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最近多い「胸骨」の制限と、「思考の癖」の関係性。

先日、来られた方が相当しんどそうな顔をされていました。

理由を尋ねると、
「職場の上司と夫がムカつく!」
という話でした。

要約すると、
職場の上司から「企画書」を出せと言われたので、頑張って作った。

それなのに、
職場の上司が自分で作った新しい企画書を出してきて、
結果的にそちらが採用された。

夫は、勝手に自分が大切にしていた物を勝手に片付けて、
簡単に取り出せない様にしてきた。

という話でした。

お身体をみさせて頂いていると、
「胸骨」という胸の真ん中でネクタイみたいになっている骨に強烈な制限がありました。

胸骨の裏には心臓や肺があるので、
その辺りが圧迫されているのか、
呼吸が浅く、
やる気も出ない、
しんどいと仰っていました。

個人的に胸骨は「感情を溜め込む骨」だと考えています。

昔から「胸が苦しい」という言葉がある様に、
感情を溜め込んだり、
被害者意識になると
「胸」に来るのは感覚的に何となくわかって頂ける方も多いかと思います。

では、感情を溜め込むキッカケとなった
「何がムカついたのか?」
という所を施術させて頂きながら一緒に掘り下げていたのですが、

要は、
その二つの事柄の結果、
自分は職場でも、家庭でも、
「必要とされていない」
と思ってしまった。

それが悲しくて、被害者意識になった。

ということでした。

でも、よくよく聞いていると、
職場の上司も、夫も、
「必要としていない。」
なんて一言も言っていないし、
聞けば聞くほど、
恐らく思っていない笑
ということでした。

今回の件を「事実」と「想像」に分けてみると、
「事実」は
・上司に言われて企画書を作った。
・上司が新しい企画書を出してきて、そちらが採用された。
・夫が家を片付けた。
というだけで、

・自分が必要とされていない。
・悲しい。
・こんな風に私を悲しませる上司と夫は悪い人。
・あいつらムカつく。
という部分は全て「想像」です。

恐らくなんですが、
この方の胸骨に強い制限が出ている要因は、
実際に起こった
「事実」
ではなく、
「想像」の方から来ていると思いました。

それなら、この「想像」を手放したら楽じゃないか!
と思うんですが、

この胸骨の制限。

今回のことだけでなく、かなり歴史が古そうでして、
そんな簡単に根っこから解放出来るような代物ではありませんでした。

恐らくですが、
この実際に起こった「事実」に対して、
「どう捉えるのか?」
という部分は、
今までの人生で培われたきた「思考の癖」の様になっていると思います。

この方自身、お話させて頂くまで、
職場の上司と夫
=悪い人

自分=被害者
という「想像」を「事実」として自動変換してしまう「思考の癖」に全く気付かれていませんでした。

では、根本的に胸骨を解放するには、
この「思考の癖」から見直していくしかありません。

では、そもそも何でこんな「思考の癖」が出来てしまうのか?

お話を伺っている中で思ったのは、
僕のあくまで個人的な感覚ですが、
それが今までこの方を守ってくれていた「防衛本能」だったのではないか?
ということです。

実際、この方はお話の中で
お仕事については
「やりたいか?と言われたらやりたくないが、“生活”のために今の仕事についてる。」

ご主人との関係性については
「好きか?と言われたら、もうわからない笑。
でも、“こども”には必要な人だと思っている。」
と仰っていました。

そして、昔からこれらの
“自分”ではない「価値があると思っているもの」ために、
「自分を殺して生きること」
が習慣化されているんだと思いました。

恐らく、そんなこと全くない人はいないし、
そう生きることがダメなことだとは僕も全く思いません。

でも、例外なく誰でも身体にはキャパがあり、
それを超えてしまった時に、
身体は「症状」というサインを出して、
教えてくれるんだと思います。

それは昔も今も変わらないのですが、
最近になって、
この様な「思考の癖」から来る身体の不調を仰る方が増えてきた様に思います。

これには、
もしかしたら時代の流れもあるのでは?
と思います。

というのも、最近占星術をされてる方などのSNSで、
よく「土の時代から風の時代に変わる」
という文章を拝見します。

僕は占星術はよくわからないので、
協会理事の湊みゆきさんに教えてもらっていたら、
納得する部分が非常に多かったです。

あちこちで言われていますが、
今までの時代を一言で表すなら
「物質主義」
ということが一つ言えると思います。

要は、沢山「物」を持っていて、
「物」を買える「お金」を沢山持っている人
=「幸せ」
という価値観が強かったと思うんです。
(もちろん、まだそうですが)

となると、
「物」という「安定」しているものを、
「安定」して得ることが出来る
「安定」している「職業」
に価値が出るのは当然です。

「安定」していれば
考え方の合わない上司の言うことも聞ける。

「安定」していれば
心地よいとは言えない夫といれる。

なんなら、「安定」に重きを置いている人が近くにいる場合(例えば親とか)、
自分はしたくないけど、
「安定」している仕事に就けば、
とりあえず、その人は納得させられる。

