので、いかに水を最小限にピンポイントで敵(汚物)を流すかが最大の使命だった。シャワーの勢いが良すぎるため水のはね返りにも注意が必要だ。距離を読み細心の注意を払って作業を遂行しなければならず慣れるまではストレスの種だった。


二つ目がお風呂だ。この家は五右衛門風呂だったのです。ぎゃー。
五右衛門風呂、なんと風情のある呼び名。けれども風情とは程遠い、汗だく灰まみれの入浴タイム。

鉄で出来た浴槽を火で温めて入るというもの。風呂場の外にかまどがあり、そこで火をおこし浴槽を温める。初めて見た時は感動しタイムスリップしたみたい!とはしゃいでいた。感動はすぐさま消え去っていく(涙)

夫は子供の頃、帰省の度に火おこしをやっていたから大丈夫だと言った。子供の頃?何十年前の話だ!

小部屋に薪がたくさん積んであり、新聞紙や木くずなどが置かれている。そこにかまどがあって、まず新聞、木くずなどを置きその周りに薪を立てくべる。火をおこし紙などをどんどん追加する。長い棒状の筒でフーフーと空気を送ったりなんかしながら、きゃっきゃっと楽しんでいた。初めての経験にテンションが上がっていたのだ。

けれど火はすぐに消えていく。紙や木くずはあっという間に燃えてなくなり、薪はただ真っ黒になるだけ。かまどからは煙だけがもくもく出ている。もう小一時間は経っている。さきほどのテンションはどこへやら、肌寒い春の夜、かまどの前で二人途方に暮れる。

給湯器は使える、今日はシャワーにしようと提案してみた。けれど夫は意地になっていた。
「何となくコツがつかめた、次は大丈夫」
コツがつかめたとは思えないけれど、私も小一時間を無駄にしたかと思うと悔しかったので「よし!やってみよう」と乗っかってしまった。

何時間経ったのか、顔も手も服も灰まみれ、手は冷たく凍えそうなのに、顔は火に近付いているから汗だく、それでも火は長く続かない。かまどがある小部屋内は煙が充満しそれを吸いまくりゴホゴホ咳き込む、目も激痛。地獄だった。

疲れ果て、うす汚れた中年が二人、薄暗いかまどの前で佇んでいる。なんと怖すぎる光景でしょう。その時すでに21時過ぎ、今日火はおこせないと悟った私たち。どちらともなく家に入り給湯スイッチをピッと押したのでした。なんて便利!ありがたや~。

五右衛門風呂との闘いは続くのでした。




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