
めんどくささの中に人間味がある
こんにちは、ホロンです。
突然ですが、僕が言うまでもなく、人間というのは「めんどくさい生き物」です。
言ってることとやってることが違ったりしますし、自分が思い描くように物事が動くことはほとんどありません。
せっかくやる気が漲ってきたと思ったら、次の瞬間にはもう冷めてしまうなんてことも日常茶飯事です。
ですが、その面倒くささの中に”人間味”があるのもまた事実。
学校や社会では「正しさ」を求められることが多々ありますが、「正しさ」では人は動かないのですよね。
「正論を突きつけられてムカついた」という経験をした人も多いのではないでしょうか?
僕たちは”体験”をするためにこの世に生を受けました。
なにかの本で読んだことがありますが、
「今起きている一見良くないことも、魂の計画の一部」
なのだとか。
正直、今でも完全に納得できているとは言い難い話ではあります。
しかし、もし本当にそうなのだとしたら、「魂は一体自分に何を体験させようとしているのか?」と考えてみるのもまた一興かなと思うのです。
一見、不合理に見えること、明らかに遠回りだと思ってしまうようなことでも、その人がやりたいと思ったのなら、それは魂の計画の一部なのかもしれません。
遠回りだったとしても、遠回りしたからこそ見える景色もあります。
今の世の中は「最短最速で最高の結果」を出すことを求められているように感じますし、僕もしょっちゅうその思考に取り憑かれます。
しかし、「それが本当に自分の望みなのか?」と問われると疑問符を感じることも多いです。
最近はAIの力で、見栄えがいい文章や整った文章を簡単に書けるようになりました。
ですが、「不完全さ」や「雑さ」にこそ”人間味”を感じることができるのです。
ただ、そういう僕自身、最近はChatGPTの添削に頼りきりだったなとちょっと反省しています。
自分の内から湧き出たものを大切にする。
下手くそだろうと、表現してみようとすることこそが自分らしさを形作っていくのだと思っています。
これは別に文章に限った話ではありません。
音楽、絵、スポーツ…表現方法は人によって様々です。
なかなか思ったような結果にならず、嫌になってしまったり、面倒くさいって感じることもあるでしょう。
その面倒くさいプロセスもひっくるめて、面倒くささの中にある人間味を味わっていく人生を歩んでいきたいものですね。
それでは、今日はこのへんで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。