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ドラゴンクエスト開発秘話 vol.1
こんにちは〜。
面白い記事を作るって難しいですね笑
今日はゲーム話で、ドラクエの秘話をまとめてみました。
ドラゴンクエスト誕生前夜
1986年に発売された『ドラゴンクエスト』。
その生みの親である堀井雄二さん(当時28歳)と、チュンソフトの中村光一さん(当時18歳)が出会ったのは、ゲーム・ホビープログラムコンテストだった。
中村さんは1983年に『ドアドア』を制作。当時のファミコンはアクションゲームが中心だった。
そんな中、「ファミコンでアドベンチャーゲームを作れば新鮮なのでは?」というアイデアが浮上。しかし、ファミコンの容量が小さいため、実現は難しいと言われていた。
そこで、堀井さんが手がけた『ポートピア連続殺人事件』が32KBの容量に収まることが分かり、ファミコン版への移植が決定。これが、堀井さんと中村さんが最初にタッグを組んだプロジェクトとなった。
制作を担ったキーマンたち
『ポートピア連続殺人事件』が人気を奏し、新たなプロジェクトが発足される。それがドラゴンクエスト。プロジェクトメンバーは以下。
ゲームデザイン&シナリオ:堀井雄二
キャラクターデザイン:鳥山明
音楽:すぎやまこういち
プログラミング&ディレクター:中村光一
①鳥山明さんの参加のきっかけ(?)
堀井雄二さんは、当時『週刊少年ジャンプ』のライターとしても活動していた。ある日、「鳥山明さん(『ドラゴンボール』の作者)がゲーム制作に関わりたいらしい」という噂を耳にする。
そこで、ジャンプの編集担当だった鳥嶋和彦さん(通称 Dr.マシリト)に「鳥山さんにキャラデザをお願いできないか」と頼むことに。
しかし後日、鳥山さん本人に確認すると…
「そんなこと言ってないよ?」
それでも結果的に鳥山さんがデザインを担当し、ドラクエの世界観が生まれることになった。
②すぎやまこういちさんの参加秘話
作曲を担当したすぎやまこういちさんの参加も、かなり意外な経緯だった。すぎやまさんは1985年発売の『森田和郎の将棋』を遊んで、付属のアンケートハガキをまさかのガチ回答。
これを見たエニックスの担当者が驚き、「この人にドラクエの音楽をお願いできないか?」と打診する。
しかし、すぎやまさんはすでに超有名な作曲家。中村光一さんは「そんな大物がゲーム音楽の依頼なんて受けてくれないのでは…」と反対した。
ところが、いざ対面してみると、ゲームの話で大盛り上がり!
そこから、ドラクエの音楽制作が決定したとのこと。
そして開発チームが出した「1週間で作ってほしい」という無理難題を、すぎやまさんはあっさりクリア。
開発チームは驚愕したが、すぎやまさん本人は「こんなの楽勝だよ」とサラッと言い放っていたとのこと。