夫と、いつかの女子高生の話 幸せに生きてますか?

月曜日、いつも乗る電車の路線で人身事故があった。いつものことで、いつものようにダイヤは乱れる。この路線は特に人身が多いような気がする。これまで職場に遅刻の旨の電話を何回したことか。
「勘弁してくれ」と思いながらも、乗客の「女子高生が飛び降りたらしい」という声に胸が苦しくなる。悲しくて吐きそうになる。そして会ったこともない、とある女子高生に思いを馳せる。

一か月ほど前のこと。

夕方早い時間に夫が仕事から帰ってきた。
「あれ?早いやん」
「うーん・・・まぁ。打ち合わせサクッと終わったから」
なんだか浮かない顔である。
「は~ん、仕事いまいちやったん?」
「いや、仕事はいい感じ」
いつもなら部屋着にすぐ着替えてビールなどを飲んだくれるくせに、その日はスーツ姿のままリビングの椅子に腰掛けた。浮かない顔継続中である。何かを聞いてほしいのだな。
「どうしたん?どんよりした顔して。『僕の話を聞いてください!』って顔から溢れ出てるで」
冗談ぽく言ってみたのだけれども、「うーん・・・」と何だかはっきりしない返事。「はっきりせんかい!」

夫は仕事の打ち合わせが早く終わり、上機嫌で電車に乗った。
ラッシュ時間にはまだ早く、空席もちらほらあるくらいに車内は空いていた。電車の扉横に立ち「帰ったらキンキンのビールやな~ハイボールにするかな~」などと妄想しながらニヤニヤしていた。(かもしれない)
もう一方の扉横には、制服を着た、ややチャラそうな女子高生と思しき二人組が立っていた。

突然、その二人組の一人が「おっちゃんのそのネクタイ洒落てんなー」と話しかけてきた。夫は見ず知らずの、しかも女子の、しかも若い、その様な人種と関わったことが皆無だったため無視した。無視したというか、まさか自分に話しかけているとは思わなかった。明らかに夫と目が合っているのだけれども、錯覚かもしれないと一旦無視した。

「いやいや、あからさまにスルーせんとってよ。ギャハハ」と、いわゆる大阪のおばちゃんがするように、夫の肩をぽんっと手ではたいた。
「あ、僕のこと?」
「僕しかおらへんやん、ギャハハ。そのネクタイいいやん、似合ってるわ」
「お、おぉお・・・ありがとう」

たじろぐ夫を見て女子二人組はギャハハと笑い続けた。夫は「これはひょっとして美人局ではないか」と急に不安になった。こんなおっさんに若い女子が話しかけるはずがない、何か目的がない限り。誰かが見張っているのではないかと周囲をきょろきょろ見回し誰とはわからない誰かを探してみた。
(車内で突然ヤングに話しかけられとても怖かったらしい。黒幕?を探して駅員さんに突き付けようと思ったそうだ。)

黒幕?は見つけられず、その後3駅を二人組女子と過ごした。移動しようかとも思ったけれど、それをすると何となく「負け」のような気がしたのでその場を動かなかった。(なんの「負け」なのかはよくわからない。)

女子たちは夫に、最近の流行りの音楽のこと、スイーツのことやらをペラペラしゃべり「おっちゃんにはわからんか!ギャハハ」と、ペラペラ、ギャハハを繰り返し、夫も一緒にアハハ・・・と笑った。
馬鹿にされているような、からかわれているような、そんな感じだったけれども、何となく楽しかった。もし僕に子供がいたらこんな風に話すのかなと妄想したりしていた。美人局疑惑はここでジ・エンド。

3駅目で二人組の一人が電車を降りた。「じゃあ」とわりとあっさり別れた。残された夫と、一人になった女子、とても気まずい。夫は窓の外に目を移し見るとはなしに景色を見ていた。しばらくの間沈黙が続いた。車内は相変わらず空いている。ついさっき3人で話していた時間がまるで無かったかのように電車は進み、景色は流れる。さきほど考えていた帰宅後何を飲むか問題に思考が移ろうとしていく頃、

「おっちゃんさぁ・・・」とまた突然話しかけてきた。
「え?」と素っ頓狂な声。
「何その変な声、おっちゃんおもろすぎー」と小さく笑った。
おっちゃんさぁ・・・と話しかけてきたわりにはしばらく沈黙が続く。
「・・・おっちゃんてさぁ・・・生きてて幸せ?」
「・・・えぇ?」と再び素っ頓狂な声。
その声には何も突っ込まずじっと夫の顔を見つめる女子高生。

夫は悩んだ。僕は幸せだ、でもこの解答でいいのか、どう答えればいいのか、答えによってはこの子に悪い影響を与えまいか、この子は幸せではないのか、僕に何を求めているのだ?数秒いろいろな思いがよぎった。

「僕は今幸せやで。昔はいろいろあったけどな。死にたいって思ったこともあったけど、生きててよかったわ」と彼女に言った。

彼女は「ふーん」と特に興味もなさそうに窓の外に目を向けた。夫は解答間違ったかなと思ったけれども、これが今の本当の気持ちだからまぁ良しとしようと自分を納得させた。
「私にもそうやって思える日がくるかなぁ・・・」と外に目を向けたまま彼女は小さくつぶやいた。
「来る!絶対来る!だから生きててほしいな、おっちゃんは」と暑苦しいくらい前のめりに近づいて言った。
「おっちゃん近いし!っていうか死なへんし!」

「ほな私ここで降りるから」
「おぉ・・・気を付けて。生きててや!頼むで!」
「・・・考えとくーギャハハ」
大げさに笑いながら彼女は降りて行った。

電車の中でそんな密度の濃い時間を過ごしていたとは、心中お察しします。

夫は帰宅後、ビールもハイボールも飲まなかった。どう答えるのが正解だったのかを考えていた。
「正解なんか誰にもわからんよー。いいやん、その答え。私は好きやけど」
「うーん・・・」
その日夫は一睡もできなかったらしい。

夫は小学生の頃いじめられていた。その頃の話はあまりしたがらない。でもいじめで自殺というニュースが流れると、とても悲しそうな顔をする。そしてとても怒り出す。あの頃吐き出せなかった怒りを今吐き出すように。遠い遠い昔のことなのに、その時負った心の傷は治らない。薄ーいかさぶたで治ったように見せかけているその傷は、ちょっとしたことで剥がれドロドロしたあの頃の感情がそのまま流れ出てくる。そしてまた傷つけられる。それでもその時死を選ばず、生きていてくれてよかった。今幸せと思ってくれていてよかった。そう思う。

彼女が何に悩んで、どんなつらい気持ちでいるのかはわからない。友人関係?親子関係?彼氏のこと?将来の事?あるいは、夫はからかわれただけかもしれない。それだったらいいけれど。

悩みや辛さや嫌なことは一生続く。何がしかの暗い靄が常にそこにある。それにどう向き合って、やり過ごして、いかに流して、その靄の奥深くに引きずり込まれないようにするか。そうやって迷いながら苦しみながら生きていかなければならない。人生ってしんどい。時々やめたくなる。

でも、これからのほんの少しの幸せのためにどうか生きていてほしい。
ギャハハと笑っていてほしい。
どうかどうか幸せでありますように。








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