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満月なので人生をほじくり返してみた、1999年と2025年の予言。世界の終わり

2024年11月16日の満月では
「もうやらなくても良いんだよ」と言うことのあぶり出しや
自分の内側で抱え込んでいるものの
手放しにギリギリにタイミングなので

しつこく
人生をほじくり返して、
いらない感覚は地味に手放していくことにする

生まれは昭和44年
平成元年は20歳
令和元年は50歳

ざっくり振り返っても、前半が暗すぎる。
妖怪界出身とはかくも暗いのなのだなwww

ことあるごとに
「わたし、出身が妖怪なので」と言っているように
「社会的に云々」は置いといて

人生の性格の形成期において
まっとうな愛情を与えられないと
人間として生きる気力が皆無ということがわかる。

幼稚園児時代から
1999年の世界が終る、
恐怖の大王が降ってくるって悲観するって
ドウシテソウナッタんだろうか???

そんなわたしが今では
アパート2棟のオーナーになり
運気を上げて行く「開運」をお伝えしているのだから
人間ってすごいなあと思うww

ちなみに、
2025年には「いうほどの災害」は起こらないと
踏んでいる。

そもそも、〇〇の予言とは
たんなる注意喚起であって
その年には起こらないものなのだ。
災害は忘れたころにやって来る、ってヤツ。

今回の記事は
小さなころから、
実は宇宙人です
新春鑑定受付開始の話まで


小さいころから振り返ってみよう

幼稚園がカトリックだったせいか
1999年に地球は終わると思っていた。

小さなころからである。
どうしてそうなったのかは思い出せないが。

それに、追加して
「神様」とはいったい何なんだ?
何で助けてくれないんだ?

そうか、わたしが「原罪」を持っているからだ。
(自分が罪を犯したから)という気持ちがあって

自分は出来ない、ダメな人間だ
(だから救いが無い)
という気持ちをずーーっともっていた。

小さなころから一人ぼっち、孤独感と
人生への、生きる事への違和感。

家では
母と祖父と義理の祖母と義理の叔父の
喧々諤々が毎日あり。

ご飯をおいしく食べた記憶は無いし
家族で笑いあった記憶も無いし
酷く罵倒された記憶や
ご飯がいらないなら出て行けとか
母親が口をきいてくれないとか
お家から締め出されたりとか
蹴とばされて吹っ飛んだとか
学校をさぼって家で隠れているとか。

まあまあ、楽しくない記憶は残っている。

我が家は日蓮宗で
なぜか「地獄」の本とかあって。

長いお箸でご飯を食べる話とか
牛が木の牛車を壊すのが自殺に例えられた話とか
クモの糸の話とか

そんな話は結構覚えていたりする
カトリックの教えとの違いに
戸惑ったりはしなかったのだろうか?

その辺の記憶はないけど。
自分は
「地獄には落ちないけど原罪持ち」とは
思っていた気はする。

人間の脳の働き的には
「マイナスの出来事はプラスの出来事の10倍覚えている」
というのがあって
それにしても、マイナス多くね??とか
思ったり思わなかったり。

そんな中でのカトリック幼稚園だったので
「自分が悪いから」という
原罪があるから
誰からも愛されないのだ・・・というのを
無意識下で長く長く持っていた。

祖父はおはぎを食べながら日本酒を呑み
お相撲やプロレスを見ていた。
お相撲は好きになったが

自分も蹴とばされて転んで鼻血を出したり、
ストレスで歯ぎしりがひどく
朝起きると顔が血まみれになっていたりしたので
血まみれになるプロレスは
どうしたって好きになれない。

5歳で祖父が亡くなった時
あんなに毎日ホウキや椅子を投げ合って喧嘩していたのに
母が狂ったように泣きじゃくった。

しかも、わたしの作った千羽鶴を
「えみが作ったから、えみが作ったから」と
しつこく繰り返し、棺桶に入れたのである。

ドン引きである。

「あんなに毎日大喧嘩して死ね死ね言ってたのに、
人間て裏表あり過ぎてコワイコワイ」と思った記憶がある

冷静な4歳児だな・・。

気が付くと義理の祖母と叔父が居なくなり
(母が追い出したらしい)

