2023年3月4日(土)
「あんた、どうせ二度とこないでしょ。」
衝撃的なひとことを言われてから約1週間後。
ヤッチャバ帰りに喫茶HOLLYへ顔を出した。
「なに、あんたまた来たの?もう来ないと思ってたよ」
マスターはそう言いながらもどこか嬉しそうな表情をしていた。
お店に入ると常連のお客さんが1人。
なにやら真剣に新聞を見ている。
隣の席へ邪魔にならないように座り、メニューを眺める。
何がおすすめですか?とマスターへ尋ねた。
「うちはウインナーコーヒーだよ。クリームが乗ってるやつ。それかクリームソーダーかな。」
前回はウインナーコーヒーを頼んだのでクリームソーダーを頼むことにした。
マスターはクリームソーダをテーブルへ届けると
カウンターへは戻らずにテレビの電源をつけた。
競馬中継が流れ、マスターと隣のお客さんが新聞からテレビへ目を移す。
真剣に読んでいたのは競馬新聞だったのか。
「いけ〜いけ〜!…ああ〜だめだった。」とマスターは肩を落とす。出勤前に浅草へ仲間の分も馬券を買いに行くのがルーティンらしい。
どれどれと眼鏡をかけて、一緒に新聞を覗き込む姿は、放課後の教室みたいな雰囲気だった。
今までコーヒースタンドは好きでよく行っていたけど、喫煙がちょっと苦手なので純喫茶へ足を運ぶことは少なかった。
他の純喫茶がどうかはしらないけど、小さなお店の中にテレビが有る空間が自分にとっては物珍しく、そして競馬をお客さんと観戦しているという状況も不思議で驚いた。なんだか親戚のおじさんの家におじゃましているみたいな気持ちになった。
競馬がハズレ、少し残念そうなマスターが
「あんた今日はなんでまたこっちに来たの?神奈川からわざわざ遠いでしょ。」と話しかけてきた。
「土曜日は曳舟駅でヤッチャバっていう青空市がやってるんですよ。その運営で土曜日は墨田へ来ていることが多いんです。」
そんな説明をしながら、その日ヤッチャバでもらったみかんをマスターと隣のお客さんにひとつずつおすそ分けした。
となりのおじさんは、にこにこしながらみかんを受け取り
マスターは「ずいぶんちっさいみかんだね。」といいながら受け取った。
そんなこというならみかん返してくださいね。というと
「うそだよ、ありがとう。」と少し焦っていた。
HOLLYへ来るのは2回目だが、マスターのこの感じにも自然と慣れてきた。
みんなでみかんを食べながら話しているとマスターが昔のアルバムを取り出し見せてくれた。
そこには着物姿の奥さんの写真や、下積み時代のマスターの写真、浅草のナガシマで働いていたときの社員旅行中の写真など。
マスターの思い出ばなし付きでアルバムをめくっていく。「こんな写真、誰にも見せたことないよ」といいながら。
なぜ見せてくれたのかよくわからないが、昔の写真をもとにマスターの若い頃から今までの話を聞くのは楽しい時間だった。
鎌倉に住んでいた頃のお庭の写真を見ながら話してくれたエピソードが印象的だった。
HOLLYのお店にあるゴールドクレストは、マスターのおうちの庭にあった植木をイメージして育てたという。今のお店がある姿には、マスターのさまざまな想いが込められていることを少しずつ感じた。
マスターとアルバムを見ながら話していると、隣りに座っていたお客さんが競馬新聞を読み終えて会話に入ってきた。
みかんの皮をゆっくり丁寧に剥いた後、こちらに手を合わせて「いただきます」といってみかんを食べていた。
「なにみてるの?」と声をかけられたマスターは
そのお客さんにもアルバムを見せた。数十年の付き合いのお客さんだったようだが「こんな写真あったんだ。これせっちゃん?なつかしい写真だね〜」と当時を振り返るように写真を2人で眺めていた。
隣のお客さんも80歳を超えておりマスターより年上だ。昔はタクシーの運転手で仕事終わりにHOLLYへ仲間と一緒に来ていたらしい。数十年の仲で、常連の方々にとっても大切なお店であることが伝わってきた。
HOLLYはマスターと奥さんが2人で立っていたお店だ。今は奥さんの体調が悪くお店を1人で切り盛りしている。アルバムだけでなく自分のケータイから奥さんとの写真や自宅で育てているパセリやトマトの写真も見せてくれた。
昔話を教えてもらっていると競馬仲間がもう1人お店へ入ってきた。
はじめてお店へ入ったときにもいたお客さんだ。
座るなりめがねをかけ、競馬新聞に目を落とす。
この方も競馬仲間か。電話が鳴る。
「あぁ、いま兄弟のところだよ。」
競馬仲間のことを兄弟と説明しているのかと
なんだかおかしかった。
話を聞くとこの人も80歳超えの現役タクシー運転手だ。
きっと昔からHOLLYがみんなにとっての集まる場所だったことがよくわかる。
兄弟という言葉から仲間意識の強さを感じた。
(この半年後、実は本当の義兄弟と知る)
競馬の振り返りも盛り上がりそうだったので
この辺で帰ることにした。
ホリさんへまた来ますねという。
もう来ないだろとは言われなかった。
「人が来ちゃって悪いね、もう帰るの?」
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