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「部外者になること」で得られるヒント
こんばんは。
「あのこは貴族」を読んだ時に、こんなnoteを書きました。
その中でも引用した文章がこちらです。
いきおい美紀は思った。
自分は、彼らの世界からあまりにも遠い、辺鄙な場所に生まれ、ただわけもわからず上京してきた、愚かでなにも持たない、まったくの部外者なのだ。
でもそれって、なんて自由なことなんだろう。
「部外者」。
物事は、経験が全てではないかもしれません。
イメージを膨らませることも含め、「部外者になること」と言えるようにも思います。
そんな「部外者になること」は、大事なことではないかと改めて思ったので、今日はそのことについて書いてみます。
*
こちらのnoteで書いたように、「らしさ」とは、
「比較する他者がいる」、そして「それを判断する他者がいる」場面においての言葉
だと思います。
「自分らしさ」とか、「自分が属しているコミュニティのらしさ」とは、周りにどんな人やコミュニティがあるかを知るからこそ理解が深まるものです。
「比較する」というのはネガティブに扱われる場面もあるかと思いますが、「らしさ」を知るためには重要なことでもあります。
そして、この「比較する相手に触れる」というのが、「部外者になること」であるようにも思います。
また、「らしくあること=良いこと」と思われがちかもしれませんが、僕は少し違うと思っています。
繰り返しになりますが、「らしさ」とは、「周りと比較した時に浮かび上がってくるもの」なので、そこには誇れるものもあれば、そうではないものが浮かび上がってくる可能性もあります。
そう考えると、「らしさを知ること」に恐れを抱くかもしれませんが、そこには「他者と共生する術」や「自分や属するコミュニティがより豊かになるために必要なヒント」があると思います。
周りと比較すること・部外者になることで、誇れる点、改善できる点を知ることができる。
知り得たことを自分が影響を与えられる場所において、その豊かさのために有効に使う。
そういったプロセスを大事にしたいな、と思います。
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