田舎暮らしあれやこれや⑧ 居心地のいい場所

半裸から洋服に着替えた浜川さんと散歩に出かける。

難あり石段を二人で下りる。浜川さんの足取りは軽い、さすがベテラン。私はさびがポロポロ落ちるほそーい柵を、つかみはしないけどそっと手を添えつつ、慎重に一段一段降りていく。この柵は恐らく、信用してがっつり持ってしまったら、ぐにゃりと折れ曲がり転倒、すぽーんと根元から抜けてしまい転落、はがれるさびで手をけがする、などを予感させる、とにかく信用ならない出で立ちだ。難あり石段with難柵。やっかいだ。騙されないぞ!


石段を下りきると道が二手に分かれていて南へ少し進むと交番がある。こんな近くに交番があって安心だと思っていたけれど、浜川さんは「交番にはもう誰もいてないの。たまーーーにお巡りさん来てるみたいやけどね、住む人もおらんようになって常駐せんようになったわ」と言った。

犯罪とは無縁の寂れた町、人がいなくなれば犯罪は減るけれど、地域の活性は望めない。いんだか悪いんだか。空き家も多く見るからにボロボロの家もある。漏電とか崩壊とか大丈夫なんだろうか、主がいなくなった家はそれだけで脅威だ。そんなことを考えていたら、「この通りはものすごい栄えてたんよー。銀座通りって呼んでねー、食堂やらいっぱいあったわー」と懐かしそうに通りを見つめながら浜川さんが話す。

この通りとは、交番を背に東西に延びる道だ。交番前はロータリーのような円形の広場になっている。その広場から二人で銀座通りをながめる。

しかしこんな所にも銀座?全国どこにでもある銀座。銀座通り、銀座商店街、〇〇銀座・・・。ちょっと栄えてたら銀座ってつけたくなるのか、謎だ。こんな僻地でだって銀座と名乗ってしまいたくなるのだな。「銀座」の存在感たるや。

さて、東西に走る銀座通り、通りの右側の一番端が義父の家(正面玄関側)、そこから通り沿いに西に向かって奥までずっと家々が連なっている。左側は高い斜面になっていてその斜面を上がると駅がある。線路と銀座通りは平行に位置している。


浜川さんが銀座通りを歩きだす。「ここには居酒屋さんがあって、こっちは喫茶店があったなー、食堂はここ」などと説明してくれる。その名残は全くない。誰もいなくなった元お店たちがひっそり佇んでいる。扉や窓は木の板で閉ざされ壁もずいぶん傷んでいるように見えた。

この通りは挨拶回りの時に歩いたのだけれど、手書き地図の家探しに集中していてあまり家自体を見ていなかった。瓦屋根やプレハブ小屋っぽい古い家が所狭しと建っている。けれども家の数に比べて人の気配が少ない気がした。

ここがものすごい栄えていた?銀座?うーん・・・盛っているのだろうか?まぁ言うのは勝手ですからねぇ。けれどこの建物たち、数十年後誰もいなくなってこんなに寂れてしまうなんて想像もしなかっただろうに、悲しい。何となくこの建物と自分の未来を重ねてしまった。私も古びて寂れて独りぼっちになるのだろうか。


いかんいかん、こんな物悲しいもの見せられて感傷的になっちまったぜ。引っ越してきてただでさえ情緒不安定なのに。ちっ、散歩なんか来るんじゃなかった。なんて思っていたら、


「空き家が増えてなー、この家はおばあさんが住んでたけど娘さんが一緒に住む言うて都会へ連れて行ったわ」とか、「ここの人は子供さんが住んでる近くの老人ホームに入ってな、もう戻って来ないやろなー」とか、「ここは息子と同居する言うて、もう何十年も空き家でボロボロになってしもてるなー」とか、とにかく住む人がどんどん減っているということを寂しそうに浜川さんが話し出した。

「私のもう一人の娘はな、名古屋に住んでんの。時々遊びに行くんやけどな、マンションでな、狭いし、ごみごみしてるし、水はまずいし、あんな所で私よう住まへんわ、ほんまは行きたくないんやけど来い来い言うからな、でも一週間が限界やわー。ここが一番よ、帰ってきたらほっとする。ここいらの人もな、都会に行きたくて行ったわけじゃないの。子供らも心配して一緒に住もう言うて連れて行ったんやろうけど本人は大変やろと思うなー」

私からすれば、ここがまさしく「私よう住まへんわ」な場所なのだけれど、浜川さんにとってはこの僻地こそが安住の地なのだ。不便で寂れていて怖いくらい静かで、人が暮らすには自然が過ぎやしませんかっていうくらい山も海も近すぎる。でも、浜川さんにとってそれが当たり前できっと必要なことなのだ。私にとって当たり前の便利さが必要であるように。


居心地のいい場所、自分らしくいられる場所ってどういうところだろう?
私はとてつもなく都会が恋しい。便利さを欲している。この僻地に嫌気が差している。けれどもそれと同時にこの場所を愛している人が目の前にいるということに勇気づけられてもいた。ここが一番と言い切ってくれる人。

私はここが好きではない。むしろ嫌いだ。でもここを好きと言う人がすぐそばにいて私はその人のことが好きだ。きっとその人からいろんな影響を受けるような気がする。

ならば私にもそう思える日がくるのだろうか。大好きな場所とまではいかなくとも、好き寄りの嫌いくらいまでは(失礼)。いつまでもいやだいやだと暮らすなんて精神的によろしくない、情緒不安定から脱却したい。住むうちに変わっていけるだろうか、住めば都という言葉だってあるわけだし。


またもや浜川さんに助けられた気がした。もっと聞いてみたいと思った。この場所のいいところ、この町の好きなところ、そうしたら少しだけほんのすこーしだけミジンコほどだけでもここを好きになれるかもしれない。(だから失礼)

不憫な私に誰かが浜川さんを遣わしてくださったのかしら。ありがたや~。
さっきは散歩なんか来るんじゃなかったって思っていたくせに。情緒不安定のせいです、お許しくだせぇ~。

勝手に懺悔している私を置いてスタスタ行ってしまう浜川さん。ぎゃー置いてかないでくだせぇ~!



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