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成人式に行きたくない

お久しぶりです。夏乃柊木です。

 以前からこのことに関してはよく考えていました。どうして行きたくないのか簡単にまとめてみようと思います。

1:行くメリットを感じない

 そもそも成人式という儀式を通さなければ、未成年は絶対に成人になれない、というわけではありません。昔のように元服をし、名前を変えたりなど、一連の行事を執り行わなければ大人として認められない世の中ではないのです。

 昔と今とでは、大人になる為のハードルというものがものすごく低くなっているわけです。昔では先に述べたようにいろいろな儀式を盛大に行う必要がありましたが、今では20年生きるだけで誰でも大人になれてしまいます。18歳から成人として認めるべきだという意見もあるくらいです。この年になれば嫌でも自立しなければなりません。否、既にしている必要があります。わざわざ大人が前に立って、大人としての自覚を〜と長々と喋る理由はないでしょう。

2:一括りに「大人」と決めつけられたくない

 もはやプライドの問題なのですが、同じ二十代といえど、行動、言動がまだまだ幼い者たちも多くいます。沖縄県は横浜市の成人式などが良い例です。
 行く必要がないとは言いっても、やはり儀式は儀式。行くのであればその場にあった正しい振る舞いが出来なければ大人とはいえません。
 しかし実際はどうでしょう。暴れ回ったり、叫んだりとやりたい放題。そんな人間たちが全うに生きてきた人間たちと同じタイミングで「大人」になることに私は納得がいかないわけです。そして成人式に行くとなれば、このような行為を行う人間が必ずといっていいほど現れます。20年も生きてきて時と場所を選ばない不適切な立ち振る舞いをする人間が来るような場所に私は積極的に行きたいと思えません。たとえそんな行いをする者たちが少数派であるとわかっていてもです。まっとうに生きてきた人間だけが真に大人になる権利を与えられるべきです。現実的ではありませんが。

3:地元の人間に会うのが辛い。

 ここが1番の理由になります。私怨と言えば大袈裟かもしれませんが、私にとっては間違いではないです。

 いつかの日に人生を振り返ると題して私の生き様を綴った投稿がありますので、詳しい内容は割愛しますが、私の中学時代はもはや黒歴史なんて緩い言葉では説明がつかないほど辛いものでした(私にとっては)。

 ようやくの思いで縁を切り、楽しくやってきたのに、成人式のことを考えるたびにその時のことが頭にちらついてなりません。行くことを考えるたびに辛くなって、どうしていく必要があるのか、と嫌でも考えてしまうわけです。先に述べた2つの理由も、本当の理由を隠すうえでの言い訳でしかないのだろうと思っています。実際、私が成人式に出たところで、当時の同級生たちは私のことなど目もくれないでしょうし、私の考えすぎなのだろうとは思いますが。

4:でもだからこそ思う

 そう思っているからこそ、行くべきなのではないかと思う時もあります。私のこれまでの考えは言ってしまえば逃げの一手。都合の悪い過去から目を背けているだけです。逃げに逃げ、忘れ去ってきたからこそ、この成人式という場で、今までの自分と向き合う必要があるのではないのかと考えることもあります。

5:だけど

これはあくまで私の理想的な考えです。理想は現実では叶わないから理想として在り続ける事ができます。なので私は成人式当日までに上述のように考えを改め、自分の意思で成人式に行こうと思うことはないでしょう。理想は現実にはなりませんから。

6:まとめ

少し話が逸れたのでまとめておきます。
私は成人式に行きたくないです。それは成人式そのものにメリットを感じない為、まっとうな生き方をしてない人間と一緒のタイミングで大人になりたくない為ですが、それらは全て建前で、本当はただ会いたくない人が大勢いるからという私のエゴがそう思わせているのです。そしてその考えはずっと変わることはないでしょう。それが、私が20年生きてきてわかった、私という人間像です。

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