そのことで、
母の一番上の姉から
「あんたのお母さんはヒドイ人だ」とか

幼稚園児に言われても困りますよ。

基本的に我が一族は奇数順に産まれた女性は
ひどく性格が悪い

一番上の姉(叔母)うちの母は三番目
本家のおばちゃんも一人っ子で
そらもう、キツイのキツクナイノって・・・
ごほごほ

・・・・

義務教育開始

小学校では給食が全然食べられず
掃除時間もそのまま居残りで
給食を前に泣いていた記憶がある

喰えねえっていってんだろ!!!
と今なら言えるし
今はそんなことは無い時代なんだけど
当時は先生の言うことは絶対だったしな。

給食も食べきれないチビ。

友達と楽しく帰った記憶もないし、
優しい本当の両親が今日は迎えに来てるに違いなど
思っていたあたり、
なかなかに根っから暗い子どもだったと思う。

そしてなぜだか、
幼稚園の先生だった人から英会話を習っていて
英語の教科書を読むだけ読んでいた。

残りの時間はイエスキリストの話だったので
10歳で一人クリスチャン(カソリック)に改宗して
(聖書は今でも愛読書の一冊ですが)

マミムメモから始まる洗礼名だったような?
かすかな記憶だけが残っている。

もちろん、とっくのとんまに
破門されているとは思うのじゃが。

カトリックの話の中の
ヨブ記の話は今でもモーレツに覚えている。

気になる人は「聖書・ヨブ記」で検索すれば
すぐに出てくるのでどうぞ。

神は「自分の正義」を貫くためになら
自分の愛する者にとんでもない試練を与えるし
愛する者以外は本当にどうでも良いと思っているのでは?
みたいなことを思った。

わたしは「原罪」持ちだから
どっちにしろ愛されないしなあと思った気がする

親からも神からも何の祝福も与えられない。
与えられていないなら
奪ってもいいのでは?みたいな発想で

親のお金を盗んで小さなシールや何かを
買って友達に配った記憶もある

何かを奪う、というクレプトマニー行為は
かなりの年まで続いた。

わたしは
人に対しても神に対しても

何かを差し出さないと
仲良く出来ないとか、

何かをはぎ取られないと
何も助けてくれないとかは
この辺に出来上がったのだろうと思う。

でもって、高学年の担任が
とんでもなく左に振り切ってる人でww

第二次世界大戦の話での刷り込みも結構あった。

日本人とはひどい人種である、
日本人はアジア諸国に対して
大きな罪を償わなければならない、という
新たな「原罪」を植え付けられた気がする。

大人になって、
あの戦争はアジアの植民地化を進ませない、
植民地化解放のためにも
日本として必要な発起だったのだということが
わかっては来たのだが。

ここで
カトリックでいう「原罪」に
「第二次世界大戦での民族の罪」みたいのが
追加されて
よくわからないクレプトマニーが出来たとは思う。

クレプトマニアとは
「窃盗症」や「病的窃盗」とも呼ばれる精神疾患のひとつ

罪が積み重なる・・・。w

中学高校を振り返ってみよう

中学時代は
まあ暗かったけど、普通に過ごしてた気がする。
周囲のお友達が良い人たちだったんだろう。

演劇部に入ってた。

高校時代は学校であまりにも友達が出来ないので
バイトをし始めたあたりで、
ちょっと学校に行かなくなったり
お酒とかタバコとか始まったんだよね。

そしてなぜか
お墓参り通いも始まって
江の島神社に通いはじめたのも
高校あたりからである

高校1年で同じクラスになった男の子を
一目見て
「この前から知ってる人だ!」って感覚を持ったけど
特に何もなく、今では何をする人ぞである。

これがツイン何とかとか、
前世からの知り合いの感覚なのだとしたら
もしかしたら、
70歳超えたあたりで
また巡り合ったりするかもしれないと
密かに期待だけはしておきたい。

