Birthday Dream Trip

 朝。アラームで脳を揺すり起こされる。まだスッキリとしない脳でスマホの通知を確認する。
 表示された通知のうち一つに、カレンダーから「お誕生日おめでとうございます!」の文言。
 そうか、今日は俺の誕生日だった。その通知を見てようやく思い出す。
 布団から出るには、未だ勇気の要る寒さが部屋を満たしていた。そんなものだから、俺は冬の朝が嫌いだ。
 人肌を感じる時間が全く無いものだから、この布団の温もりだけが、今の俺にとっては唯一の依存対象。
 この温もりが、体と布団を縫い付けて離さない。かと言って、そのままもう一度うたた寝の音に耳を傾ける訳にもいかない。
 俺には仕事がある。体を起こし、動き出さねばならない。
 執拗に布団へと引き戻す温もりから逃れ、簡易的な朝食を作りにキッチンへと向かう。そこら辺に転がる本やら洗濯物やらのせいで、足場が無くて困った。
 キッチンに立ち、用意した食パン1枚を半分に切って、焼いたベーコンと炒めた卵を挟む。そしたらそのままフライパンに置く。
 ベーコンとスクランブルエッグのホットサンド。1つしか無いが、朝はこれで十分だ。
 元より朝はあまり食べられる方じゃない。それに、あんまり食べると吐き気を催す。朝イチに会社で吐き戻すのはごめんだ。
 さっさと食べ終えて寝間着からスーツに着替える。ダメダメな私生活を内側に隠してくれる最高なアーマー。これを着ることで、俺は人の隣に並ぼうとするのだ。
 仕事用の鞄を背負って、家を出る準備をした。まだ少し時間があるけれど、人より早く出勤して人より長く仕事をする。そうすることで人より出来ない自分を、出来るだけ周囲と同じレベルに引き上げる。
 そうすることで、己のダメな部分を隠す。無かったことにしたり、見えないようにしたり。自分からも他人からもひた隠しにする。

 まだ人の少ない電車に乗り込み、本を開いた。俺にとって読書は食事と変わらない。朝、取り切れなかった分を本で補給するかのように、ページの上で目を滑らせる。
 その本の内容が脳に残る時もあれば、残らない時もある。食べたものや、その味を覚えてない時と、強く覚えている時があるのと同じだ。
 それほど好きでも無い、けれども無いと死んでしまうと思うほどに依存してしまっている。そういう意味で、「食事と変わらない」と思うのだ。
 がたん、ごとん、がたん、ごとん……
 その音をBGMとして文章を読み進めていく。どうやらこの本は、ネット上で活動しているクリエイターの書いたエッセイの様だった。
 興味が無い訳では無かった。だからこそ、お金を払って実物を購入しているわけだ。けれど、どこかつまらないものに感じ、どこか面白いものに感じた。
 不思議な感覚だ。とても曖昧な感覚……それがとても面白く感じる。はっきりとしていないものはどうしてこうも面白い。
 ネット上での活動によって、自身を大きく前身させることが出来た……という話は少なくないのだと思う。自らが本気になって取り組んだことは、自らを大きく変えるものだ。
 俺自身に、そういうものは無い。
 自分の好きなものに打ち込むことなんて、恐らく学生時代の部活以来、何もしていない。
 ……いや、それすら「打ち込んで」いたか危うい。人生で一度も無いと言ったって過言では無いのかもしれない。
 そう考えた時、ふと思った。
 俺も、そこで何かやってみたら……
 何か、変わるものがあるのかもしれない、と。
 何をやるのが良いだろう、俺は歌が好きだしそれをやるか、はたまた本ばかり読んでいるからそれを生かすか。
 今までならば出来るわけが無い、と諦めていたが、どうにも今は行動したくてたまらない気分になっていた。
 本の影響か、暖まってきた身体からか……それともその両方か。
 最寄り駅に到着した、という放送が電車内に流れる。徐々にゆっくりとなっていく電車に身を任せながら、本を閉じた。また、帰りの電車で読もう。そう思わせてくれるような、良い本だと感じる。
 完全に車体が停車したところで、外に体を赴かせた。
 今日も楽しいとは思えない職場に足を向ける。けれど、今日はどうしてか足取りが軽い。
 今日は、早めに仕事を終わらせよう。
 そう思いながら、早足で職場へ向かった。

