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なんとなく親のことを思い浮かんで、思い出して号泣して、感謝した日。

私は、万年反抗期で、両親に対して素直になることができない。

母からは、ずっと変な子、変わり者、社会に適応できない、と言われていた。かと言って愛情がなかったわけではなく。だからこそ、実家から出ないで、近くにいて暮らす様言われていた。やらんかったけど。
ただただ、人とは違うことを理解してほしいと思っていたんだろう。

父は、口数は多くなく、いつもニコニコ笑っていた。
父の心情は、宮沢賢治のアメニモマケズの様な人。
そう、なりたいけど、なるには繊細過ぎたんだと思う。

父はいろんなものの影響を受けまくっていてんだろう。そして、自分を責めていたんだろう。父は信じていたものから裏切られ、責められ、自分自身でも責めまくっていたんだと思う。
仕事もうまくいかなくなり、借金は増え、とうとう子供に頼ることになった。だから、余計に責めていたんだと思う。
その頃から、父はアルコール依存症になり、自殺をした。けれど、助かって、その後からはずっと廃人みたいだった。
8年前、肺がんが脳に転移して亡くなった。

父は、何があっても私を信頼してくれていた。多くは語らないけれど、私の意思をいつも尊重してくれていた。だからこそ、私は両親の元を離れることができた。

父のしていることは素晴らしいことで、認めてはいたし、誰からも信頼され多くの仲間を作ってきた人柄も本当に素晴らしいことだと思っていた。

両親には、大変な中、兄弟姉妹5人を育ててくれてとても感謝している。兄弟が多いことも感謝している。

けれど、どこかで、私は苦労しなければならなかったのは、親のせいだという思いが拭い切れず素直に親へ感謝したり、認めたりできないでいた。

認めてはいたけど、表さなかった。

今はわかる。
忙しい両親に代わって、私を可愛がってくれた親戚。安全で信頼できる安心の場所に居させてくれたこと。
親なりに精一杯の愛情をちゃんとかけてくれていたこと。
たくさんの優しい手の中に包まれていたこと。
いつでも心配してくれていたこと。
愛情表現が上手くなかったこと。
いろんなことに悩んでいたこと。それをひとつも言えなかったこと。
私を守ろうとしてくれていたこと。

時々考える。
父の人生は幸せだったのかな。
脳に癌が転移して、入院中の父に会いにいった時は、穏やかな顔をしていた。だから、幸せだったんじゃないかと思う。
そして、会いにいった3日後に亡くなった。あの時、本当に会いに行って良かった、と今でも思う。

父はとても人望が厚かった様で、お葬式には参列者が各地から来て、遠くからもわざわざ来て、会場に入りきれないほどだった。葬儀場の方が有名人なのかと思うほどに。
これだけの人に影響を与えて、認めてもらっていたのかと、とても父を尊敬した。いや、再認識した。
父はやっぱり幸せだったんじゃないかと思った。
でも、辛かっただろうなとも思う。

母はまだ健在。
コロナ前までは毎年帰っていたけど、コロナの後からは一度も帰っていない。
そんなこんなしてる間に引きこもりになって、飛行機乗れなくて、帰れなくなってしまった。
親には、引きこもりになったことは言ってない。

電車も飛行機もまだちょっと難しい。

母にもう少し健康でいてくれと願うばかり。
表現が下手くそな母は、私から誤解されまくっていたけど、私もたいがいわかる様になってきた。

もう少ししたら、なんとか出れる様になるから。
それまで、まだ元気でいて。
本当に、母の健康を切に願う。
私の勝手だけど、ね。





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