うまくやれなくたって、頑張っていいんだよ
「うまくやる」
この言葉に、どんなことを感じるでしょう。
高校で一人、「この人はうまくやれる人だな」と感じる同級生がいました。
高校も大学も、推薦枠での入学を勝ち取った人でした。
彼は、大学の推薦入試において必要なこと(学業成績の他、生徒会長の経験、部活動の実績など)を、自ら調べ、それらを着実に獲得していきました。
目的を定め、目先の欲や自分のキャラクターを押し通すだけではなく、あくまで目的達成のための準備ができる。
そういった地に足の付いた感じを、当時の僕は羨ましく感じていました。
羨むと同時に、それは彼の存分な努力の上に成り立っていたものだとも知っていました。
「自分の歩みたいキャリアに向けての準備をしたたかに進めることができる」という点で、彼を「うまくやれる人」だと感じていました。
かく言う僕も、人間関係においては、高校時代は「うまくやれる人」だったと思います。
この場合の「うまくやれる」とは、誰とも当たり障りなく過ごせる、という意味です。
これは、どちらかと言うと「自分のため」のことで、傷つかないためにそうしていました。
本音を見せず、人と本気で関わることを避けていました。
最近も、『この役割は、誰とでも「うまくやれる人」じゃないとだめなんだよ』といった言葉を聞きました。
関わりを持つ人数が多く、その調整を担い、どこかだけに良い顔をできるわけでもない役割のことでした。
「うまくやる」とは、どんなことなのでしょう。
今の僕が思うのは、
のではないか、ということです。
誰にでも良い顔ができることを「うまくやれる」と言う場面もあるかもしれません。
でも、そこに違和感を抱くこともあります。
それは、「人と本気で向き合えていないのではないか」という違和感です。
自分の思いを伝えたり、怒りもちゃんと表現する。
それらだけが「人と本気で向かい合うこと」の証明になるわけではないけれど、それらを避けて「誰にでも良い顔をすること」を優先させてしまうと、それは人と向き合えていないことに繋がっているように思います。
今日のちなみさんのnoteを読んでも感じました。
自分にとっての「許せない」や「違和感」を手放さないのも大事なことだと思います。
それを「どう伝えるか、伝えずにいるか」の試行錯誤を諦めずにいたいです。
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