自分を俯瞰して見る人が好き
『「違うこと」をしないこと』を読んでから、「自分にたどりつく」ということが気になっている。
「自分にたどりつく」とは、どんなことだろう。
逆に、「自分にたどりついていない」とは、どんなことだろう。
こちらの方が考えが浮かびやすいかもしれない。
自分にたどりついていない。
それは、自分のことがわからなくなっている状態だと思う。
自分の好き嫌いの声さえ聞こえなくなっている。
では、「自分の好き」を書いていけば、「自分にたどりつく」ことができるのではないか。
そう思ったので、新しく「好き」というマガジンをつくってみた。
これは、好きなものを集めたいというよりも、「自分にたどりつく」ことをテーマにしたマガジンだ。
早速、今日の好きを。
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「自分を俯瞰して見る人が好き」
自分の影響力に無自覚な人は嫌いだ。
好きな話なのに、嫌い宣言からはじまる。
好きと嫌いは表裏一体である。
無力な人というのはいない。
言動はもちろん、「ただ、ある」ということでも人はパワーを発している。
そのパワーに無自覚でいると、容易に人を傷つける。
誰のことも傷つけない人はいないのかもしれないが、自分の影響力に気づくことでそれは減らすことができる。
自分の影響力に自覚的になるとは、「自分を俯瞰して見る視点を持つ」ことだ。
これは、「周りを気にする」とは少し違う。
「周りを気にする」といったとき、おそらく起点になるのは「周り」の方だと思う。
「自分を俯瞰して見る」というのは、「自分の影響力」が起点となる視点だ。
自分のパワーが発されたとき、それは人にどのように伝わったり、もしくは自分の意図のようには伝わらなかったりするのだろう。
そういったことを観察するのが、「自分を俯瞰して見る」ことだ。
大人になると、不機嫌アピールをかますことがある。
「今、不機嫌です」というオーラを身にまとい、喋らなくとも不機嫌さを発している。
そのパワーは受け取る人も、発した本人も心地よいものではないだろう。
生きていれば不機嫌になることもある。
それをどう発するか、発さないか。
「自分の影響力」を起点にしてみると、表し方も変わると思う。
自分の影響力を起点に、自分を俯瞰して見て、表現ができる人。
そんな人が好きだ。
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