「自分」を理解して、ある程度諦めたり、活かした方を模索することで意外と生きやすくなるきがする。
わたしは2年前に身体と心を壊し、引きこもりになり、今、脱引きこもりにチャレンジしているわけですが。
脱引きこもり中にやったことは、「自分を理解する」ということと、「自分はどう思うか」を整理していった。
わたしが心身ともに壊してしまった理由は、
簡単にいうと、無理をしてしまっていたから。
周りに合わせて、自分の本当の気持ちを見失ってしまったから。
それに気づかなかった。
恐ろしいもので、
「こうしなければ」はいつのまにか、自分の考えだと勘違いしてしまう。
「しなければ」は、自分がしたいことではなくて、周りが望むこと。
自分がしたいことではないのに、「やらなければ」でやっていると、だんだんズレが出てきて、失敗したり、うまく行かなかったり。
だから、ますます自分を責めて、「やらなければ」が強くなり、ますますループに入ってしまう。
けれど、自分は、「やらなければ」が、「やりたいこと」だと勘違いしたまま進んでいることに気づかない。
そして、結局、うまく行かず、自分を責め、辛い気持ちがたくさんになっていく。
ここでのわたしのしくじりポイントは、勘違いしたまま進んでいたこと。
「やらなければ」が「やりたいこと」だと。
「やらなければ」と思っている時点で、自分の意見ではない。
周りの考えや空気を読んで動いているだけ。
だから、わたしは引きこもり初期は、好きなものも嫌いなものも、自分の考えも、大切にしていることも、全部全部行方不明になっていた。
自分の見積もりを見誤っていて、できる範囲以上のことをやろうとしていたし、やらなければと思っていた。
引きこもってから、そこを少しづつ取り戻して、身体を取り戻すのに、2年かかった。
無理をした分だけ、時間がかかる。
脱引きこもりにチャレンジしているが、前のように「しなければ」で縛られるものはやらないようにしている。
心から「やろう」「やりたい」と思った時にやるようにしている。
今のところ、保てている。
自分を知る作業は、けっこう認めるのが苦しくて、辛いとこもあって。
自分の理想と現実がかけ離れていることを認めて、認めないと無理して自分の力量以上のことをずっとやってしまうので、それこそ壊してしまう。
そして、過去と向き合って認める、受け入れる作業もけっこう苦しい。
そこと向き合って、自分を知って、ガラガラに砕いて、また一からゆっくり少しづつ立て直す時間がたっぷり取れてよかった。
始めはすごく焦って、早くなんとかしなきゃ、と思っていたけれど、焦っても仕方ない、の境地に立てたのは、1年くらい経ってから。
なかなか立て直せなくて、自分を責めるけど、これだけ頑張ってる自分を褒めてあげなきゃね。
それから、なかなかたて治らないのは、無理してきた時間が長いから。
脱引きこもりチャレンジも、慌てないで、1番調子が悪いときを日常にして、少しづつやってこうと、今思ってます。
自分のことを理解すると、自分の力量以上のことはしなくなるし、これは今のわたしにはやれないこと、と諦めがつくので、けっこう心が楽になってる気がするよ。
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