母と娘
今目の前にいる3歳の娘を見ていると、まるで小さな私が乗り移ったかのように思えてくる。
全身で私やお父さんに愛を表現し、全身で愛を受け止めようとしているその姿に。
私が母から受け取れなかったものを今、この子を通じて必死に受け取ろうとしているかのように。
私は小さな私をも包み込むように彼女をたくさん抱きしめる。
娘と、そして小さな私をぎゅっと胸に抱き寄せ大好きだよって何度も何度も言葉にする。
私が母の胸に抱かれた記憶があるのはほんの一度だけ。
20歳を過ぎた頃に私と祖母のトラブルで悔し泣きをしている時に、私の記憶では初めて母は私を胸に抱き寄せてくれた。その時の母の胸の柔らかさと温かさは今でも鮮明に覚えている。
私がずっとずっと欲しかったもの。
娘を胸に抱くとき、きっと彼女は今この母親の温もりというものを感じているのだろう。私がそうだったように彼女もきっと母の腕に抱かれ胸に顔を埋めている瞬間の心地よさを感じてくれているんだろうなと、だからただひたすら愛で包み込む。
私自身を癒すかのように。
この子が見せてくれるように、子どもはただひたすらお母さんといたいだけなのだ。愛だけを求めているのだろう。
少なくとも、私はそうだった。
怒られても、否定されても、一緒にいる時間が少なくても、でも、お母さんが大好きだった。
今はわかる、シングルマザーで週6で仕事をしていた彼女の忙しさや、だから自分の時間を必要としていたことも、私と姉を必死に何不自由なく育ててくれたこと、そして彼女も私たちが大好きだったことも。
でも、小さな私はただお母さんと一緒にいたかった。お母さんに褒めてもらいたかった。お母さんと遊びたかった。ただ愛に包まれたかった。
それでもそれはずっと叶えられることがなかった。
小学校高学年の頃、私は自分の体型に悩んでいた。
そしてある日、当時好きだった男の子に体型のことで酷い言葉を浴びせられた。
それを同い年の従兄弟がいったのか誰が言ったか覚えていないが、母と姉の耳に入った。そしたら彼女らはそれを聞いてその男子を非難するのではなく、その言葉が的を得ていると笑っていた。学校の展覧会の私の作品を見てその見事な不出来ぐあいにびっくりしてた。
いつの間にか、私はとにかく人前に出ることが大嫌いになった。
人から何かを言われるのが怖くなった。
否定されると自分の不出来さに胸がチクチクした。
傷つくのが怖かった。
気づけば私はガチガチの鎧を身に纏っていた。
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