 まだ夜も更け始めた頃、俺は早々に帰宅することが出来た。この時間に家に帰ることが出来たのはいつ振りか。……いや、いつだってこの時間に帰ることは出来た。自主的に会社に残っていただけだ。
 カバンを下ろし、お風呂を沸かす間に夜ご飯を用意する。……多少雑なのはご愛嬌。
 夕飯を済まし、風呂からも上がったところで創作の用意をした。
 パソコンに向かい、完全に「趣味」に没頭する。その間に今までの自分が、どれほど本と仕事で構成されていたのか、強く思い知らされることとなった。
 分からないなりに調べ、パソコンのメモ機能に執筆していく。
 タイピングの速さと正確さには自信があった。脳に浮かんだ言葉やイメージをするすると書き出していく。一定の地点まで書き続けて、読み直して、また書き出す。それを繰り返す内、なんとなく全体像が見えてきた。
 きっと良いものとは言えないだろう……けれど、初めてにしては良い出来だ。
 出来た作品を読み返す。構成も言葉選びも描写の仕方も、全てが付け焼き刃だ。衝動的に動かされているから、計画性の欠片もない。
 けれど、それでよかった。それが一番、この作品に感情をぶつけられる気がしていた。計画立てて色々考えながら書くより、取り敢えず進んで、来た道を修正しながらまた進む……そんなやり方のほうが、自分の意のままに作品を書けると、そう思った。

 ほっ、と一息。たまには良いものを、と先刻買ってきた少し高い紅茶を啜る。比較対象を知らないのでなんとも言えないが、美味しいとは感じた。
 先程書いた作品を読み直す。まだ頭が興奮しているからか、脳では賞賛の声が鳴る。きっと冷静になって読み返すと、そうでも無いのだ。
 こういう時は1日、2日は置いておくのが得策だろう。そして何日もかけて突き詰めて行くのだ。それが良いのだろう。
 そう考えながら、メモを保存してPCの電源を落とした。紅茶の暖かさも相まって、頭がぼんやりとしてくる。先程まで興奮していた脳がゆっくり溶かされていく。
 暖かさによるゆったりとした眠気に、そのまま身を預けそうになる。時間を確認すると、もう深夜のようだったので、それならば……とベッドへ向かった。
 すうと目を閉じれば、意識は少しづつ闇へ融けていく。その感覚に身を預け、その日は深く眠りに落ちた。

 次の日の朝、また同じように出勤をして、仕事を終わらせ、同じような時間に帰ってくる。
 また昨日と同じように夕飯や風呂を済ませて、パソコンに向かって筆を進めていく。それを、何日も繰り返した。今までの味気ない、ただ生命活動を繰り返すだけの日常と、ほんの少しだけ変わっただけだった。それなのに、今までよりずっとずっと楽しい「繰り返し」な気がしている。
 何度も書き直し読み直し……の果てに、ようやく1作書き上げることが出来た。これで、やっと投稿することが出来るようになった。
 目星をつけていたサイトに下書きを入れる。タグ付けをして最終確認をして、投稿のボタンを押すだけ。
 ……だけ、なのに。どうしてこんなに、手が震えるのか。
 1度手を離して深呼吸をする。震えが少し止まったところで、もう一度手を掛けて、ボタンを押した。画面に表示される「投稿されました!」の文字。それを見て、ふぅと長く息を吐いた。
 安心からか、強い眠気が俺の脳を襲った。今すぐにでも瞼を閉じたい、眠りの底へと意識を落としたい……そんな強い欲に耐えきれずに、机に突っ伏して瞼を閉じた。

