まだフィッシュマンズナイトの熱が冷めやらぬ内に、残そうと思います。 オトハトバという音楽好きが沢山集まる場所。 僕も大好きで、何かのタイミングでフラフラっと行ってしまうステキな場所。 モトコーから移転してからも相変わらず良き場所なのです。 そんなオトハトバでひょんな事から?と言うよりも、映画のBlu-rayが販売される事をキッカケにワンアーティストデイでフィッシュマンズをさせて貰えることになりました。 地味に嬉しいのがその後日もフィッシュマンズのDVDを流してくれてるの
雲ひとつない空の下で andymoriの16を聴いていた その歌詞の中にある様に 「空がこんなにも青過ぎると 何もかも捨ててしまいたくなる」 今日は正にそんな気分だった 今日だけじゃなくてここ数日間 メディアの不安を煽る様な 不必要すぎる報道も いつまでも終息しない(させていない)アレ 半分が隠れていて素顔がわからない現代 どっかではこんなにも 青すぎる空は見上げられないのかもしれない 僕は音楽を聴いて 悲しい気持ちを投影させる事が出来るけれど 其れさえも許されない場所
色んな人を撮って来たと思う 神戸の人たち 一番近い存在の人 遠くに離れて行ったあの人たち ネガを振り返れば あの時だったけな?って 少し思い出してしまう 残す行為は時に残酷で 残さなければよかった とそう思う時も多々ある また会いたくなるし また顔を見たくなる 画面じゃなくて ネガじゃなくて 結局のところは その人たちのその顔や 発せられる言葉ひとつひとつが好きなんだと でも追い付けなくて追い付かない 指の間からスルスルとこぼれ落ちてゆく さみしいよ かなしいよ せ
音楽 写真 お酒 ファッション ストリートカルチャー 無くたって死なない困らない けれどやっぱり好きだ たぶんこの先ずっと
僕が最初に持っていた(ごく最近まで)のは 間違いなく前者だったと思う 学生時代に手にしたジャンクのフィルムカメラ そこから写真を撮るならフィルムだ!って勝手に思って 上手くも何ともない写真を撮り続けていた ただカメラを使いたいから撮っていた そんな日々が続いていて ある日突然火が付いたように撮り出す様になった 1ヶ月に1本しかフィルムを使わなかったのに 1日で3本は使う様になった でもかなしいくらいに 終わりは目に見えてやって来ていて フィルムで撮り続けるのには限界があ
自分がこの街で残りたい そう思った 撮る事は何かの原動力なのかもしれないし 承認欲求を満たしたいだけなのかもしれない どちらかなのか どっちでもあまり気にしない事にする 人から好かれる事 人に覚えてもらえる事 色んな人や物から拒絶された人生とは 今やもうサヨナラした様な気がする そんな生き方を撮る事で手に入れた 撮れば見せて見せたらまた撮る でももう抗えないや キラキラして 美しいものが勝ち残り フェイクな瞬間がいつしかリアルになってゆく 一瞬一瞬なんてもう必
また年を越した 明けない夜は無いのと同じで 今年も白いもので 顔を覆わなければいけないのかな みんなの顔は もう忘れてしまいそうだよ そうならない内に 会いたい人には会いに行く もうすぐ終わるよ って誰か言ってくれないのかな ネガに残ったみんなの顔は覆われてしまっている それでいいのか そうせざるを得ないのか それが正しいのか それが定なのか 2021年 いや2020年から抜け出せずにいる 奪われたあの年達は いつ帰ってくるの? そんな 不安と絶望感に駆られなが
気が付いたらもう師走でした。 また今年もきっと何処へも行けないんだろうな。 そんな日々が当たり前になってきた頃、とあるアーティストの新譜が今年の5月頃発売された。ずうっと待ち望んでいた新譜だった。先行で何曲か配信されていたものの、アルバムを通じて聴く11曲は、退屈な日々にほんの少しの希望、そしてもう仕方がないけれど今を生きて行くこと、そんなことを感じさせられた。 そもそもカネコアヤノを初めて聴いたのは「退屈な日々にさようならを」という今泉力哉監督の映画でもあり、楽曲でも
もう1ヶ月以上も前のことになるので、今更なんだよ!って思われちゃっても良い。 漸く、言葉に出来そうだから、自分なりの言葉で残しておくようにしたい。 イムくんとの出会いは、今年4月のこと。 いや、僕が個人的にお会いしたのはもう少し前。 とあるイベントでフィルムカメラを片手に写真を撮っている人を見かけた。それがイムくんでした。 正直なところ、この時に話しかけていたら良かったと後悔をしていたけれど、人見知り爆発してしまい、話しかけず仕舞いで終わる。 それから、とある飲み屋さん