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何がその時私を突き動かしたんだろう?I went to Cambodia 5 times

こんにちは、Holisticコーヒー起業家のYukiです☺︎
今日は私が大学生人生をかけて足繁く通った「カンボジア」について。笑

19歳のわたしは初めてインドといういわゆる「貧困国」と言われる世界を知って、もっといろんな世界を見たくて、「家」みたいにハコをつくるんじゃなくて、継続的になにかをすることで誰かのいのちや生活や習慣だったり、変化していく姿、そんなものが見たいなっておもった。
そして、次にわたしが走り出した方向とは?

それがカンボジアだった。

いわゆるインカレでキラキラした人たちがカンボジアを継続支援をしている団体で、私はすぐに参加することを決めた。もっと世界が見たかったし、なにかやりがいがあることをやりたかった。

昔は学校や病院や道や病院、いわゆる「ハコ」をつくっていた団体だったが、いまは病院のない島に衛生知識を広めてそもそも病気になることを予防する、そんなことを試みている団体だった。

カンボジアにいくためにバイトを頑張ってお金を貯める日々。
カンボジアを支援するための収益を出すイベント準備への熱を入れる日々。
カンボジアを支援し、イベントで来場者へ価値のあるものを提供するために、協賛を募る活動をする日。
イベントの収支計算のために寝ないでお金を数える日。

なんのためにやっているのか、と呆然とする日もあったけれど
私は自分の目で見たくて、肌で感じたくてたまらなかったんだ。

実際に行ってみると、すーごく若くて活気に溢れた国。
それはそうだ。カンボジアは1979年、そう遠くない昔に国民の1/4にあたる国民が大虐殺されたのだ。旧政府系、医者、先生、そんな人たちから殺されてしまった。そんな悲しい現実をなかったことにはできない、だけどそんななかでも皆前を向いて生きていたし、本当に元気だった。

現地の病院を視察してみてとても衛生的とは言えないし、床に寝ている人もいたし。病院を受診するために家を売って、家族総出で病院のある大きな都市にでてくるひともいるらしい。

いざ支援している島にいくと、そこには裸足で走り回って破傷風になってしまった子。虫歯だらけの子。しらみだらけの髪の子。栄養失調の子。
実際、当時のカンボジアでは5人に1人がなくなってしまうという現実があった。

そんな話を聞いたら病院を増やすより、そんなことにならないために、知識があったらって、本当に思った。

子供たちの体や健康をケアできるのは?親だ。
そんな親たちの世代はまさにポルポト時代を生き抜いた、大きく成長する途上を生きた人たち。我々にとっては当たり前の知識を学ぶ機会がなかっただけだ。「もっと衛生知識について勉強したい」そんなコメントを親世代からもらったりもした。

ボランティアって難しくて、やっぱり協賛してくれた人・応援してくれている人たちに「成果」を見せないと。そんなことから知識を教えてそれを数値化した「成果」までアウトプットするのは本当に難しい。だから「ハコ」より難しかった。

それでも親世代への講習会・子供たちへの講習会・健康診断などを続けて1年。常にカンボジアにいて自分たちの目で見れるわけではなかったが、確実に変わっていくのを感じた。

歯ブラシが家においてあったり、子供が自ら手を洗うようになったり、そんな小さなことが、数値化できない出来事が私をとても満たした。
この子達がこれからも勉強したいと思うことを勉強したり、笑顔でい続けること、それができますようにと本当に思った。

自分自身が苦しくてもただひたすら走り続ける、そのときわたしを突き動かしたのは、「子供たちの未来を守りたい」その想いだった。逆境をのりこえる、頑張るパワーをいつもくれるのは想いだなあ。

「未来を守りたい」って思いは、いまもわたしのなかにいきていて、
コーヒーの未来も、コーヒーを作る人の未来も、コーヒーを飲む人の未来も守れるそんなコーヒーをわたしはつくりたい。いや、つくる!!

Yuki



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