要は
「安定」していれば、
多少「自分」を殺しても構わない
ということが割と当たり前の時代だったと思うんです。

だって、「安定」に価値があるので。

僕はこの感覚を海に浮かんでる「船」みたいだなと思います。

港に止まって、
食料を備蓄をしたり、
遠くまで行ける大きなマストをつけたり、
装飾を豪華にしたりすることに価値がある場合、

それには「船」が「安定」していることが必要で、

そのためには「船」が揺れる度に
「錨」をおろして、
どんな高波が来ても、
嵐が来ても、
「動かない」

「安定」に価値がある場合、
それが自分を守ることに繋がります。

「思考の癖」も同じで、
自分が揺さぶられる度に、
揺さぶってくる対象を悪者にして、
自分が被害者になれば、
自分は変わらなくてすみます。

なので、この「思考の癖」は生きていくための「防衛本能」だと思うんです。

でも、この「防衛本能」から来る「思考の癖」は
あくまで「事実」を「想像」に変えてるだけなのに、
それが習慣化され過ぎると、
そこで培われたこと自体が「事実」の様に感じてしまいます。

それは「錨」を下ろしていることと同じなので、
最初は「防衛本能」だった「思考の癖」も、
どんどん
「動きたくても動けない」
というがんじがらめを生み出します。

でも、時代は変わってきました。

どの家庭でも
お腹一杯ご飯が食べれて、
着る服に困ることがなくて、
家には家電が揃っていて、

富裕層も、貧困層も、
持っている物の値段や質が違うだけで、
持っている物のラインナップ自体はそこまで変わらなくなってきました。

寧ろ、
断食、断捨離の様に
いかに身軽になるか?

ということに価値が出てきて、

お金を使うのも、
「安定」している「物」よりも、
「経験」「感動」「健康」
みたいな極めて
「不安定」な「こと」に使うことが増えてきました。

要は、さっきの船の例えで言うと、
もうこれ以上備蓄も装飾も楽しくないし、

なんなら、
「錨」を上げて、出港した方が楽しくない!?
と思う人が増えてきた。
みたいな感じだと思います。

でも、自由に動き回るためには、
今まで自分を守ってきてくれた
「思考の癖」
を手放し、
今まで自分が下ろしてきた
「錨」
をあげるしかありません。

でも、それは今まで自分を守ってきてくれたものです。

だから、
難しい!
のではないか?
と個人的に思います。

実際に
「安定の安心感」

「不安定だけど自由」

そのせめぎ合いが身体の中で起こっている方が多いのが今の世の中で、
この方の場合も、
正にそのことが今回の「しんどい状態」を作っているのではないか?
と思います。

この「思考の癖」

結構、見るのはしんどいと思います。

なんなら、
そこを見ずに、
見たい部分だけを見て、
今自分が知らない方法論で解決しようとされる方も沢山知っています。

でも、火元を消さずに物事を解決することは、
それこそ難しいみたいで、
それで上手く行った方を一人も知りません笑

ということで、この「思考の癖」を手放す方法を偉そうにも個人的に考えてみました。

まずは、今「起きていること」や「思っていること」を「事実」と「想像」に選別していくことだと思います。

そして、自分を苦しめていることが「想像」なのであれば、
「なんでそんなこと想像してしまうんだろう?」
と、自分の「思考の癖」を「認識」すること。

また、その結果として、
今まで自分が下ろしてきた「錨」も「認識」することが第一歩だと思います。

やっぱり、何事も「認識」しないことには、中々解決させることが難しいと思うので。

ただ、「思考の癖」は反射に近いので、
よっぽど「俯瞰」して自分を見ないと、
すぐに「錨」が自然発生してきます。

「俯瞰」して自分を見るには、
自分に「ゆとり」が必要だと思います。

自分に「ゆとり」がある状態で、
「俯瞰」して自分を見てみて、
「思考の癖」や「錨」を認識して、
一つずつ手放して行く。

もっと「ゆとり」が出たら、

・自分という船で自由にどう生きたいか?

・どう生きたくないか?

・どうしたらそう生きれるか?

・どうあればそう生きれるか?

・自分は被害者になっていたけど、そんな当たり前の日常に「しあわせなこと」「豊かなこと」「有難いこと」はなかったか?

そんなことを丁寧に見ていく。

そういうことが大切なのではないかと思います。

僕は施術家なので、この中でだと
「身体にゆとりが出来るお手伝い」
としては関わらせて頂けるかと思います。

なので、ちょっと自分一人ではにっちもさっちも!
という方がもしおられましたら、
もしかしたら何かのお役には立てるかとも思いますので、
僕やマスターホロソファー®︎にお声かけ頂ければと思います。

実際、今回お越し頂いた方も、
出来る範囲で「胸骨」を解放させ、
思っていることを口から出したことでか、
「楽になったわぁ!」
と帰って行かれました。
(「思考の癖」のループにハマっている場合、客観的な感覚を聞くだけでも俯瞰出来て、楽になることもありますしね。)

とは言え、
僕も自分自身の「思考の癖」や「錨」が
「出るわ!出るわ!」
ということを認識する毎日です笑

それなのに、こどもさんの施術をさせて頂いていると、
本当にそういった「思考の癖」や「錨」がないことが殆どです。

なら、せめてそういうこどもさんの達の邪魔だけはしない様に笑

自分自身も自分を生き難くさせている「思考の癖」や「錨」を認識して、手放していける様に、
精進して生きたいと思います。

結果、自分の決意表明かよという感じですが笑
書きたくなったので、書かせて頂きました。

長々と読んで頂き、ありがとうございます。

中壽賀宣行

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