高校時代から夜にバイトを始め、
クレプトマニーもひどくなり、
1回お巡りさんのお世話になったこともある

コレじゃいかんと思い
なんでか、渋谷の作詞の学校に通い、
年上のちょっとヤバメな人と付き合い中絶したり、

このままじゃ卒業できないから
高3の3学期はとにかく毎日来いと言われ、
毎日通ってやっと卒業できた。

不良では決してないが
よくわからない適当さがあったのは事実である。

学校で勉強をすることに意味が全く見いだせず
かといって行かないわけにもいかず・・・

まあ、いまだに学校の意味はよくわからない
何の疑問も持たずに学校に行ける人って
子どもでもえらいと思うし、尊敬する。

バブルの名残がありまして


高校を卒業したときは
まだまだバブルの名残がありまして

平成元年はちょうど19から20歳で
いろいろあってのうつ病からの、胃潰瘍
十二指腸潰瘍、耳管狭窄症と病気のオンパレードで
まさに「フリーター」の先駆者になりまして

フリーターでもそこそこ稼げたという
平成ってなんだかんだ良い時代だったよ。

なんでかサンバを踊りはじめたり
そこの人の紹介で原宿の小物やに勤めたり
そこの引き抜きで
そこそこお給料をもらう売り子になったり

なにも考えず
日々を生きて
転職も引っ越しも繰り返した時期。

どこに行っても、
大きな孤独感と人生の違和感はぬぐえないまま
26歳では新興の宗教にハマる。

なんたって、
1999年に地球が滅んでしまうので
ここらで、人のために何かしないと!みたいな。

屍を越えてゆけみたいな・・・

マジメに思ってたんだよ
なんかしないと地球、終わっちゃうって
人類が終るって。

1999年に人類終わるはずだった

1999年には
空から「恐怖の大王」が降ってきて
絶対に世界は終わるはずだったよね?

人類は滅びるはずだったよね?

こうゆうのを過ごしてくると
「2025年云々」って言われてますけど
まあ、なんだかんだ、絶対滅びないと思うよ。

滅びるとしたら、もっと先かな。

1999の「恐怖の大王」覚えてます?
新約聖書ヨハネ黙示録のアングルモアの大王で
ノストラダムスの大予言の「恐怖の大王」ですよ。

1999年に核戦争とか
ITの1999年問題とか起こって
世界がパニックになるというウワサの元だったやつ。

今もいろいろ言われてるよね

わたしも心底終わると思ってた。
世界は終わると思って生きてましたよ(苦笑)

そんなこんなの新興宗教で
能力を活かして中堅幹部ですよ。

能力の無駄遣い・・・でも中堅かよww

そして交友関係もお金もすべて無くし
(もともと少なかったのに)
そこで知り合った年上と宗教の中で結婚

こんな経験があるので
ああ、それは洗脳手法使ってますね」というのが
たぶん一般市民よりは見える

そんなことにはならないだろうというのも
「ソンナ感覚」なのである。

結局
「これをしないとダメになる」
「2025年7月にそなえよ」
(イヤ、備えあれば患いなしだから、備えよ)

「あなたのエネルギーに問題がある」
「人は◎◎が無いとダメなのだ」というのは
結局は洗脳の一種なのである。

目には見えない恐怖の植え付け。
今はそれがテレビや
高額セミナーででやられていると思う。

あーあ、とも思うけど
本人がそれで良いなら、良いのだ。

ある意味、周りのことはどうでも良いので
自分に注力することがこの先は大事だな。

子どもが生まれたんですけど

破壊神はこなくて、
借金もそこそこあって
1999年に娘を産んで

世界は終わらずに
2001年には息子産んで

ワンオペ育児でイライラし子どもに暴力をふるい、
こんなはずじゃなかったと一緒に泣き
子どもをゴミ箱に捨てたりもしたし。

そのうち浮気を疑われ、
(なんでだよ?いまだに意味不明)