 ぽこん、ぽこん、と連続してなり続ける音に意識が浮上する。
 昨夜は机に寝ていたはずが、どういう訳かベッドに横になっていた。先程からなり続けている通知を確認すべく、スマホの電源を付ける。
 すると、カレンダーからの「お誕生日おめでとうございます!」に加えて、Twitterからも数々の誕生日を祝う文字列。
 まだ起き抜けで、ぼんやりと覚醒しない頭で必死に考えた。昨日は何日だった?最後に誕生日をカレンダーに祝われてからどれほど経ったんだ??
 考えても考えても、今日が誕生日になるような事実は出てこない。じゃあ、今日のこれはなんだ?それに、Twitterからのこの通知は……?
 恐る恐る、Twitterを開いた。多すぎる通知に、何度か処理落ちした為、パソコンで開き直す。真っ先に自分のページを開くと、下から風船が飛んでいるのが見えた。
 フォロワーも500人を超えている、誰もフォローしていないアカウント。作品のツイートやしかしていないまだまだ小さいアカウントだが、ツイートにはリプライがいくつかついているし、いいねの数もかなり多い。
 意味が分からない。ここはなんだ?今は何年の何月だ……?
 はっとして、パソコンの時計を確認した。
────「2023.1.19」
 それは無機質に現実を告げていた。俺の、誕生日。俺の知る、現在から2年後の。
 何故?どうして?また頭の中をクエスチョンマークで埋め尽くされる。そうだ、仕事は?パソコンになら、経過が残っている筈だ。
 けれど、いくら探しても仕事の経過なんて出てこない。書類の1つも出てこないのだ。どういうことだ?もう何もかもが俺の知る「繰り返し」から逸脱していて、頭がパンクしそうになってくる。
 状況を整理するため、一度スマホのメモアプリを開いた。

 まず、現在は「2023.1.19」であること。俺の知る「現在」から2年も経っていたらしい。
 そして、俺は「禅庭花ぜんていか」の名義で創作活動をしていること。
 最後に、今までの仕事を辞めて別の仕事をしていること。
 そのほかには、この2年で30作程を投稿していること、そこから地道にフォロワーを増やし続けていること……など、俺の知らない「俺」は濃い日々を過ごしていたらしい。
 初めは記憶喪失……?なんて思っていたが、要因が全く分からない。また頭の中が何故?なぜ?で埋まっていく。
 深く、呼吸をする。混乱を体外に吐き出して、やっと落ち着く。
 なんの気無しに、「記憶喪失したらしい」とツイートを残した。きっと、暫くは俺、いや……「彼」の作品が出ることは無いだろう。こんなに濃い2年間の記憶が無い以上は、俺とは別人とも言える。
 そこまで考えて、はあ、と1つ息を漏らした。どうしてこんなことになってしまったのか……俺には検討も着かなった。
 少しぼんやりと、意識をどこかへやっていると、ぽこん、とまた通知音が鳴った。どうやら、現在の職場の友人らしい。
「会社居ないけどどうした?」
「ここ2年の記憶なくて困ってます……失礼を承知ですが、貴方はどなたでしょうか?」
「えっ」
 まあ、反応はそうなるだろう。俺だってこんなこと言われたらそうなる。
「ここ2年ってことは、入社のことも覚えてないの?」
「はい、全く……」
「上には俺が言っとくから、とりあえず今日は休め。」
 こんなに優しい人を忘れてしまっている自分に嫌気がさす。どうしてこんなことになってしまったのか……そう思いつつ、「彼」の書いた作品を眺めることにした。
 作品は一貫して「孤独」をテーマにしているようだった。いじめの話や異世界転生モノなど……ある程度幅は持たせているらしい。
 作品群を眺めていると、ふと一つの記事に目が止まった。
 「日記」とだけ書かれたタイトルに、少しの異質さを感じる。どうやら非公開の記事らしい。
 いくつかに分かれていたので、無印のものを開いた。

────5.10 この前上げた作品が伸びた。処女作なのにこんな伸びても良いのか……?と思ったのでここに記録を残しておく。
────5.11 まだ数字が伸びている。Twitterをフォローしに来る人まで出てきたらしい。……それほど期待してるってことなのか?
────7.30 仕事を辞めた。新しい仕事を探すことにした。新しい作品を書いていたら、そうしなきゃいけないような感じがした。
────9.1 新しい職場に就いた。繰り返しの毎日から脱却した感覚がしてる。
────10.17 新しい作品を投稿した。まだじわじわと伸び始めている。
────12.1 フォロワーが50人を超えた。まだまだ少ないけれど、本当に嬉しい。
────1.19 ……これはなんだ?俺は……こいつは誰だ……? 取り敢えず、仕事だ。仕事に行こう。

