ごまかすのは人間の本能?
夫は時々、佐藤さん(通称シュガー)とゴルフに行く。
「またシュガーとゴルフや・・・」と、いつもなら遠足前日の小学生かというほどに浮かれて、鼻歌なんか歌っちゃったりしてゴルフの準備に取り掛かるのに、シュガーと行くときはとても憂鬱そうだ。そんなに嫌なら行かなければいいのだけれども、仕事関係の人らしく断りづらいそうだ。
シュガーの何が嫌なのか、それは「ごまかす」ことだ。
私はゴルフをしないので詳しくはわからないけれども、18個のホールを回ってスコアを競い合うそうで、そのスコアが低い方がいいらしい。スコアは打数+ペナルティの数を加算したもので、これは自己申告、ある意味ごまかし放題、性善説ありきのなんとも紳士のスポーツらしいやり方だ。シュガーはこれをごまかす、幼稚で稚拙なあらゆる手段を使って。
例えばボールを打って茂みに入ってしまい見失った時、ペナルティ加算してその見失った辺りの打ちやすい場所から再開するそう。でもシュガーは決してボールを見失わない、必ずボールが見つかる、なのでペナルティもつかない。けれどもみんな知っている、シュガーがポケットから新しいボールをこっそり出して転がし、「あったあったー!いやぁ、見失ったと思ったけどこんなとこにあったわーよかったー」と口数多くはしゃいでいることを。
あるいは、ボールを打って木の根や切り株周辺の打ちにくい場所に落下した際、打ちやすい場所にボールをこっそり動かし、「いやぁ、よかったー!ここならギリ打てるわー、いい所に落ちてくれたー。セーフセーフー」と声高に一人盛り上がっていることを。
はたまた、あきらかな空振りを「今のは素振りです!」と言い張って何度も素振りもどきの空振りをしていることを。(空振りはペナルティ)
「今のは空振りでしょー」と指摘してもひるまない心の強い持ち主だ。
もちろんスコア計算もごまかす。「僕よりあきらかに多く打ってましたよね」と指摘してもひるまない、数々の指摘にも全く動じずわが道を行く、心臓に毛が生えているとしか思えない。誰がみても最下位なのにだいたいいつも1位か2位、シュガー独自のルールでもあるのだろうか。
みんなの不信感を漂わせたその場所でシュガーは言う。「また行こう!いつにする?」と。シュガー恐るべし。
でも何だかその必死さが滑稽でちょっと笑える。ごまかしながら大きな声で自分の正当性や運の良さをやたらに主張し、繕う様が人間らしくていいではないか。自分の見栄とプライドのために一生懸命ごまかしている。
一緒にプレーしたらきっと私ブチ切れていますけれどもね、えぇえぇ。
そんな私も日々、一生懸命にごまかしている。
薄くなってきた頭頂部を髪の分け目で慎重に細工しはげてませんアピール、顔のシミをコンシーラーで隠しシミありませんアピール、体に消臭スプレーをふりまくって加齢臭漂ってませんアピール、電車でおならをしてしまいキョロキョロしたりして私じゃありませんアピール、おぉ、ごまかしまくっておるではないか。
一生懸命ごまかしているといえば、
私が忙しなく掃除機やら床掃除をしているそばで、家にある引き出しボックスや、食器棚の引き出しを不必要に開けたり閉めたり、クローゼットや襖を意味なく開けたり閉めたりしている夫。最初は何をしているのかわからなかったのだけれども、おそらく掃除している風を装っているのだ。ただただ開けたり閉めたりしているだけなので、掃除は全くしていない。開けて閉める、また別の所で開けて閉める、以上!無用に動いて掃除していますアピール、邪魔なんですけれどもね。私が必死で掃除をしている横で何もしていないことが気まずいのかもしれない。その涙ぐましいごまかしの努力を無駄にしたくはないので、知らないフリして私はひたすら掃除に没頭する、の横で夫は開けたり閉めたり、本当に邪魔なんですけれどもね。
シュガーも夫も私も、毎日必死にごまかして取り繕っている。
見栄だったりプライドだったり、平静を保つため、自分を守るため、理由はいろいろあるけれども、振り返って考えるとやっぱりちょっと笑える。笑えるくらいのごまかしは愛おしささえ感じてしまうのは私だけ?
もちろん絶対ごまかしてはいけない場面だってあるんですけれどもね。
ゴルフはスポーツだし、仲間内のお遊びだとしてもスポーツマンシップに則ってごまかさない方がいいに決まっている。シュガーの場合、不正があからさまにバレているし、しかも開き直ったようなでっかい態度も可愛げがない。セコいし笑えない・・・。そのうち誰も一緒に行ってくれなくなりますよとご忠告申し上げたい。
私の、電車でおなら、からのキョロキョロもどこぞの誰かには気付かれていて白い目で見られているのかもしれない。ギャーごめんなさい!
愛おしいと思ってはいただけないでしょうかね?無理ですかそうですね、失礼しました。