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心を保つため「好きなことをしよう」と言うけど、好きなことがまったくでてこないときがある、ことを私はよく知ってる。
よく、疲れているときは、好きなものを食べようとか、好きなことをしようとか、趣味に没頭しようとかいいますよね。
幸福度を上げることで、心の疲れを癒して回復させるのだと思う。
これは、本当。
嫌なことがあった時に、推しのLIVE映像なんかで盛り上がるとスッキリしたり、大好きなミルクティーでゆっくりしたり、美味しいものを食べて満足したり、ペットやかぞくに癒されたり。
それだけでも、幸せホルモンが増幅して、嫌なことから離れられる。
けれど。
これは、好きなものが思い浮かぶときに有効。
2年前の引きこもり始めたばかりの私は、好きなものがなにひとつ思い浮かばなかった。
好きな食べ物は思い浮かばないし、美味しいと言う感覚も、味という感覚もよくわからなくなってた。
好きな音楽はノイズにしか聞こえないし、文字は異物にしか感じない。
一生懸命、好きだったものを思い浮かべても、今好きとは思えない。
好きだったことをやって見たり、食べたりしたけど、苦痛で辛くて苦しくて仕方なかった。
好きなものが何ひとつ見つけられなくて、好きだったものすら好きと思えなくて、怖くなった。
好きなものすらなくなってしまったと、自分の変化の恐怖と自分を責めて涙がとまらくなってた。
けれど、これは当然の現象で
辛い日常を送っていたり、精神的、肉体的なストレスが重くのしかかっていたら。
心も身体も全てが疲れて、楽しいのHPが極端にマイナスになってしまって、感じなくなっていたから。
そのことに気づかずに、私はおかしくなってしまった、と思うかもしれないけれど。
それはおかしいのではなくて、当然の現象。
疲れていたら何も楽しめないのは当たり前。
昨日の日記と同じになるけれど、何もしないのです。↓ご参考まで。
人生は毎日happy Life!にしなくちゃ、と思わなくてもいい。
平穏にとにかく平穏に過ごせればいい時期もある。
だから、無理に楽しもうとしないでいい。
嫌だと思うことからはまず離れる。
できることだけ。それだけ。
自分の感覚を信じて、嫌と思うのか良しと思うのか、どうでもいいと思うのか。
少しづつやって見て、どう感じるのかで、好きか嫌いかを判断していく。
辛いと思ったら、嫌だと思ったら、しばらくやらない。
そしてまたトライしてみる。
すると少しづつ感じ方が変わってきた。
もし、好きなものがわからなくなったり、変わってきても、焦らないで。
変化の時か、とてもとても疲れてしまっているとき。
悪いことではないから。
本当に何もしないときだと思って、じっくり自分の感覚を知っていくのが、私はよかった。
変わってゆく自分の感覚を丁寧に見直すことができてよかったと、今は思っている。
そして、自分の感覚が今どこにあるのか、を見つめ直す時間を取ることで、今の自分の在り方を決めている。
けっこうこれは大事だと思っているのです。