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「関わり合う」ということ②

先日、【「関わり合う」ということ】というnoteを書きました。

こちらのnote、実は、書いているうちに最初に書きたかったことと違う方向に行ってしまいました。
でも、「関わり合う」ということについて改めて自分で振り返ることができましたし、そこから「感情」が生まれることの豊かさについても触れられたのでよかったと思います。


今日は、本来書きたかったことについてのnoteにしたいと思います。

結論から書きますと、

「関わり合い」の中で絶対に人を傷つけないと誓うことはできない。
そうだとしても、「関わり合い」を絶つこともできない。
傷つけたり、傷つけられたり、そんなこともあるけれど、
そうやって影響を与え、与えられながら生きていく。
そんな風に人が生きていくこと。
「関わり合い」ながら生きていくこと。
それは大変に素晴らしいものだと信じて歩んでいきたい。

です。笑

以前、こんなnoteを書きました。

生きていくことは、関わり合うことです。
他者との関わり合いの中で、誰も傷つけない人はいるのか。
僕は故意ではないにせよ、誰かを傷つけている、傷つけてきてしまったのかもしれません。
傷つけるとか、ネガティブなことだけでなく、
笑わせるとか、ポジティブなことができた時もあるのかな、と考えたりします。

ひとつ言えることとしては、
「生きているということは誰かに影響を与えている」
ということです。

生きている限り、誰かに何らかの影響を与え続けていて、誰かからの影響を受け続けている。
それは、ポジティブなこと・ネガティブなこと、大きなこと・小さなこと、色々あると思います。

以前のnoteにも書いてありますが、その影響力におののいて自分の殻に閉じこもってしまうというのは、さみしいように思います。

だって、
「今の自分が在るのは、今まで出会った人たちがいるからこそ」
だから。

他者との関わり合いの中で、傷ついたり、さみしさや悲しさを抱いたり、悩んだりすることもあります。
さみしさが生まれたらさみしいし、悲しさを抱いたら悲しい。
辛くて涙が出ることもある。
傷ついた、さみしさ、悲しさ、辛い。
感情に優劣はありません。
どんな感情も、心の中に生まれたかけがえのないものです。
そんな感情たちが、人生を豊かなものにしてくれるのだと思っています。
そんな感情を生んでくれる「関わり合い」は素晴らしいものだと思います。

そして、自分自身も他者へ影響を与えながら生きていること。
そのことを自覚して、「関わり合う」中で生きていくことへ感謝を忘れない。
そんな姿勢を大切にしていたいと思います。

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