夫は酒乱のDVになり、
なぜか慰謝料まで請求され
ボロボロの精神状態で離婚。

世界の終わりはどこに行ったんだ??
なんで今こんなことになってるんだ??
みたいな。

実家に戻るも、
「男子至上主義」の母親の虐待が今度は娘に矛先が変わり、
娘が病んでしまったり
悪霊に取り憑かれたり・・・
(どうなってんだオメーは)

再就職先はパワハラ社長にお局が居て
お給料が7年も上がらないうちに社長と喧嘩したり

子どもはイジメられて不登校になるし
学校の先生に
お母さんのせいですよ、とまで言われて
泣いたなあ・・・。

あの担任め、今度会ったら
出掛けるたびに両足に小石が入って
むちゃくちゃ不快になる呪いをかけてやる(陰湿w)

いつから良くなってきたんだっけ?

どうして自分だけこんなにうまくいかないの??
あれこれ学んで一生懸命やってるはずなのに・・・

わたし何か悪いこと・・・・
きっとどこかでいっぱいしてきたんだとは思うんだけどw

いつから良くなってきたんだっけな?

ってか、そもそも地底だったのでは?
今やっと平均値なのでは?www

学んだことは
子育てカウンセリング
子育てコーチング
被虐待児更生プログラム
心理学、脳科学、NLP
シーターヒーリング、
レイキ、ヒプノセラピー、
天津金木
道教の霊符
タロットカード

でもやっぱりきっかけは
2014年の
「縄文神代文字ヲシテ」との出会いだったと思う

そこからコツコツと
日本の神さま神社仏閣とのかかわりかたを学び
日本語の音の持つエネルギーを研究し
日本語脳の在り方を学び

日本的なモノの考え方
古神道や原始神道を学び

きっと、
その間に出会った人も良かったな・・

魂やカルマ
産まれる時にもってきたもの
何故、この家族のもとに産まれてきたのか?
母親との関係性(カルマ)や
母親が持ってきたであろうカルマ

諍いの絶えなかった大妖怪の実母を6年間介護して

とことん向き合って、ぎゃあぎゃあ喧嘩もしたけど
もう、いいでしょってとこで見送って、
(だって、本来母のカルマだものね)

本当に大きな学びになりました。

人生は学びの連続なのだな。


やっぱりカルマってあるんだよ

その経験から
魂やカルマとどう付き合っていくのか?

カルマって怖いものばかりじゃない
(怖いものも時々あるんだけどさwww)

魂が学び、
魂が成長するために「カルマ」はある。

それは「とらえ方」「モノの見方」
考え方ひとつで変わっていく・・・・

とはいえ、
長い間仲良く過ごしてきたカルマは
そうそう簡単になくなりませんよ

見つけて解消し
見つけて、まだあるんかとがっかりし

解消したけどこれってアレの名残よね?と
思ったりして。

人生の前半で染みついたものが多いから
わたしだって、
まだ出てきたりしますしねえ。

イヤだけど、見て行かないとどうしようもない。

知らん顔して
平気な顔をしても
解消すべきカルマというヤツは
結局どこかで出てくるものなのだ。

もしくは「人生の最後にぶち当たる」ものなのですが
人生の最後には
そんな気力体力がないので
結構カワイソウナことになったりならなかったり・・

早めに対応しといた方が良いと思いますな。

この孤独感は宇宙人だから


長い間連れ添った「一人ぼっち感」なんですが
いまだにそれは抜けません。

基本は1人で行動する方がラク。

集団行動とか
リーダーの誰かについていくとか
仲間と一緒にどうこうするとか
みんなで一緒に・・・みたいのが
なかなかこれが、なんだか好きじゃない。

そして、何につけ
なんでも自分でやってみないと気が済まない。

全部自分でやりたい!!!
人に頼むのメンドクサイww

これが「わたしコミュ障なんで」の
理由なんですがww

これはもう
「魂の出所が地球以外」
のせいに
しておこうかな?と思います(真顔)

