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ビックリするほど忘れる

noteに40年前の旅の話を書く時、当時の旅日記を読み返して自分なりにチェックを入れていますが、自分であきれるくらいなにもかも忘れていて人間の記憶ってほんと盤石じゃないなと思います。

なのに恨み節系は結構何年経っても色鮮やかに蘇ってきて、でもちょっと 待って、それ本当に正確なあの日の真実ですか?って自分で自分のことが信じられない。

そういえば、二人の年代の違う親族から、昔わたしが言ったらしい言葉を聞かされ、更年期のフラッシュ再来かというくらい変な汗をかきました。

一人は、年上の仲が良かったけど最近は家も遠くて疎遠になっていた従姉妹から…

「まーちゃんが大学くらいの時言ってた、人生は真実にたどり着くまでの壮大な暇つぶしってあれ、年下の子から言われて結構な衝撃だったよ」

冷や汗どばーっです。なんてなまいきなことを!年上の従姉妹にそんなことを言っていたとは、恥ずかしすぎてくらくらします「それ人違いじゃないの?本当にわたしが言った?」と聞いたら従姉妹は「絶対まーちゃんだよ あの言葉忘れられないもん」とだめ押し。出典はどこからなんだろう…その頃はまっていたニーチェか?ヘッセか?人生経験もまだまだ遠浅の海岸みたいな年頃どこかの誰かからの受け売りにきまってますよね。

二人目は娘から…ワーキングウーマンで、3人の子持ちの理系の長女です。ダンナさんが結構自由人だったり、仕事もきつかったりして、たまに愚痴や毒吐きメールを寄こします。それはうれしいんです。一人でいつのまにか壊れているより、わたしでいいならどんどんぶつけてほしいし吐いて欲しいです。ある日娘が言いました。

「おかあさんのいう通りやな毎日が忙しすぎて無我夢中やけど、もしこどもおらんかったら時間持て余してたと思うわ」

え…わたくし何を言ったのでしょうか記憶にないんですが。また汗がじわり。

「おかあさんわたしが悩んでた時いうたやん。一人で生きる人生がすっきり自由気ままで快適って思ってるかもしらんけど、よほどの人生の達人以外は自由な時間って持て余すねんで。わたしはこどもができてキャリアが中断されたとか全然思ってなくて、むしろ子育ての忙しさにいろんなことから救われたのかもしらんわって」

確かに、そうは思っていたけれど、娘にそう話していたとはまったく覚えていなかったです。



前にもどこかで書きましたが、終活の一環として昔失礼なことを言ってしまった人には会う機会があれば誠心誠意謝って人生を閉じようと思っていました。しかしそういう人にいざ会ってみれば、相手は本当かどうかはともかく、わたしのこと自体覚えておらず謝り損なったりするのです。

でもこういう風に、もう自分では覚えてないのにわたしは今までいろんな人にいろんなことを言ってきたみたいで、その中には相手をひどく傷つけたこともあるのではないかと思うといたたまれない気持ちになります。

覚えてないから謝るべき相手もわからないなんて、なんてこった!

ここでまとめて謝ってもいいですか。

みなさん本当にごめんなさい!



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