お山の大将からの卒業
辞書を引いてみると、改めて言葉について知ることができるようです。
お山の大将。
その言葉が意味するもの。
大将に「お山」がくっついた言葉。
ただのいばりちらす人だけじゃなく、「小さな世界で」いばりちらす人。
「いばる」というのは、どういうところからやって来るのか分からないけれど、
「いばれる」というのは、「小さな世界」にいるからなのかもしれません。
「大きな世界」の存在を知っていたら、どうしたって「謙虚さ」が身につくから。
お山の大将からの卒業。
それは、誰かにさせてもらうものではなく、「自分でするもの」だと思います。
周りがどんなに「卒業してほしい」と思っても、
自分で「卒業しよう」という意志がないと、いつまでもお山の大将。
自分に自分で気づくこと。
それは、見失ってしまうときがあるかもしれないけれど、
やっぱり自分を俯瞰して見れる人は、かっこいい人だと思います。
周りにお山の大将だと思われる前に、自分で気づく。
そうしないと、気づいたときには誰もいないかもしれないから。
世界は果てしがないから、どこまでいっても「謙虚」でいられるはずです。
大きな世界を知ること。
果てしない世界を信じること。
ここではない世界を想像すること。
そうやって謙虚な心を持ち続けたいな、と思います。
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