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すべてに○を、そして僕は☆になる。
書くこと。
それはどんなことだろう。
自分から出てくることばたちを書く。
それって、超個別的、超具体的なことしか書けないのかなー、と思う。
当たり前の話かもしれないが。
抽象的とはどんなことだろう。
今、電車内でこのnoteを書いていて、目の前におじいちゃんが座っている。
腕を組み、足を組み、混んでいない車内で窓の外を眺めている。
ここまでが今朝書いていたこと。
ハンチングを被って、おしゃれな人だったと思う。
ここからこのおじいちゃんを抽象化しようとする。
うーん、これは個人的な抽象化の方法なのかもしれないけれど、
「抽象化させるとは、俯瞰して見ていくこと」
のように思う。
ので、そのようにやってみると、
目の前に座っているおじいちゃん、
電車内にいる男性、
日本にいる人間、
世界の中の生命体。
抽象化されたものは、ラクで、それを求めてる人もいるのだろうけど、
まあ、個人的には好みでない。
話をすり替える様だが、カテゴライズされた抽象的なものが好みではない。
もっと超個別的、超具体的なことが好き。
というか、超個別的、超具体的な人生をそれぞれが送っているのだから、カテゴライズなんかするな、と思っているのかもしれない。
こういうのを自意識過剰というのか。笑
カテゴライズの先には、前提が生まれるように思う。
前提って必要なのかな。
僕は捨て去ってしまいたい、と願うときがある。
色んな前提があると思う。
自分の外につくり出す前提。
自分の中にある前提。
具体的なことが好きと書いてしまったから、もう少し具体的に書いてみようと思う。笑
自分の外につくり出す前提とは、色眼鏡のことだ。
あの人は老人なのに元気に泳いでいる。
あの人は男だから力がある。
あの人は高卒なのに仕事ができる。
本当につまらないと思う。
自分の中にある前提とは、自分の中にできた仮説を相手に押し付けること。
さっきと同じじゃん、という声が聞こえてきそうで、
まあ大体同じようなものなんだが。笑
自分が大切にしているものは、きっとあなたにとって大切なものでしょう。
だから、同じように大切にしましょう。
綺麗なように聞こえるけれど、一歩間違えれば重すぎる。
超具体的なことが好き、と書いてみたが、
一概にそうは言えない自分もいいるのが正直なところでもある。
音楽については、抽象的な歌詞のものが好きな気がする。
だいいち、僕のnoteは抽象的な記事が多いことも知っている。
抽象的って、突き進んで突き抜けた先には、「普遍」があるのかな、と思った。
つらつら書いてきたが、タイトルのように、
「すべてに○を、そして僕は☆になる。」
これが目標。
前提を捨てることもできないかもしれない。
超具体的にも普遍的にもなり切れず、どっちつかずになるのかもしれない。
矛盾を抱えたまま曖昧に生きていくのかもしれない。
そんな自分、他者、世界、すべてに○を。
そして、やっぱり超具体性を捨てきれないから、僕は☆になるんだ。
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