
1273/1の純情な感情~2011.4.23 水戸対徳島~
「Jリーグと私」2ndシリーズの水戸編に出演しました。
見ていただいた皆さん、内容はいかがでしたでしょうか。。。自分の経歴はともかく、古参の水戸サポにとっては忘れられない瞬間を思い出して勇気がわくVTRにしてもらえたんじゃないかと思います。
制作スタッフに感謝です。
お話の中心は、2011年4月23日にケーズデンキスタジアム水戸で行われた、水戸対徳島の試合。
この試合は、東日本大震災が発生した以降に初めて行われた水戸の公式戦。
記録された公式入場者数は1,273人。前年度の観客平均(3,608人)の1/3ほどしかいなかった。自分は偶然その試合に居合わせただけ。
それを今振り返った時に、やはりあの試合は貴重な瞬間だったなあと思うに至り、今回の番組制作に協力させてもらった次第です。
とはいえ、5分間の番組では話したかった事全然収まらねぇ!ということで、この記事では僭越ながら番組で収まりきらなかった周辺のお話を中心に綴ることにします。
なぜ自分はその日スタジアムに足を運んだのか?
番組の中でも話したことですが、3.11については実家近くでも多かれ少なかれ地震の被害はありました。もちろん、津波の被害とはくらべものにはならない規模のですが、リーグ戦が再開される時期でも、県内の一部地域では水道も復旧がままならない状態でした。

所々で陥没、隆起が起きていました
なので、サッカーどころではない状況のサポーターもいたことは、想像に固くありません。
ところが自分はたまたま、(1か月は立っているので少しずつ減ってきていた中ではあったけど)勤務のない日だったので、復旧作業や各種調査に当たっていた中でも試合にはいくことができたのです。
そして、前年度Jリーグ観客動員数ワーストを脱出できたばかりで、
【クラブ創設25周年】そして2010年のホーム柏戦といえば、欽ちゃんこと萩本欽一さんの「欽ちゃんのワースト脱出大作戦」(NHKで放送)で取り上げていただいた試合です!!そして、クラブ初の入場者数1万人を超えた歴史的な1日でした!! #mitohollyhock pic.twitter.com/eHRitRZSjx
— 水戸ホーリーホック (@hollyhock_staff) May 15, 2019
シーズン前にJリーグから2000万円借り受けると発表しているほど苦境に瀕していた水戸ホーリーホックが、この震災で経営的に大丈夫なのか、クラブがなくなったりしないかという不安とともに、自分一人でケーズスタに向かったのでした。
4月23日、この日ケーズデンキスタジアムに集まった1,273人は、比較的地震の被害が少なかった&精神的にもサッカーを欲していた人たちだったのかもしれないし、そのような人たちの中で、行けなかった人たちのためにも、選手を鼓舞して勝ち点3を取りたい!という空気感を自分は感じていました。
とりあえず試合するのだけでやっとだった

ケーズスタは設備の一部は破損してメインスタンドの客席等は使えなくなっていましたが、09年までホームとして使用していた笠松運動公園陸上競技場はそれ以上の被害が確認されたと報を聞いており、水戸としてはここでホームゲームを(特例を使ってでも)やるしかなかったのです。
Jリーグとして、緊急避難的な措置であったことは間違いなく、その時の状況に応じて柔軟に判断していただいた関係者の皆さんには今でも感謝しています。
その日頑張ったのは試合開催にかかわった全員でした。

同点ゴールを決めた岡本達也選手、体を張って守った本間幸司選手や塩谷司選手、逆転ゴールを挙げてバック宙を披露した常盤聡選手、、、だけじゃなかった。
みんなヒーロー。

この年の試合開催を事故なく終えられたのはスタッフの尽力があってこそ。
インタビューを終えて
インタビューをこうして受けて感じたことは、この試合の記憶は脳内の相当奥底にしまわれていたのだなということ。
当時の自分は、実家のある常陸太田市(旧金砂郷町)の知り合いを中心としたゆるーい集まりの中で試合を見ていました。
ところが、ぼんやりを通り越して、この試合だけ誰と会話したか、そもそもいつも観戦にっていた父がその場にいたかどうかも含めて、ごっそり記憶が抜け落ちているのです。
自分の脳内に住み着いているしまっちゃうおじさん、自分の記憶をどこにしまってしまったの、、、?
医学的には解離性健忘と言うそうですが、あの逆転ゴールの瞬間そのものが、目の前で起こったことが信じられないと思うがあまり、刺激が強すぎて、なるべく思い出したくなくなっていたのかもしれない。
そしてさらに困ったのは、当日の自撮り写真がなかったこと。
当時のスマートフォン(Xperia初代機)では今と比べると性能がまだ不足しがちで、今では当たり前のセルフィーカメラもない時代でした。なので写真やが貧弱だったのはご容赦を、、、

この時はもう泣きっぱなしです
それでも振り返ってみたとおり、この試合はクラブにとって大きなターニングポイントになる試合で、この勝利がきっかけとなって被災地に所在地するクラブとしての水戸ホーリーホックの報道量がふえたり、
鈴木隆行さんがアマチュア契約で加入したり、
スポンサーがついたことでJリーグからの借金を返済したり、
震災がありながらも実は平均入場者数は300人減程度で着地することができた。
震災という外的要因はあったにせよ、様々な変化がクラブにあった年で、その象徴がこの試合なのです。
個人的なわがままですが、この番組をきっかけに、水戸ホーリーホックをはじめとした地方のクラブが秘める、本当の強さ逞しさを認識してもらえるきっかけになってくれればと思っています。
水戸みたいな地方のクラブだって、夢を与えることはできるんです。
さいごに
あの試合に関して、公共放送で話せなかった記憶を一つ。
徳島戦が行われたのは土曜日でした。
その翌日サンデーモーニング(TBS)を見ていたのをよく覚えていて、その日の週刊ご意見番(スポーツコーナー)で川崎対仙台の試合をダイジェストで紹介し、当日勝利したベガルタ仙台に「あっぱれ」が与えられた後、
ゲストで出ていた中西哲生さんが
『仙台と同じく被災地のクラブである水戸ホーリーホックも勝利しているので、同じく「あっぱれ」をあげてください!』
とコメントをもらえたのがうれしすぎて、テレビの前でしばらく小躍りしていたのでした。、、、という話をJリーグのプロモーションムービーの一場面を見て思い出しました(笑)
「Jリーグと私」シリーズの放送はこれからも続きますし、それに入らないまでも、様々な物語がJリーグには紡がれていくことでしょう。
サッカーがある日常に感謝しながら、今年も無事シーズンを終えられますように。
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