 1.19。去年もまた、誕生日におんなじようなことが起こっているらしい。
 どうなっているか知らないが、毎年この日に記憶が無くなっているのか……?なんで、急に。2年前はなんとも無かったのに。よく分からない……
 もう、考えたってどうにもならない。俺の記憶が戻る訳でも、時間が戻る訳でもない。
 俺は考えることを辞め、この状況を打開することを諦めた。
 そうだ、日記の続きを読み進めよう。何かあるかもしれない。

────1.20 昨日の記憶が曖昧だ。どうやらおかしくなっていたらしい。職場の同僚にも心配をかけた。働きすぎだろうか。
────1.30 19日の日記を見つけた。多重人格かなんかか……?と思ったが、そんな兆候は一切無い。一体、あれはなんだったんだ?
────2.6 新作を投稿した。一定の閲覧数やお気に入り登録数は保持できる様になったらしい。幾つかコメントも着いている。存外嬉しく感じてる。

 1月以降はいつも通りの生活に戻っているらしい。なら、今日をゆっくり楽しめば良いだろう。
 肩の力を抜くと、空腹感に襲われる。そうだ、今日は朝ごはんを食べていなかった。
 いつもは食欲が無い筈なのに……2年後の俺は、よく食べるようにでもなったのだろうか。
 キッチンに向かい、朝ごはんの準備をする。変わらず食パンとベーコンと卵があったので、今日もホットサンドを作ることにした。
 完成したホットサンドを皿に乗せ、テーブルまで持っていく。
 2年前より、部屋はずっと綺麗に見える。家具の配置は変わっていない筈なのに、知らない家に住んでるみたいだ。
 2年もの間で、俺は随分変わってしまったらしい。部屋は片付いているし、かなりクリエイティブだ。
 適度な熱さのホットサンドを胃の中に収める。これだけである程度お腹が膨れ、少しの満足感が得られた。本当に、コスパの良い体だと思う。

 少しの休憩を挟んで、ぼんやりとスマホを眺めていると、ふと外出したい気分になった。
 最低限の荷物を持ち、特に目的地も決めずに家を出る。突発的なものだからか、どうしてこんな行動になったのか、よく分からない。今日の俺は分からないことだらけだ。
 平日昼間、ほとんど人のいない車内で本を開く。そこら辺にしまっていた本を、適当に選んで持ってきた。見たことも無い題名と作者の本。けれど、どうだっていい……と思っていた。
 どうも捗らない。今までならば紙面を目が滑る様だったのに。つまらない訳では無いが、どうしてか読めないのだ。
 文字がぼんやりとして、読み取ることが出来ない。いや、文字自体はハッキリとしている。目から脳に行くまでに、ぽろぽろと零れ落ちて行ってしまう様なのだ。
 ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン
 一定の感覚で揺れる体に眠気が誘われる。朝からの疲れもたたってか、瞼が重たい。
 いっそこのまま、睡魔に体を預けてしまいたい。きっと、終点に着けば起こしてくれるから、大丈夫……なんて、頭の中で声が響いた。
 その声にふわり、体を預けるように、瞼を落とした。

 一定のリズム、電子音。その音に意識が浮上した。
 身動ぎをすれば、布団の感覚があった。あぁ、さっきまでのは……夢か。
 今日もまた、外の寒さから逃れる様に布団にしがみつく。また、繰り返しの始まりか……そう思うと更に体は重たくなるばかりだ。
 ……夢の中の俺は、転職して楽しく生活している様だった。つまらない繰り返しを、別の場所で繰り返している様には見えなかった。
 ────転職、してみようかな。
 そう考えながら、布団から這い出る。朝だと言うのに、少しばかり空腹を感じた。キッチンへ向かいながら、転職先についてぼんやり考える。
 退職届の書き方、調べておこう。

──────
とある方のお誕生日が1/19にあったので、記念作として。
大遅刻したのでデウス・エクス・マキナしました。

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