自称火星人の人々からは
「一緒に来ましたよね!」ってよく言われるので

この際、
戦い好きな火星人の神官だったことにしておきたい。

自称火星人たちが言うには
火星人は戦争で滅んだらしい。

人間型の人びとは意外と好戦的だったんだって。
それがあって、滅んだ時に

神官含め何がしかの能力者は
「魂だけになって」地球へ移住したらしい。

スピリチュアルな観点での「宇宙人」の解釈は
本当に色々ありまして。

どこの星の何星人なのか?とかで
性質が違ったりするけど。

「ここってなんか違くね?」と
「一人でするのが楽なんだけど」は
共通点として持っているようです。

良く聞くのが「プレアデス」とか
「シリウス」とか「ベガ」とか「アヌンナキ」とか

最近では「宇宙連合艦隊」「総司令本部」とかも
出没されています。

いわゆる、スターシードと呼ばれる人々ですね。

元々は地球外の惑星にいた魂のため、
本能的に地球に馴染めない
集団行動より単独行動を好むとか

いろいろ言われていますね。

この先は風の時代でもあるし
個が大事になるしね。

火星人だったとか・・・
そんな記憶はまったくございませんが
そうかもしれない、ってことでいいかもと
最近思っています。


現状はどうなんだ?

まあまあ、人間になったと思う。

一昨年は自宅を(借金で)建て替えた
その前のアパートも借金で建てたのでww
(どんだけ借金してんだwww)

ここでも「実母の妖怪っぷり」は
遺憾なく発揮されて、
その後の計画が結構狂った感じはあるけど
まあ、しゃーなしな。

自宅と廃屋のをアパート2棟に建て替えるって
結構パワフルなことだと思う。

借金多くて働かないとアカンのだけどもww

幸いにして
お名前の鑑定や時運を読むのは
とても好きな仕事だし
お客様にも喜んでもらえるし

しわしわの婆さんになってからの方が
貫禄がついてもっと売れそうな気がする。

つまり、年を取るごとに年収が上がるわけだ。
なんてすばらしい仕事なんだろう。

この仕事に就くために
いろいろ経験してるのかもしれない。

と思ったり、思わなかったり。

「自分は不幸だ」って
小さいころからずーーーっと思っていて

それをず――っと現実化してきた

「自分は幸せになれるはずがない」っていう
潜在意識下での思い込みがまだまだある。

たぶん2025年以降には
「すぐに思っていることが現実化」しそうなので

「今、そこそこ幸せなのでは?」
「やればできる子なのでは?」
くらいに、書き換えておきたい。

どんな人生でも
人生は結局は上手く行くように出来ている。

わたしだけでなく、
それは誰もが。

不幸がいっぱいの造語を作って、と
AIチャット君に頼んだら

こんなの出来ました。

悲劇のフィールド
災難のネクサス
困苦のラビリンス
災害のヴォルテックス
悲劇のオーケストラ

意外とセンスが無い・・・。

2025年以降は・・

風の時代の本番に入っていくこの時期

時代の移り変わりに生きているって
なかなか体験できないことで。

魂的に言ったら
「物凄い倍率」を乗り越えて
生まれて来てるはずなんだ。

精子が卵子に突撃して受精する倍率だって
物凄いものだし。

そんな物凄い倍率を勝ち残ったわたし達が
この人生で不幸になるなんてことは
絶対にない。

自分はどう生きたのだろう。

自分は「どういきたいのだろう?」
これは
大人になった今なら、誰もが自分で考えられる。

宿命は受け入れろ
運命は乗りこなせ
そして、天命を生きろ

・宿命
自分では変えられないもの。
生まれた時間場所、親や周辺環境
誕生~幼少期~小学生くらいまで

・運命
自分で変えていけるもの。
努力でなんとかなるもの
自分が動けば変えられるもの

・天命
自分はどう生きるか、決めるもの。
天命は立候補制。

「とりあえず」という言葉は運気を下げる
と、結構言われてるんだけども

人生がわりと「谷あり谷あり」の人は
「何事もとりあえず続けてみる」をしたらいい。

「とりあえず」だから
毎日出来なくても良いのである。

3日に1度、思い出したらやってみる、を
3年続けたら1年やったのと同じことだ

とりあえず、「自霊拝」をやっておこう。

その上で
自分はどう生きたいのか?を考えて行こう



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