見出し画像

テレビのこと②~テレビは囲むものではない~

今日も、テレビのことについてかきたいと思います。

皆さんは、家で食卓を囲むときテレビをつけていますか。

僕は、高校まで実家で暮していましたが、夕食はみんな揃って食べていました。
おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さん、お姉ちゃんお兄ちゃんに、僕。7人でひとつの机を囲んで食事をしていました。

おじいちゃんとおばあちゃんは亡くなり、子どもたちは家を出ているので、今実家にはお父さんとお母さんしか住んでいませんが、7人で食卓を囲んでいたというのは、今では珍しいことのなかもしれないなと思うとともに、僕の中に深く刻まれていることでもあるな、と思います。

こちらの記事(「核家族化が進んでいる」は本当か?データから徹底検証)でもあるように、子どものいる世帯の核家族率は2015年で83%とかなりの割合を占めています。


実家での食卓のことを思い出してみると、家族でひとつの机を囲むというのは、なかなか面白いことをしていたな、といろいろと思い出がよみがえってきます。
まず思い出すことは、自分を含め子どもたちが反抗期の時の食卓です。
僕は、お姉ちゃんと11歳・お兄ちゃんと9歳、年が離れているので、まずは姉兄たちの反抗期を目撃するわけです。
お姉ちゃん・お兄ちゃんのどちらかが親に対して怒っている時というのは、ピリピリしたムードが食卓全体を包んでいます。
会話も少なく、食べ終わるとすぐに自分の部屋へ戻ってしまう。
戻った後に、やさしいおじいちゃんが『何かあったのか。』と家族に聞いてくれる。

他にも、おじいちゃんが昔話をしてくれたり、子どもたちが学校のことを話したり。
ものすごく口数が多くおしゃべりな家族ではないけれど、あたたかい食卓だったな、と思います。

実家の思い出をつらつらとかいてしまいましたが、このことがタイトルにもある『テレビは囲むものではない』につながるのは、7人で机を囲んでいた食卓にはテレビはなかったのです。
食事中にテレビをつける家庭もあるかと思いますが、テレビって今のスタイルだと囲むことってできませんよね?
もしテレビを囲んだら、テレビの後ろ側や真横に座る人はテレビ画面を見ることはできません。

もし実家の食卓にテレビがあったら、反抗期のピリピリムードもすこしは和らいでいたのかもしれません。
でも、テレビがなかったこそ家族の状態をよりダイレクトに感じられたと思います。

こちらのサイト(火を囲んで楽しい団らん、現代に蘇る「囲炉裏」のある暮らし)にこんな記載がありました。

囲炉裏の周りをぐるりと囲んで座れば、誰もが炎を眺められ、また対面の相手の顔も見ることができます。(中略)囲炉裏を囲んで飲むお酒は、美味しさも格別、上機嫌になって、会話も弾むことでしょう。

昔から日本の住居にあった囲炉裏。火を囲むと会話が生まれる、と聞いたこともあります。

なかなか囲炉裏がある家庭もすぐに囲炉裏をつけられる家庭も少ないでしょうが、テレビをつけず家族の会話をダイレクトに感じる食卓を囲むのもよいのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?